第2話 湯煙の選択
焦げた匂いが、まだ残っている。
焼け落ちた屋台。
砕けた石畳。
立ち上る黒煙。
温泉街アカネザカは――
もう“元の姿”ではなかった。
戦場の跡。
その中心で、カリンは立っていた。
ふらつきながら。
膝が震える。
呼吸が浅い。
拳に宿っていた炎は、もう消えている。
それでも顔を上げる。
まだ三体のリザドゥ星人。
赤い瞳が、値踏みするように細められる。
さらに。
屋根の上。瓦礫の影。
気配が増える。
完全な包囲。
逃げ場はない。
喉が鳴る。
それでも――
「……まだ終わってねぇ」
声は震えている。
だが、折れていない。
「あの人みたいに……最後まで立つ」
リザドゥ星人の一体が跳ぶ。
地面が砕ける。
カリンも踏み込む。
炎を出そうとする――
出ない。
空振り。
一瞬の“空白”
その隙を叩き込まれる。
衝撃。
視界が弾ける。
身体が吹き飛ぶ。
瓦礫に叩きつけられる。
肺の空気が、すべて吐き出される。
「がっ……!」
息が、入らない。
立てない。
足が、動かない。
視界の端で――
リザドゥ星人が近づく。
ゆっくりと。
確実に。
“終わらせるために”
(クソ……ここで終わるのかよ)
奥歯が軋む。
指が、わずかに動く。
立て。
立て。
立て――
その時。
「もう十分だ」
低い声。
空気が止まる。
音が消える。
湯煙の向こうに――
一人の男が立っていた。
祖父のジンライだ。
ただ立っているだけで。
場の“主”が入れ替わる。
「……え?」
霞む視界の中。
その背中が、映る。
「じいちゃん……?」
ありえない。
でも、間違えるはずがなかった。
「なんで……ここに……」
ジンライが、カリンの隣にしゃがむ。
「よくやったな」
頭に手が置かれる。
その一言で、張り詰めていたものがほどける。
「……あとは任せろ」
立ち上がる。
一歩、前へ。
それだけで。
空気が変わる。
静かに。
決定的に。
リザドゥ星人達が同時に動く。
――ジンライの消えた。
否。
踏み込んだ。
一瞬。
一体の顎が跳ね上がる。
巨体が宙を舞う。
着地する前に――
次。
爪を半歩で外す。
掌底。
内側から破壊。
三体目。
視線すら向けない。
踵が落ちる。
頭部が地面にめり込む。
衝撃。
沈黙。
終わらない。
影が動く。
(なんだよ……これ)
呼吸が浅くなる。
(速すぎる……見えねぇ)
目で追っているはずなのに、理解が追いつかない。
(人間……なのかよ)
背筋が、ゾクリと震える。
恐怖じゃない。
――格が違う
リザドゥ星人の包囲が、狭まる。
それでも、ジンライは呼吸を乱さない。
最小動作。
最短距離。
無駄がない。
拳。
肘。
投げて叩きつける。
破壊。
一方的かつ圧倒的。
最後の一体が逃げる。
背を向けた瞬間――
影が重なる。
地面に縫い止められる。
拳が落ちる。
――終わりだ。
静寂。
湯煙だけが、揺れる。
ぼやけた視界の中で。
その背中だけが、はっきり見えた。
大きい。
届かない。
(……こんなの勝てるわけ、ねぇだろ……)
安心と同時に――
意識が、途切れる。
⸻
足音が響く。
複数。
規律のある動き。
武装した部隊が到着する。
一糸乱れぬ動きで展開。
周囲を制圧する。
「司令!」
報告が飛び交う。
ジンライは一瞥するだけ。
「街の状況は?」
「被害甚大!倒壊多数、負傷者多数確認!」
「救護班、間もなく到着予定です!」
「……そうか」
短く、それだけ。
だが。
「総員、救護を最優先」
一言で。
全員が動く。
迷いはない。
「はっ!」
ジンライは振り返る。
倒れているカリンへと歩く。
その身体を、抱き上げる。
軽い。
だが――
確かに戦っていた重みがある。
「……よくやったな」
小さく呟く。
そのまま歩き出す。
向かう先は、一つ。
⸻
湯気。
木造の建物。
見慣れた暖簾。
実家の旅館〈ことは亭〉
戸を開ける。
湯気が広がる。
そのまま――
カリンを、湯の中へと沈める。
バシャッ。
湯が跳ねる。
数秒。
沈めたまま。
やがて――
わずかに呼吸が戻る。
この温泉には、
傷の治りを少し早める作用がある。
だが、町の者たちは知らない。
“疲れが取れる湯”としてしか。
ジンライは立ち上がる。
湯気の向こうで、
静かに目を細める。
⸻
白い光。
冷たい水の中。
音は、ない。
ただ――
静かな鼓動だけが、響いている。
ゆっくりと、揺れる銀の髪。
その中心に一人の少女。
眠っている。
まるで、何かを守るように。
その身体を包む光が、
わずかに、脈打った。
「選ばれたんじゃない」
静かな声。
まっすぐに、カリンを見る。
「繋がっているの」
手が、伸びる。
触れる寸前。
世界が、砕ける。
「目を覚まして」
闇。
⸻
カリンは、はっと目を開ける。
夢の残像が、まだ頭にこびりついている。
カチャッ!
無数の銃口。
重武装兵が、カリンを囲んでいる。
「はぁ?なにコレ…?」
突然の事で混乱。呼吸が乱れる。
身体が強張る。
「やめろ」
低い一声。
一瞬で。
銃が下がる。
道が開く。
その先に――
祖父のジンライ。
何事もなかったかのように、立っている。
「おい、この子の治療をしたら部屋に通せ」
すぐに数人の救護班が駆け寄る。
その中の一人の少女が、カリンの腕に触れる。
ひやり、とした感触。
痛みが、すっと引いていく。
「……動かないで」
短い声。
無機質で、感情が薄い。
だが――
不思議と、その声だけが耳に残った。
⸻
襖が、ゆっくりと開いた。
部屋の空気が重い。
畳の中央。
低い机。
その上に、赤いスティック。
ジンライとハズキが隣り合って座っている。
二人とも、ことは亭の“家族の顔”ではない。
張り詰めている。
カリンは立ったまま、視線を机へ落とす。
「……それ」
喉が乾く。
ハズキが先に口を開いた。
「リィナは無事よ」
一瞬。
時間が止まる。
「え……」
「隔離区画で検査中。軽いショック症状はあるけど、外傷はないわ」
膝から力が抜ける。
畳に手をつく。
「……ほんとかよ」
息が震える。
胸の奥に詰まっていたものが、一気に崩れ落ちる。
「よかった……」
声が、子どものように弱い。
ジンライは黙ってそれを見ている。
ハズキが続ける。
「今日の戦闘はすべて記録されているわ。」
空中に映像が浮かぶ。
炎を纏うカリン。
暴走するエネルギー波。
「あの状態は、“感情共鳴”」
一拍。
「「アストロコアが……あなたに反応した」
カリンはゆっくり顔を上げる。
「アストロコア?……なんだよ、それ」
「偶発的な適合。でも数値は異常」
「私は技術開発班責任者。この装置の調整も私の管轄」
カリンは眉をひそめる。
「ちょっと待て……何言ってるか全然分かんねぇ」
一拍。
ハズキは構わず続ける。
「……あのアストロコア、本来は“空”だったの」
カリンの目が揺れる。
「……は?」
「中にエネルギーは残っていない。起動できる状態じゃなかった」
静かに続ける。
「本部で保管されていたものを、再調整のために取り寄せていたのよ」
一拍。
カリンは、少しだけ視線を逸らす。
「……そういやさ」
ハズキとジンライが見る。
「祭りの前に、トラック見ただろ。O.E.D.Oの」
ジンライの目が細くなる。
「……ああ」
「その時さ」
一拍。
「なんか……呼ばれた感じがした」
沈黙。
空気が変わる。
「コンテナの中から」
カリンは言葉を選ぶ。
「見えたわけじゃねぇけど……“いる”って分かった」
ハズキの表情が止まる。
「……あなたが使う、なんて想定はしていなかった」
静かな声。
だが、その奥に確かな温度がある。
空気が張り詰める。
カリンの胸がざわつく。
ハズキの視線が、ジンライへ向く。
ジンライは目を閉じ――小さく息を吐いた。
「……やはり、か」
一拍。
「予定より早いが、仕方ない」
低く、割り切った声。
カリンの視線が揺れる。
「……何の話をしてんだよ」
絞り出すような声。
ジンライが目を開く。
その瞳は、まっすぐにカリンを射抜く。
「お前の力のことだ」
沈黙。
空気が変わる。
ジンライの背筋が、すっと伸びる。
「……ここまでは、“祖父として”話していたが」
一拍。
「これ以上は、立場を隠せん」
部屋の温度が下がる。
「地球圏外脅威防衛機構――通称O.E.D.O」
その名が、重く落ちる。
「その総司令官を、私が務めている」
静寂。
「……は?」
笑いそうになる。
冗談だろ、と言いかけて言葉が出ない。
さっきの戦闘。
あの動き。
あの圧。
すべてが、繋がる。
「じゃあ……今日のあれも……」
「我々の任務だ」
机の上の赤いスティックを指で押さえる。
「本来は、この街を通過するだけだった」
「輸送中にコズヴィランが出現した」
カリンの拳が震える。
「俺……何なんだよ」
声が荒れる。
怒りか、恐怖か、自分でも分からない。
「守ったつもりで……壊してただけじゃねぇのかよ」
ハズキが即座に首を振る。
「違う」
「あなたは巻き込まれた。でも――選ばれたわけでもない」
「繋がったのよ」
「何にだよ」
ジンライが答える。
「まだ話せん」
視線がぶつかる。
祖父ではない。
司令官でもない。
一人の“戦う者”として。
「だが一つだけ言える」
間。
「お前は、もう無関係ではいられん」
カリンの喉が鳴る。
安堵と恐怖が、胸の中で混ざる。
「守るためよ」
ハズキが静かに言う。
「あなたを。そして、この街を」
赤いスティックが、微かに脈打つ。
カリンはそれを見つめる。
掌に残る感触。
逃げ場はない。
現実が、そこにある。
「オレ、何なんだよ」
「今は全部は話せん」
ジンライの視線。
まっすぐ。
「強くなれ」
⸻
沈黙。
強くなれ。
その言葉が頭の中で反響する。
リィナの顔。
炎。
銀髪の少女。
(俺は……守られてただけか)
怖い。
だが――
逃げる未来が浮かばない。
あの瞬間。
あの怒り。
あの熱。
嘘じゃない。
息を吐く。
震えが、止まる。
決まる。
⸻
湯呑みを掴む。
手が震えている。
中身が揺れる。
怖い。
全部が。
だが――
離れない。
リィナの顔。
泣いていた…。
助けを求めていた。
何もできなかった自分。
奥歯を噛み締める。
湯呑みを、一気にあおる。
叩きつける。
ガン!
音が響く。
「俺は……」
言葉が詰まる。
逃げる未来が、よぎる。
普通の生活。
安全な日々。
――でも。
浮かぶのは一つ。
炎の中で立っていた自分。
「俺は……!」
顔を上げる。
目が変わる。
「強くなりたい!!」
空気が震える。
「守れるやつになりたい!!」
ジンライを見る。
「じいちゃん――」
一拍。
覚悟。「俺を鍛えてくれ」
沈黙。
湯気の立つ音だけが、かすかに響く。
誰も動かない。
ジンライは座ったまま、カリンを見ている。
視線が重い。
値踏みするように。
その奥を、覗き込むように。
カリンは逸らさない。
逃げない。
喉が鳴る。
それでも、目を外さない。
時間だけが、ゆっくりと流れる。
やがて――
ジンライは、静かに立ち上がる。
「……いいだろう」
低く、落ち着いた声。
一拍。
「「だが――甘い覚悟なら、今ここで捨てろ」
空気が張り詰める。
「半年だ」
一拍。
「半年で基礎を叩き込む」
「……時間は、それしかない」
カリンが眉をひそめる。
「……なんで半年なんだよ」
ジンライは、表情を変えない。
「理由を知りたきゃ、そこまで辿り着け」
低く、言い切る。
赤いスティックが脈を打つ。
応えるように。
湯煙の夜。
少年は――踏み出した。
守られる側から守る側へ。
⸻
その夜。
ジンライは一人、廊下の暗がりで端末を開く。
赤い数値が跳ね上がっている。
適合率――想定値を超過。
「……やはり、早いな」
背後から声。
ハズキ。
「……覚醒が早すぎます」
「……分かっている」
沈黙。
「本当はな……」
小さな声。
「普通の学校に通って、くだらんことで笑って……」
視線を落とす。
「それで十分だった」
ジンライは目を閉じる。
「だが――」
ゆっくりと開く。
「運命は、待ってはくれん」
端末の画面。
カリンの波形が、静かに脈打っている。
その奥で、もう一つ。
規則から外れた“何か”が、微かに混じっていた。
湯煙の向こう。
本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。
――第2話 終
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第2話はカリンの覚悟回でした。
まだ何もできないけど、それでも一歩踏み出したところです。
ジンライとの“差”が、この先どう埋まるのかがポイントになります。
次回から修行編に入ります!
引き続き読んでもらえたら嬉しいです!




