第三話 交差する声、眠れる機構
朝靄のかかる村の広場は、どこか神秘的な静けさを湛えていた。
リョースケはまだ慣れない布団から這い出て、息をついた。窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。異世界の空気にもようやく馴染み始めたようだが、それでも朝は肌寒い。
村に来て三日が経った。初日はリオナの家で世話になり、次の日からは村長ラグスの計らいで空き家を借り受けて暮らしている。村人たちも徐々にリョースケの存在に慣れ始め、挨拶を交わす程度の関係は築けていた。
「……さて、今日も行くか」
彼は腰に工具袋を提げ、村の広場に向かった。あれからリオナの紹介で村の雑用――という名目の手伝いをしており、木工や道具の修理、畑の補修など、できる範囲で貢献していた。
この世界では【技術】に関する知識を持つ者が少ない。彼の「電子改変」はまだ使っていないが、持ち前の理工的な考え方だけでも、村人には十分「便利な青年」に映っているようだった。
「おう、リョースケ!今日も来てくれるのか!」
声をかけてきたのは、屈強な体躯の農夫・ゲルダンだった。無骨だが気のいい男で、最近はリョースケの修理技術にすっかり惚れ込んでいる。
「水車の羽、仮で補修してたやつ、今日は本格的に付け替えようと思ってて」
「ありがてぇ!あれが直れば、粉ひきが楽になるんだよなあ」
リョースケは笑ってうなずく。こうした地道な日々の繰り返しは、大学での慌ただしい日常とは違う、どこか安心感のある時間だった。
だが──その静けさは、どこか不自然なほど穏やかすぎる、とも感じていた。
「村の外で、また小動物の遺体が見つかったらしい」
昼食後、リオナが不意に口にした。
彼女とは村の見回りで一緒になることもあり、最近は表情も少しだけ和らいできた。だが、根本にある“傭兵としての鋭さ”は常に感じさせる。
「食い荒らされた感じ?それとも……」
「わからない。ただ、魔物の痕跡がない。しかも、妙に『焼け焦げたような』状態だったって」
リョースケは一瞬だけ背筋に冷たいものが走った。
(まさか……電気系の何かか?)
この世界にも雷系の魔法はあると聞いている。しかし、自然発生的なそれとは違う──「人工的な痕跡」という言葉が、彼の脳裏に浮かんだ。
「関係ないといいけど」
そう言ったリオナの横顔には、わずかに迷いが滲んでいた。
その夜、リョースケは久しぶりにスキルを展開してみた。
小さな作業机に、壊れた農具の部品を並べ、指先から淡い青い光を流し込む。
「電子改変……対象部品、性質分析──構造解析開始」
彼のスキルは“電気的構造の改変”を主軸とする、まさに異分子の力だった。この世界では見られない回路図や熱応答、材質応答などの数値が、彼の視界に浮かび上がる。
ふと、スキルの反応に混じって、わずかに“外部のノイズ”が割り込んできた。
「……?」
空間の奥に、何か“別の信号”が走っている。
まるで、この世界の裏側に、もう一つの“レイヤー”が存在しているかのような感覚──。
その時、机の隅に置いていた装置が、一瞬だけビリ、と音を立てて光を放った。
「……これは」
スキルの範囲外、明らかに自分の制御を逸脱した“何か”が反応したのだ。
小さな違和感。それは、限りなく深い深淵へと続く裂け目だった。
翌日、村に新しい旅人が訪れた。
旅の商人を名乗るその男は、鮮やかな青のマントを羽織り、どこか洗練された所作を見せていた。
「失礼します、こちらに宿は……?」
村人たちは歓迎しつつも、警戒心を隠せなかった。だが、その男は愛想よく村長と話をし、数日滞在の許可を得た。
「……なぜか、目を逸らされた気がする」
すれ違いざま、男の視線が一瞬だけリョースケを捉えた。
明らかに、ただの商人ではない──そしてその男が残していった小さな“箱”を、夜の闇でふと発見したとき、リョースケは思わず息を呑んだ。
箱の側面には、見覚えのある記号が刻まれていた。
──【統合制御番号:レイヤー7-A】──
それは、彼が元いた世界で、軍事研究の端にちらりと見たことのある形式だった。
「……ここにもあるのか、あの世界の“影”が」
彼は小さく呟き、箱をそっと懐に収めた。
日々は確かに静かに流れている。だが、穏やかな日常の裏側で、何かが静かに“蠢いている”。
それを知っているのは、今のところ──リョースケだけだった。