止まったままのホーム
時間が止まったようなホームだった。
駅舎の木の香りが、胸の奥の古い引き出しをそっと開ける。色あせた料金表にはまだ「おとな110・こども60」と書かれていた。意味を失った数字だけが、当時のまま壁に取り残されている。
電車は一時間おきのはずだが、もう長いこと来ていない。
それでも、ここに立つだけで風景は戻ってくる。早朝の白い息、顔ぶれの変わらない乗客たち。ブレーキの擦れる音と、ドアが開くときのあの湿った空気。
目を閉じれば、まだ世界は続いているように思えた。
ここから私の時間は、止まっていたのだ。
──カン、カン、カン。
突然、踏切が鳴りはじめた。赤い光が静かな駅に脈打つように点滅する。ついに時間が追いついてしまった。
この時代にいつまでもいたかった。でも、ここは間もなく消滅する。
やがて電車が姿を見せた。薄汚れた車体。ゆっくり開くドア。
頬に当たる風は、あの頃と同じ温度だった。
私は一歩、足を踏み入れた。
この先に何があるのか、もう知っている。
懐かしい顔ぶれがこちらを向く。話したことはない。けれど、確かに日々をともにした人たち。
ずっと、あの日のまま待っていてくれたのだ。
電車は静かに揺れながら、私を乗せて走り出した。
「次は——令和、令和」
新しい時代の名前が、やけに大きく車内に響いた。
車内のアナウンスに、胸の奥がわずかに軋んだ。
あちらでは、私を待つ現実が息を潜めている。
慣れない街。知らない匂い。新しい生活。
すべてが、まだ“私の時間”になっていない。
ここなら、息ができる。
ここだけは、置き去りにした私が今も立っている。
次の駅で降りるか、それとももう少しだけこの揺れに身を任せるか。
まだ決められないままだった。
──ふと気づく。
私はずっと、前の人生が終わった瞬間の駅に腰を下ろしていた。
いつか、またあの駅を訪れるかもしれない。けれど今はまだ、死ぬための駅ではない。そこは、前の人生から一度腰を上げて、歩き始めるための途中のプラットフォームだった。




