第24話:推理の解剖台
翌朝。セシリアは地下室から出ると、破壊の爪痕が残る領地を見渡した。
幸い、エスターの迅速な避難指示のおかげで、領民に死者は出ていない。
だが、森の東側は半径二百メートルにわたって更地と化しており、その中心に巨大な石の残骸が転がっていた。
「——エスター。あなた、怪我をしているわね」
報告に来たエスターの右腕が包帯で吊られているのを見て、セシリアの眉が鋭く吊り上がった。
「些細な負傷です。ご心配には及びません」
「嘘をつかないで。骨が折れているでしょう」
セシリアはエスターの腕を取り、包帯の上からそっと触れた。
その指先が震えている。怒りか、心配か、あるいはその両方か。
「あなたが死んだら、私はどうなるの」
その言葉は、主従の心配を超えていた。
あなたがいなければ私は生きていけない——それは、もはや感情ではなく「事実」だった。
「……申し訳ございません」
エスターが頭を下げるのを見て、セシリアは深く息を吐いた。
そして、感情を整理するかのように、冷静な声で問いかけた。
「エスター。あの石の巨人は、自然に動き出したものではないわね?」
「はい。何者かが、意図的に封印を解除し、起動させたものと思われます」
「つまり、私たちに向けた攻撃ということ」
「その通りです」
「……犯人の心当たりは?」
エスターは一瞬だけ逡巡した。
だが、推しに嘘をつくことのリスクと、真実を共有することのメリットを天秤にかけ——後者を選んだ。
「王太子の側近、ユリウス・ヴァン・ヘルツォーク。隣国エルデンシアからの留学生です」
セシリアの目が、鋭く光った。
あの謁見の間で、婚約破棄の場に「偶然」居合わせ、追放先としてヴェスターマルクを「提案」した男。
「……なるほど。繋がったわ」
セシリアは執務室の椅子に腰掛け、指先で顎を支えながら思考を巡らせた。
彼女の推理が、パズルのピースを組み上げていく。
「第一に、婚約破棄の場面。あの場で辺境への転封を『穏便な処置』として進言したのは、ユリウスだった。つまり私をこの辺境に送り込むことは、彼の計画の一部」
「第二に、辺境での異変。あの古代遺跡の封印は、到着前にあなたが施した——違う?」
エスターが無言で頷く。
「あなたが封印を施したにもかかわらず、それが破られた。しかもあなたの結界の構造を理解した上で。……つまり犯人は、あなたの技術に匹敵するか、あるいは『この世界の仕組みそのもの』に関する、あなたとは別種の知識を持っている」
セシリアの推論は、エスターの分析とほぼ一致していた。
だが、次の一言が——エスターの想定を超えた。
「そして第三に。この辺境が『死地』であることは、王都の誰もが知っている。にもかかわらず、ユリウスは『追放』で済ませた。直接手を下すのではなく、『辺境の脅威』を利用して私を殺そうとしている。……なぜ?」
セシリアは自問する。
「答えは二つ考えられる。一つ、彼は自分の手を汚したくない慎重な性格。二つ——彼は、この辺境に存在する『脅威』を、私たち以上に詳しく知っている。古代兵器の存在、起動方法、破壊力。通常の調査では得られない、設計図のような……」
彼女の声が途切れた。
碧い瞳が見開かれ、あり得ない仮説に辿り着く。
「——ねえ、エスター。もしかして彼は……あなたと同じ『種類』の人間なのではなくて?」
エスターの心臓が跳ねた。
「同じ種類、とは」
「『未来を知っているかのように動く人間』よ。あなたが私を守るためにそうするように——彼もまた、何かを知っている。この世界の裏側を。……違う?」
沈黙が落ちた。
暖炉の薪が爆ぜる音だけが、広い執務室に響く。
エスターは、推しの聡明さに戦慄した。そして同時に、歓喜した。
「……セシリア様は、本当に恐ろしいお方だ」
「褒め言葉として受け取っておくわ。——それで、この推理は当たっているの?」
「当たっています。奴は恐らく——この世界の『設計図』を持っている人間です」
「設計図」
「はい。この世界がどのような法則で動いているか、どこにどんな脅威が潜んでいるか。それを『知識』として保有している。……そして、その知識を使って、セシリア様を殺そうとしています」
セシリアの目が、冷たく燃えた。
「なるほど。つまり、ゲームの攻略本を持っているプレイヤーが、盤外から私たちを殺しに来ているということね」
その比喩の正確さに、エスターは思わず目を見張った。
「——そして、あなたはその攻略本の内容を、『実際に死ぬこと』で学んだ人間。……合っているかしら?」
エスターは答えなかった。
だが、その沈黙が、何よりも雄弁な肯定だった。
セシリアは立ち上がり、窓際に歩み寄った。
魔の森を見つめるその横顔に、恐怖はなかった。
「ならば、勝てるわね」
「……はい?」
「攻略本を読んだだけの人間と、実際にそのゲームで三千回死んだ人間。——どちらが強いか、考えるまでもないでしょう?」
セシリアは振り返り、微笑んだ。
その笑みは、悪役令嬢の矜持と、怪物への絶対の信頼で構成されていた。
「やりなさい、エスター。あの男を——私たちの箱庭から、排除して」
「——御意のままに」




