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第34話:悪役令嬢の計算


 門を開いたセシリアの前に、二十数名の領民が立っていた。


 彼らの顔には、飢えと疲労と、そして微かな怒りが滲んでいた。三ヶ月前、セシリアを「魔を打ち払う女神」として崇拝していた者たちの、変わり果てた姿。


 セシリアは一歩、前に出た。


 言い訳はしない。

 弁解はしない。

 それは彼女が公爵令嬢として叩き込まれた、最も基本的な統治の原則だった。——民が苦しんでいる時、領主が言い訳をした瞬間に、信頼は二度と戻らない。


「聞きなさい」


 セシリアの声が響いた。

 柔らかくもなく、冷たくもない。ただ、圧倒的な確信に満ちた声だった。


「王国が我々への物資を止めた。塩が足りない。薬が足りない。それは事実よ」


 領民が身じろぎする。領主自らが窮状を認めるとは思っていなかったのだ。


「でも、聞き違えないで。塩がないのは、あなたたちが何か悪いことをしたからではないわ。王都が——王太子が——私たちの繁栄を妬んで、子供じみた嫌がらせをしているだけ」


 セシリアの碧い瞳が、一人一人の領民をまっすぐに見据えた。


「王国の塩がなくても、私があなたたちを生かしてみせる。——私を信じなさい。あるいは、信じられないなら、黙って見ていなさい。結果で示すわ」


 沈黙が落ちた。

 やがて、一人の老婆が膝を折った。「セシリア様……」。それに続くように、他の領民たちも頭を垂れていく。

 セシリアのカリスマは——エスターが裏から操った「偽りの崇拝」ではなく、彼女自身の言葉が生み出した、本物の求心力だった。


 館に戻ったセシリアは、執務室の大机に地図を広げた。

 エスターが控える前で、彼女は一転して冷徹な分析を始めた。


「エスター。宰相の包囲戦の穴は三つあるわ」


「……三つ、ですか」


「一つ目。王位継承権」


 セシリアの指が、地図上の王都を指した。


「レオンハルト王太子の評判は地に落ちている。アリスとユリウスの一件に加え、私への理不尽な追放まで。宮廷では第二王子派の貴族たちが勢力を増しているはず。彼らは宰相の強権発動を快く思っていない——なぜなら、宰相が成功すれば王太子の権威が回復し、第二王子派は不利になるから」


 エスターの目が見開かれた。

 そんな視点は、一度も考えたことがなかった。ループ時代の彼の世界には「宮廷内の派閥争い」など存在しなかった。セシリアが序盤で死ぬ世界では、そもそも王太子の権威が揺らぐことすらなかったからだ。


「二つ目。地理」


 セシリアの指が、辺境の北端——国境線を辿った。


「ヴェスターマルクは王国の最北端。つまり、国境の向こうは隣国エルデンシアよ。王国の禁輸令は隣国には及ばない。魔の森を迂回すれば、直接交易路を開ける」


「しかし、魔の森の迂回路には——」


「魔獣がいるでしょう? それは、あなたの仕事よ」


 セシリアが微笑んだ。エスターは思わず口を噤んだ。


「三つ目。我々の切り札」


 セシリアは机の上に、魔の森から採取された希少な魔獣素材の見本を並べた。


「魔獣の牙、鱗、魔石。これらは王国内では入手不可能な希少品よ。第二王子派の貴族に、これらの独占取引権をチラつかせる。同時に隣国にも同じ提案をする。辺境を経済的に孤立させるどころか——私たちがいなければ手に入らない宝を、彼らに見せつけるの」


 セシリアの提案は明快だった。

 暴力ではない。暗殺でもない。政治と経済の盤面で、宰相の包囲網を内側から切り崩す。


 エスターは、静かに息を呑んでいた。


 (推しが——俺には考えもつかなかった策を提示している)


 ループ時代、エスターの戦い方は常に「暗殺と工作」だった。敵を特定し、弱点を突き、排除する。それは「個人」を相手にした戦いの極致であり、彼の得意分野だ。

 だがセシリアが見ているのは、もっと巨大な盤面だ。国家間の力関係、派閥の利害、経済の流れ——エスターの暴力では到達できない、まったく別の次元の戦場。


 推しは、強かった。

 箱庭の中に閉じ込めておくには——あまりにも。


「……セシリア様。恐れながら」


「なに?」


「見事な策です。俺は——あなたの剣として、全力でこれを実行いたします」


 セシリアが、ほんの少しだけ目を見開いた。

 エスターが自らを「剣」と呼んだのは、初めてだった。これまでの彼は常に「影」であり「盾」であり、推しの知らないところで全てを処理する「守護者」だった。


 だが今、彼は——セシリアの意志を実行する「道具」となることを、自ら選んだ。


「ふふ。頼りにしているわよ、私の怪物」


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