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縁の理(えにしのことわり)下巻~理不尽で不可解な溺愛と執着は、生まれる前に交わした約束とキスの証明  作者: 平瀬川神木


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第8話 コウシナカモト

 今この時、この場所の時間の流れは限りなくゼロに近い、ゆっくりとした流れになっている。冴子の肉体を失った冴子の魂といえる存在が、笑顔で真理雄に言った。

「真理雄。ごめんだけれど、どうやら私はもう人類存亡の危機を救うことはできなさそうなの。次のReTakeでもう一度冴子としての生命体をやるのは難しそう」


「え?じゃあ……」

 冴子は段々と薄く透明に近づいていた。


「冴子という運命はあまりにも激しくってね、アニマとしての私もそろそろ擦り切れてしまうみたい……でも楽しかったわ。もう冴子という存在は失われるし、私も情報伝達の存在としての役割を果たせなくなるけれど、他のアニマたちのためにも、人類滅亡の危機を回避することに努力は続けてよね」


「嫌だよ。冴子さんが消えてなくなるのは。それだけの能力を持った人間なんてそうそう居ないんだ。それに……なんか……多分寂しいよ」


「アニマらしくない感想ね。真理雄。あなたも人間をやり過ぎたんじゃないの?そんな人間っぽい感情を持ってしまったら、人類を滅亡させない道を冷静に探して実行するなんてできなくなってしまうわよ?あなたも潮時なんじゃない?」


「……そうかもしれないね。そうかも。他のアニマたちにも問いかけてみるよ。ゴメンね、冴子さん。何度も何度も苦しい思いをさせて」


「いいわよ。それも含めて人間の感情は他の生物にはない、ほかの物質にはない素敵なものなのだから。じゃあね。ありがとうね……」


 真理雄がふっと目を開くと、そこは御殿山セーフハウスのミーティングルームで、音やにおいの感覚が確かにある世界に戻った。


 光也の隣に座っていた真理雄が席を立って、光也に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい光也さん。僕が何度も間違えたせいで、冴子さんはもう戻ってこない。やり直すたびにあんなつらい経験を何度もさせたせいで、冴子さんの魂は擦り切れて消えてしまいました。光也さんだってそうなるかもしれない。だからもう、同じことは繰り返さない」


 光也は少し驚いた表情を浮かべた。

「なんだよ何度も間違えたって。なんかさぁ真理雄。気持ち悪いこと言うなよって気持ちにならないのはなんでだろう?僕は死後の世界とか、魂とかある訳ないじゃんって思っているんだけれど、なんだか少しだけ冴ちゃんともう二度と会えなくなったんだって気持ちになっちゃったよ。記憶のどこかでさぁ、何度も冴ちゃんと同じ景色を見てた気がする。とにかくさぁ、真理雄がそういうんだったら、今回は冴ちゃん死んだけれど、この後うまくやろうよ。何のことだかわからないけれど、もうやり直さないでよいようにさ」


 真理雄の瞳から涙がこぼれ落ちる。

「僕も人類が滅亡しなければそれでいいって思っていたけれど……人間を長いことやり過ぎたみたいです。僕のそばにいる人が消えてなくなることが、本当にしんどいです」


「わかったよ真理雄。何言ってんだかわかんないけどさ。じゃあとりあえず、あとで僕にヤマザキのシベリア10個くらい買ってきてよ。まずはそこから始めようよ」


 真理雄は笑顔を光也に向けた。

「1年間毎日1個でどうですか?」


「おおお、365シベリアかよ……1年間はNSSやめられないじゃん。真理雄をこれからは真理雄さまと呼ぶことにするよ」


 笑顔と涙を漏らして上村が光也を睨んだ。

「光也!俺はシベリアより下かよ」


**


 時を遡る事30数年前。


北海道札幌市、地下鉄南北線の麻生駅からほど近いマンションの8階。火曜日の昼下がり、カーテンが閉められている一室。仲本光志なかもとこうしがベッドの上で目を覚ました。自分の部屋の扉を開けると、静かな廊下が広がっている。


 光志はトイレから出たあと廊下を歩きだす。洗面所で手を洗うことも、起床時の洗顔を行うこともなく、冷蔵庫からコカ・コーラライトの白い缶を取り出した。


 リビングの窓をふさぐ、閉めたままのカーテンの隙間から、うっすらと陽射しが差し込むダイニングテーブルの上には、一皿にまとめられたおにぎり二つと卵焼き、唐揚げが3つ。

 光志は朝ごはんとして用意された食事をこの時間に食べるのか、時間軸を優先して昼ごはんとして食べるのか、一瞬迷ったが軽くうなずくとその皿を持って自室に戻った。


 本来光志はこの時間、小学校6年生として授業を受けているべき立場にいる人間だが、もう3年間ほど学校には行っていない。学校どころかこのマンションの居住スペースから最後に出たのは、いったいいつ頃だったのかも覚えてはいない。

 

 保育園のころから変わっていると言われてはいたが、光志にとって保育園という場所は、自分が面倒を見てやる必要がある子どもたちが集まっている場所。

 結果、率先して教員の手助けを行う子どもだった。

 光志にとってそれは、あくまでも子どもを相手にしている感覚であり、自分が窮屈さを感じることはなかった。


 小学校に入学して、2年間程度は周囲にいるのはどうにも子どもなので、保育園の延長線上に位置付けていたが、3年の夏休みが始まる頃には半数の子どもは可愛さが薄れてきており、夏休みが終わるころに、光志は学校に行きたくないと言い始めた。


 学校教師の勧めもあり、父と母は光志を連れて精神科で診断を受けたが、その結果、光志はASD(自閉スペクトラム、旧称アスペルガー症候群)と診断された。そして児童版ウェクスラー式知能検査で全検査数、つまりIQが160と判定された。


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