第37話:王都の暗闘
宰相府の執務室。
ヴァルター・フォン・クラウゼヴィッツは、窓の外の王都を見下ろしながら、冷静に状況を分析していた。
辺境が隣国と直接交易を始めた。
第二王子派のグレーフェン侯爵が、辺境との取引に前向きな姿勢を見せ始めた。
辺境内の工作員は排除された。
包囲網が、内側から食い破られている。
「……見事だな」
ヴァルターは静かに呟いた。
彼は無能ではない。だからこそ、辺境の反撃が単なる幸運ではないことを正確に理解していた。
あの辺境には、二つの頭脳がある。
一つは、あの従者。暗殺と工作に長けた、異常なほど有能な影。
もう一つは——従者の背後にいる令嬢。政治と経済の盤面を読み、宮廷の力学を利用する知性。
だが、ヴァルターには最後の手段が残されていた。
「辺境が隣国と結べば、それは国防上の脅威だ。第二王子派が辺境に靡けば、王国の統一が揺らぐ。……もはや政治的手段では間に合わん。物理的に潰す」
宰相は王太子レオンハルトの私室を訪れた。
暗い部屋の中で、王太子は相変わらず虚ろな目をしていた。アリスを失って以来、彼の精神は回復していない。
「殿下。セシリア・フォン・ローゼンベルクが、辺境で反乱を企てております」
「……セシリア、が?」
レオンハルトの濁った瞳に、微かな光——いや、狂気の炎が灯った。
「あの女が王国を裏切っていると申すか」
「はい。さらに、第二王子派の貴族と結託し、殿下の王位を脅かそうとしている証拠がございます」
でっち上げだ。だが、壊れた王太子にそれを見抜く力はない。
「……討伐軍を出す。余自ら総大将として、あの裏切り者を——」
「御英断です、殿下」
ヴァルターは深く一礼した。
王太子が熱狂するのを冷めた目で見ながら、彼は計算していた。討伐が成功すれば辺境問題は解決する。失敗しても、責任は王太子に被せられる。どちらに転んでも、自分の権力基盤は揺るがない。
——あるいは、そのはずだった。
三日後。王国正規軍一万が、辺境ヴェスターマルクに向けて進軍を開始した。
報せはその日のうちに辺境に届いた。
「一万の正規軍……」
エスターの声には、隠しきれない動揺があった。
暗殺者は殺せる。工作員は排除できる。魔獣は斬れる。だが、一万の軍隊を——ループの記憶のどこを探しても、正規軍と戦った経験はない。
「エスター」
セシリアの声が、彼の動揺を断ち切った。
振り向くと、彼女はいつもの碧い瞳で——不敵に、嗤っていた。
「一万の軍隊ですって? ……馬鹿ね。一万人の兵士なんて、一番扱いやすい手駒じゃない」
「……何ですと」
「兵士は命令で動くわ。命令がなければ立ちすくみ、偽の命令を信じれば自滅する。個人の暗殺者より、軍隊のほうがよほど操りやすいのよ」
セシリアは地図を広げ、辺境の地形を指で辿った。
「あの王太子は手柄を焦る。宰相は失敗しても困らないから慎重な作戦は立てない。つまり王国軍は——補給線を軽視した、前のめりの突撃をしてくるわ」
セシリアの指が、魔の森の奥深くを叩いた。
「誘い込むの。此処に」




