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第28話:箱庭の完成


 ユリウスが消えてから、一ヶ月後。


 ヴェスターマルクは、もはや「死地」とは呼べない場所に変貌していた。


 エスターの政策により、農地は豊かな実りを見せ始めた。

 魔の森との境界には堅牢な防壁が築かれ、影喰いの大蛇を含む魔獣たちは「天然の外敵排除システム」として機能している。

 領民の生活は安定し、人口も少しずつ増え始めていた。


 そして何より——古代兵器と魔獣の脅威を打ち払った「女領主セシリア」の名は、領民の間で神話的な崇拝の対象となっていた。


「セシリア様は、魔の森の脅威を退けた守り神だ」

「あの方がいる限り、この土地は安全だ」

「王都の連中がなんと言おうと、我々の領主はセシリア様だけだ」


 領民たちの信仰は、エスターが裏から丁寧に育てたものだ。

 セシリアの功績を伝える吟遊詩人を雇い、彼女の名を冠した祭事を企画し、領民集会では常にセシリアの徳を讃える話題が出るよう仕向けた。

 結果として、ヴェスターマルクはセシリアの絶対的な領地——外部の権威を一切必要としない、閉じた王国と化していた。


 ある日の夕暮れ。

 セシリアは領主館のバルコニーから、夕焼けに染まる領地を眺めていた。

 彼女の背後には、いつものようにエスターが控えている。


「……綺麗ね」


「はい。セシリア様のご領地に相応しい景色です」


「ふふ。これが追放先の荒野だったなんて、信じられないわ」


 セシリアはグラスを傾けた。

 エスターが選んだ、南方の葡萄園から取り寄せた極上の白ワイン。


 穏やかな夕暮れ。安全な領地。忠実な領民。

 そして、何よりも——傍らに控える、絶対の守護者。


 セシリアは全てに満たされていた。

 だが、その「満足」の本質を、彼女自身が最も正確に理解していた。


「ねえ、エスター」

「はい」

「王都から、帰還命令が来ていたわね」


 先日、王家からセシリアの帰還を求める書状が届いていた。

 アリスの共犯者ユリウスの逮捕により、セシリアへの嫌疑は完全に晴れた。王太子の暴走も宰相によってようやく抑制され、体面上、追放令の撤回と婚約の再検討を持ちかけてきたのだ。


「はい。王都への帰還をお望みでしたら、直ちに——」


「いらないわ」


 セシリアの声は、凪いだ湖面のように静かだった。


「王太子との婚約も、王都での社交も、公爵令嬢としての地位も。……全て、もういらない」


 彼女は振り返り、エスターを真っ直ぐに見つめた。

 碧い瞳の奥には、茶会の夜に芽生えた「依存」が、いまや巨大な樹木のように根を張り巡らせていた。


「私が王都に戻れば、あなたの目の届かない場所で誰かに暗殺されるかもしれない。宮廷の陰謀に巻き込まれるかもしれない。あなたの知らないところで、私が殺される可能性が生まれる」


「……仰る通りです」


「でも、ここにいれば——あなたが全てを管理してくれるでしょう? 領地の隅々まで、私の生活の全てを。あなたの目が届かない場所など、一寸もない。……違う?」


 エスターは答えなかった。

 だが、わずかに目を見開いている。

 推しが——自分の「箱庭」の本質に、自ら気づいている。


「私は、あなたが作ったこの箱庭(鳥籠)の意味が分かっているわ、エスター」


 セシリアの声が、暮れなずむ空気の中で、甘い毒のように響いた。


「あなたは、私を外界から隔離したかった。私の身の回りの全てを支配し、脅威を排除し、私が絶対に死なない世界を作りたかった。……ここは、あなたが私のために作った、完璧な檻よ」


「セシリア様……」


「知っているわ。最初から気づいていた」


 セシリアは一歩、エスターに近づいた。

 そして、彼の胸元に手を置き、見上げた。


「でもね、エスター。——私は自分から、この檻の中に入るの」


 エスターの息が、止まった。


「私の周りに群がるのは、私を陥れる敵か、私に媚びる愚者のどちらか。私を心から守り、理解してくれるのは、あなただけ。……だから、もう此処から出ない。あなたの用意した箱庭で、あなたと二人きりで生きていく」


 彼女はエスターの首元に腕を回し、囁いた。


「——私の視界から一歩も外に出ないで。あなたは、永遠に私のものよ」


「……御意のままに。——永遠に」


 エスターは、静かに推しの体を抱きしめた。

 三千回の死を超えて、ようやく辿り着いた結末。

 推しが——自らの意志で——怪物の用意した鳥籠の鍵を閉めてくれた。


 これ以上の幸福はない。これ以上の勝利はない。


 バルコニーの向こうでは、ヴェスターマルクの夕焼けが、世界の終わりのように美しく燃えていた。


 遠い王都では、王太子レオンハルトが愕然としている頃だろう。

 追放した「哀れな元婚約者」が、辺境で豊かに君臨し、帰還命令を突き返してきた——その屈辱に、彼がどれほど歯噛みしているか。

 だが、もはやセシリアにとって、王太子も王都も、この箱庭の外側の出来事にすぎない。


 完璧な箱庭。

 完璧な鳥籠。

 完璧な、二人だけの世界。


 こうして、推しのために世界すら作り変える怪物と、その怪物に自ら鎖を掛けた悪役令嬢の——最悪で最高に血みどろな蜜月の、新たな幕が上がった。


(第二章 完)


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