第19話:箱庭の入口
七日目の夕暮れ。
馬車が最後の峠を越えた時、セシリアの目に飛び込んできたのは——凄まじい荒野だった。
灰色の空。枯れた草原。そしてその向こうに、天を貫くような黒い森の壁。
魔の森——この王国で最も危険とされる原生林が、視界の端から端までを埋め尽くしている。
その森の手前に、ぽつりと小さな集落が見えた。石造りの粗末な家々が十数軒。それが、ヴェスターマルク伯領の「城下町」だった。
「……これが」
「はい。セシリア様の新たなご領地でございます」
エスターの声は、いつもと変わらず穏やかだ。
セシリアは馬車の窓に額をつけ、しばらく無言で荒野を見つめていた。
——私は、ここで死ぬのかしら。
その思考が浮かんだ瞬間、エスターの声が割り込んだ。
「セシリア様。到着前に、一つだけお伝えしたいことがございます」
「なに?」
「この地は、必ず貴女様に相応しい場所になります。——私が、そうします」
馬車が集落に入ると、領民たちが恐る恐る姿を見せた。
痩せた顔。擦り切れた衣服。生気の薄い目。
彼らは新しい領主を迎えるというよりも、「王都から送られてきた厄介者」を遠巻きに警戒しているようだった。
だが、セシリアが馬車から降り立った瞬間——空気が変わった。
紺碧のドレスは旅の埃に塗れていたが、その佇まいは紛れもなく大貴族のものだった。冷たい北風に銀髪が靡き、凜とした碧い瞳が領民たちを真っ直ぐに見据える。
「——私はセシリア・フォン・ローゼンベルク。本日より、この地の領主となる者です」
媚びず、怯えず、卑屈にもならず。
追放された身でありながら、彼女は一片の品位も失っていなかった。
「この地の苦境は承知しています。私に何ができるか、まだわかりません。ですが——共に生き、共にこの地を守ることを、ここに誓います」
領民たちの間にざわめきが走る。
歴代の領主は、赴任初日から不平を垂れ、領民を見下し、数ヶ月もしないうちに逃げ出すか死ぬかのどちらかだった。
この若い令嬢の眼差しは、それとは明らかに違う。
その背後で、エスターは静かに口角を上げていた。
(——ああ、やはり推しは最高だ)
推しは、どんな絶望の中でも折れない。
だからこそ守り甲斐がある。だからこそ、三千回の死を乗り越える価値がある。
セシリアが領民に挨拶をしている間に、エスターは既に動き始めていた。
事前に配置した部下たちに、最初の指令を飛ばす。
——箱庭の建設を、開始せよ。
翌日から、ヴェスターマルクは異常な速度で変貌を遂げていくことになる。
エスターが三千回のループで蓄えた知識——農業技術、建築工法、防衛設計、交易ルート——の全てが、この小さな辺境に注ぎ込まれる。
表向きは「有能な従者の献身」。
その実態は、推しを閉じ込めるための、完璧な鳥籠の建設だった。




