表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/44

第36話:蜘蛛の巣を返す


 反撃は、翌朝から始まった。


 セシリアの作戦は三方面同時展開。一つでも遅れれば、宰相に態勢を立て直す隙を与える。猶予はない。


「エスター。まず、これを」


 セシリアが差し出したのは、二通の書簡だった。

 一通は、精緻な装飾を施された上質な羊皮紙。もう一通は、質素だが宰相府の封蝋を模した偽の公文書。


「上の書簡は、辺境からの正式な取引提案書。魔獣素材の独占販売権を、第二王子派の筆頭貴族であるグレーフェン侯爵に提示するもの。……これは本物よ」


「では、下の書簡は」


「王太子レオンハルトの名で書かれた、グレーフェン侯爵への横暴な増税命令書。——偽物よ。あなたが書くの」


 エスターは一瞬、目を見開いた。

 そして——口角が歪んだ。偽造は、彼の最も得意とする技術だ。


「お望みのままに。……アリスの筆跡の時と同じ精度で仕上げましょう」


「ええ。二通を同時に届けるの。王太子の横暴に怒ったところに、辺境からの甘い提案が来る。人間は、怒りの直後が一番判断力が鈍るわ」


 セシリアの瞳は、冷徹な光を帯びていた。

 公爵令嬢として社交界で生き抜くために磨いた、人の心を読み操る技術。それが今、国家規模の策謀として開花している。


 同時に、エスターは第二の任務に動いた。

 隣国エルデンシアとの交易路開拓。


 ヴェスターマルクの北端から国境まで、魔の森を迂回する獣道がある。だが、その道は強力な魔獣の群れに塞がれていた。普通の護衛隊では通過不可能な死地だ。


 ——普通の護衛隊では。


 エスターは単騎で森に入った。

 彼が手にしているのは、ループ時代に学んだ魔獣の生態知識と、数えきれない死線をくぐった戦闘技術。ここでは「未知の敵」は存在しない。魔獣は過去のループでも同じ種族が同じ場所にいた。


 二時間後。

 獣道を塞いでいた魔獣の群れは、一匹残らず殲滅されていた。

 エスターの外套は魔獣の血で赤黒く染まっていたが、彼自身には傷一つない。


 (政治戦では推しに及ばない。だが——こういう仕事なら、まだ俺に分がある)


 交易路が開通したことで、隣国との物資の流れが始まった。塩、薬品、鉄——禁輸令で断たれていた生命線が、王国を経由せずに辺境へ注ぎ込む。


 そして三つ目。

 領内の工作員ヴェインの処分。


 夜更け。南部集落の村長宅に、エスターが音もなく現れた。


「や、やあ……エスター殿。こんな夜更けに何用で——」


 ヴェインの額に、一筋の汗が伝う。

 エスターは微笑んだ。穏やかで、そして底なしに冷たい笑み。


「ヴェイン殿。俺の主が直々に、あなたへの処分を決定されました」


「しょ、処分……? 何の話だ。私は何も——」


「領民の集めた共有基金から、過去二年間にわたり私的に流用していた件。帳簿の写しと証人の証言、全て揃っています」


 ヴェインの顔が、蒼白になった。

 横領——それは事実だった。宰相の工作とは無関係に、ヴェインは元々小さな不正を働いていた。宰相はその弱みを握って工作員に仕立てたのだ。


 エスターは、宰相と同じ手口をそっくり返した。

 暴力ではなく、弱みを握って社会的に抹殺する。


「明朝、領民の前で全てが公表されます。あなたの選択肢は二つ。自ら辞任して辺境を去るか、公開裁判で全てを晒されるか」


 ヴェインは、その夜のうちに荷物をまとめて辺境から姿を消した。


 三つの矢が同時に放たれた。

 第二王子派への工作、隣国との交易路、内通者の排除。

 セシリアの頭脳とエスターの実行力が、初めて完全に噛み合った瞬間だった。


 王都では、宰相ヴァルターが報告書を読んで——初めて、舌打ちをした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ