第12話:「俺の役目」
「アリス嬢の暗殺を企てた魔女! セシリア・フォン・ローゼンベルクを捕らえよ!」
1372回目の王宮。何度目かの同じ光景。 エスターは、押し寄せる百人の近衛騎士団を前に、単騎で死地を守っていた。 彼の黒い従者服は既に自身の血で赤黒く染まり、二振りの長剣の刃は無惨に欠け、肺からはゼイゼイと酷い喘鳴が漏れている。全身の骨は砕け、立っていることすら奇跡だった。
これまでのループで得た無数の殺人術、戦闘技術、魔法の防壁。 それらを全て動員しても、「最強の騎士団長」や「王家の聖剣の加護」といった強力すぎるシステム補正の波を、たった一人のモブが正面から跳ね返すことなど不可能だった。
「——そこまでよ、エスター!」
背後で、あの愛しい凛とした声が響いた。 振り返ると、セシリアが自ら首に縄を巻かれたように背筋を伸ばし、騎士たちの前に進み出ていた。 いつもの高貴な公爵令嬢のドレスではなく、粗末な白い寝衣のままだが、その気高さは微塵も失われていない。
「セシリア、様……逃げて、ください。俺はまだ、戦えっ——がはっ!」
一歩踏み出した瞬間、強引に動かした身体から大量の血が吹き出し、エスターは泥まみれになりながら膝をついた。
「もういいのよ。あなたは、十分私のために戦ってくれたわ」
セシリアは、震える白い手で、エスターの泥と血にまみれた頬をそっと撫でた。 信じられないほど、温かかった。 彼が守りたかった、ただ一つの熱。
「ありがとう、エスター。私の最も忠実な騎士よ。どうか……生きて」 「……いやっ、姫様……っ! やめろ、放せっ!」
拘束され、断頭台へと連行されていくセシリアの背中に向かって、エスターは血反吐を吐きながら絶叫した。 直後、近衛騎士の蹴りが彼の側頭部にめり込み、意識は永遠の闇へと沈んでいった。
また、守れなかった。 自分が無力なばかりに。自分が「主人公」ではないばかりに。
——1373回目の朝。 ベッドの上で目を覚ましたエスターは、もう叫び声を上げる気力すら無かった。 彼の心の中で、何かが音を立てて砕け散った。
(剣を振っても勝てない。魔法の威力を上げても跳ね返される。王族に正論を説いても洗脳に対抗できない。どれだけ俺が強くなろうと……『ヒロイン』の表舞台である光の世界では、モブの俺には絶対に勝てない)
エスターは、鏡に映る無惨に濁った自分の双眸をじっと見つめた。 その顔は、ただ真っ直ぐに主を慕っていた少年のものではなく、数千回の無力感と後悔という劇薬で形作られた、冷たい「死人」の顔だった。
(なら……舞台に上がるのをやめよう)
彼は深く、冷たい息を吐いた。
(光の中の正々堂々とした護衛騎士なんて、そんな格好いい役目は俺には似合わない。アリスのシナリオ補正は「イベントが発生した時」に強力に作動するならば——そのイベントが『起こる前』に、裏から全部ぶっ壊せばいい)
神がアリスに用意した、主人公無双のシナリオ。 俺は、そのシナリオに一切顔を出さない。舞台の下の暗闇に潜り、ただ配線を引き抜き、大道具を腐らせ、彼女が用意した毒や罠を、彼女自身に向かって静かにすり替える。 誰も俺がやったと気づかない。セシリア様でさえも気づかない。 それでいい。
「俺は、主のために泥と血の中で立ち回る……完璧な裏方の怪物になろう」
鏡の中の男が、初めて静かに、そして狂気的に微笑んだ。 それが、幾千の絶望から生まれた『最強の執事』の産声だった。




