あれ? 転生したら、おじさんでした
「あれ? 何かおかしくない?」
その瞬間、足元が揺れ、地面が波のように揺らめいた。
「うっ⋯⋯」
思わず慌てて道路端に身を寄せた。側の民家の塀も揺れ、不気味な音を立てている。
(駄目だ⋯⋯)
崩れ落ちるブロックが、自分の身体を押し潰す――そう確信した瞬間、全身を氷水に浸されたかのような、強烈な冷たさに襲われた。昨日のことだ。
「リプライ様、お加減はいかがでしょうか?」
声をかけてきたのは、大神官の補佐を務めるアッシャーという男だった。
僕の名前は港。見た目は30歳のおじさんだけど、心は12歳だ。塾からの帰り道、突然の地震に巻き込まれ、命を落とした――はずだった。気が付くと、僕は裸で水の中にいた。少し小さめのプールの様な所から引き上げられているところだった。命があった事にホッとしたのか、直ぐに全身の力が抜け、意識を手放してしまった。
◇1日目◇
「誰?」
僕は、ベッド横に座る見知らぬおじさんに声を掛けた。
「も〜う、リプライ様、冗談はよして下さいよ。あなたの大事な補佐である、このアッシャーを忘れたなんて言わせませんよ!」
(あれ? 僕の事、リプライ様って呼んでる? え?)
思考が追いつかない。混乱の中、頭の中はぐるぐると回っている。
「まったく⋯⋯、大神官ともあろう方がキョロキョロとなさって、子供じゃないんですから、お止めください!」
「大神官? 子供じゃない? 何でだよ、僕――」
(12歳だぞ!)そう口に出しかけた瞬間、横からさっと鏡を差し出された。
「仕方のない方ですね。いくら激務だからといって、とぼけても仕事は減りませんよ。さあ、鏡を見て、ご自身のお立場をよ〜く思い出しましょう、ね?」
僕が恐る恐る鏡を見ると⋯⋯。
「うわああああ!!」
思わず、悲鳴のような叫び声を上げてしまった。そこに映っていたのは、頬が痩け、薄っすらヒゲの生えたおじさんだった。どう見ても30歳を過ぎた、疲れた顔色のおじさんが、そこにいたのだ。
「はいはい、お静かに⋯⋯今、お薬とお食事をお出ししますからね」
アッシャーの声に従い、僕は黙って食事をとる。心の中では、塾の先生に言われた「知らない問題に直面したら慌てるなよ、まず観察しろ!」という言葉を思い出していた。
食事をしている間、アッシャーは丁寧に僕の状況を説明してくれる。どうやら僕は、大神殿の祈りの泉(僕が小さなプールだと思っていた所)で祈祷していたらしく、予定時刻を過ぎても出てこなかったため、心配になって駆けつけてくれたのだと。
(これって、まさか⋯⋯転生ってやつか? 姉ちゃんが漫画にハマりまくって勉強しないから、母さんに取り上げられてたあれか? いや、あれはあくまで漫画だ。僕、受験勉強のし過ぎで、疲れちゃってるだけだよね⋯⋯?)
そう思った瞬間、もう一度寝ようと決めた。でも、残酷な事に、僕の身体は、目覚めてもやっぱりおじさんだった。
◇2日目◇
現在、2回目の食事中。
「さて、今日の予定は取りやめましたが、明日からは、懺悔室に出向いて貰いますよ?」
「懺悔室って?」
アッシャーの言葉がわからず、疑問を投げかけた。
「もう、そこからですか? しつこくありません?」
溜息混じりに、アッシャーが信者の悩みを聞いて、ありがたい言葉を授けたり、勇気を与える部屋だと教えてくれる。
「できない⋯⋯記憶がないんだ⋯⋯」
呟いた言葉を、アッシャーは全く信じてくれない。むしろサボる口実だと思ってるみたい。
(人生12年しか生きてないんだぞ、僕にそんな事出来るわけないじゃないか⋯⋯)
どんなに頭をフル回転させても、出来る気がしなかった。仕方なく、もう一度布団を被って目を瞑る。
(姉ちゃんが読んでた漫画は、悪役令嬢の幼い頃に転生したり、少なくても自分と同い年くらいに転生してたよな? 何で僕だけおじさんなんだよ⋯⋯っていうか、僕の身体の持ち主の記憶、どこ行ったんだ? 死んじゃったの? ありがたい言葉って何だよ? 僕の知ってる言葉なんて⋯⋯)
そう思ったら、朝だった。
◇3日目◇
「さあ、食事が済みましたら、お仕事ですよ」
アッシャーの容赦ない言葉が刺さる。
「悪いけど、過去の記録とかある?」
悩みに悩んだ末、僕が出した結論は勉強だった。受験勉強で散々過去問をやってきたのと同じだ。
(答えが分かっていれば、簡単に解けるはず!)
そう思った。
「ございますよ」
アッシャーは、すんなりと記録帳を持ってきてくれた。
「それでは、お願いいたします」
アッシャーに促され、暗い小部屋に過去の記録帳と今日記録するための新しい記録帳を持って入った。目の前には、記帳台があり、そこで記録帳を広げる事ができた。顔を見えない様にするためか、壁に小さな穴が開いているだけで、相手の顔は見えない。
(ここで、信者の言葉と自分の話した内容を書くんだろうな⋯⋯)
「あの? よろしいでしょうか?」
穴の開いた壁の向こうから女性の声がかかる。
「はい、どうぞ」
仕方無しに、相手の発言を許す。
(できるだけ落ち着いた声色で返事をしたつもりだけど、緊張でこの後、気の聞いた言葉なんて言えそうにない⋯⋯とりあえず、真面目に相手の話しを聞かなきゃ!)
「私には息子がいるのですが、急に部屋に閉じこもり、外へ出なくなってしまったのです⋯⋯どうしたら⋯⋯」
声の主は、切羽詰まった様子で話し出した。
(ん? これって引きこもり?)
「ご年齢は?」
「13歳で、やっと学校へ通い始めたところです⋯⋯」
「放っておきましょう、人生は長いのです」
「えっ? ですが、このままでは息子は⋯⋯」
(あーあ、いるよね? こういう過干渉のお母さん、何とかしたいのは子供のためじゃなくて、自分が安心したいだけなんだろうな?)
緊張より、怒りが湧いた。
「食事は取れていらっしゃいますか?」
「はい、食事は⋯⋯」
「それでは、問題ありません!」
「え? で、ですが……」
食い下がる女性に語る。
「それでは、自己責任だと伝えてあげて下さい」
更に続ける。
「ご自身がお子様に声をかけるのは、ご自身が放置して後悔しないための責任を果たすため。お子様は自己責任で無視するも従うも自由だと、そしてその結果は、自身で責任を負わねばならないと」
「まだ13ですよ?」
女性が反論する。
(あれ? 失敗しちゃったかな? でも、僕、大神官だもん、怯んじゃ駄目だ⋯⋯)
「いえ、もう13歳なのです。何でもしてやらなければならない年齢ではないはずです。⋯⋯失礼ですが、未だに全てをしてやらなければならない様な育て方をなさったのでしょうか?」
「い、いえ⋯⋯」
「そうですよね? あなたの事は、お声しかわかりませんけれど、凄く優しそうだ。子供を見守るのも、親の務めですよ」
「や、やってみます、ありがとうございます」
女性は漸く納得してくれた。
(ふぅ⋯⋯緊張したぁ。こんな人生相談、僕が受けて良かったのかな?)
そう思ったし、本物の大神官でない僕が応える事に心が痛まないではないけど、これが仕事だと言われたら仕方ない。記録帳に今の話しを書いて、前の記録を1つ読む。
(うん、僕のアドバイス、強ち間違ってないな、良し!)
相談を受けつつ、『過去問の』勉強もする。やっつけ仕事みたいで申し訳ないけど、これが今の僕の実力だし、精一杯なんだから、仕方ない。
「どうぞ⋯⋯」
こうして、この日、5人の信者の悩みや相談に対応した。けれど、今日はラッキーだっだ。僕と年齢の近い子供の相談や、聞いて欲しいだけの相談が多かった。
一番難しかったのは、身分違いの恋ってやつだったんだけど、『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』っていう昔の偉い人の言葉をあげた。あとは、まず出会えた事に感謝しなさいって。出会いに感謝っていうのは、僕の好きな歌から拝借したんだけどね。
そうして僕は、1ヶ月近く、信者さん達の懺悔を聞きながら、過去の記録帳も熟読しつつ、アドバイスを繰り返した。
◇1ヶ月後◇
「そういえば、ずっと家に帰ってないんだけど⋯⋯」
信者さん達へのアドバイスに余裕がでてきたら、自分の事がすごく気になって、アッシャーに尋ねた。
(僕はおじさんになっちゃったけど、きっとこのリプライ様にも家族がいて、1ヶ月も会ってないんだから心配かけちゃってるよね?)
「え? 家へ帰られるのですか?」
アッシャーがすごく驚いた顔をしてる。
(え? ダメなの? 変な事言っちゃった? どこへって、僕、家がないの? まさかの元孤児?)
何だか次に言葉を発するのが怖くなって黙っていると、アッシャーが溜息をついた。
「いくら死に目にあったらとからって、そうやすやすとお城には戻れませんよ? リプライ様が死にかけた事は公に出来ませんし、王様に会うだけであっても、口実を作らなくちゃなりませんからね⋯⋯」
(え? 僕の家族、王様なの?)
「ご、ごめんなさい」
よくわからないけど、謝ってしまった。
(リプライに転生した事がわかってから、できるだけ、自分の事を『僕』って言わない様にしたり、少しずつ大人っぽい言葉を使う様に努力してるつもりだけど、ごめんなさいは、違うんだろうな⋯⋯上手くいかないや)
「帰る家が欲しかったら、大神官を辞めて、早く結婚するんですね? お相手がいればですけど……」
「え? なんで結婚?」
「神官は未婚の男性にのみ許された職務ですから、結婚すれば自ずと辞めるしか無くなるじゃないですか」
「だよな⋯⋯でも、辞めて、何の仕事ができる?」
僕は、本当は、知ってなきゃおかしいんだろうなと思って、誤魔化す様な返事をした。
「リプライ様、大神官を辞めたら、公爵位の叙爵と領地経営が待ってるなんて羨ましいですけど、まずは本当にお相手を決めて下さいね? あちらこちらから届く釣書をいつまでも放置するのは良くないですし、せめてその気がないなら、お断りのお返事くらいは送るべきかと⋯⋯」
僕は、王様の弟で、幼い頃からから聖人の力があって、神殿で育てられたんだって。聖人の力は、僕が目を覚ました祈りの泉に浸かって、力を放つ事(これを公には祈祷と呼んでるみたい)で、その水を聖水に変える事が出来る力なんだってさ。
聖水は、病人の治療や魔物の退治とか色々なものに使われてるらしいから、普段は瓶に詰められて直ぐに必要な人に配れる様にしてるんだって。その数が減ると僕の出番。前回なぜ倒れてしまったのか、原因はよくわかってないみたいだけど、僕は15 歳からずっとこの役目を担ってるんだとか。普通は5年位で退任するみたいだから、長く務め過ぎて、力が枯渇し始めたのかもしれないなんて、アッシャーは笑ってた。
(笑い事じゃないよね? たぶんこの人、それで力尽きちゃって⋯⋯だから僕の魂が転生できたんじゃない?)
「辞めるって言ったら、直ぐに代わりが見つかるの、か?」
(すぐ辞めても良いのかな? アッシャーは笑ったけど、もし力の枯渇が原因なら、この力が無くなる前に代わりの人を見つけなきゃ!)
「⋯⋯過去にはスペアの人材を常に置いていたんですが、リプライ様の在位が長引くにつれ、その存在が蔑ろになり、今はおりません」
「じゃあ、直ぐに探してくれ、次の代に引き継ぎたいんだ」
「え? 引き継ぐ?」
アッシャーが眉を顰めた。
「ダメなのか?」
「いえ、それではとりあえず、気になる神官を私のところへ寄越して下さい」
「気になるって?」
(言われた意味がわからなくて、尋ねたけど、大人っぽく話そうとすると、何だか偉そうな感じになっちゃったり、咄嗟の言葉は、どうしても繕えないし、ムズっ!)
「何でも良いのですよ、その者の野心でも、若さでも、容姿でも、貴方様が気になるという事が重要です」
「意味がわからない」
「でしょうね? でも、次代の者は、大神官の心眼に導かれると聖典に記されております」
「え? それって、適当過ぎないか?」
「大丈夫ですよ、きちんと神殿の判定テストを行い、本人の意思も確認しますので」
アッシャーの言葉を聞いて、何だかホッとした。だって、誰でも良いからなんて言って、押し付けて良い仕事じゃないと思ったんだ。
◇2ヶ月後◇
「あの、大神官様ですよね?」
品の良い御婦人が声を掛けてきた。
(誰? 僕、会ったことあったかな?)
「前に懺悔室でご相談した者です」
(そう言われても、1日に何人も相手にしているし、全く思い出せないな⋯⋯)
「あの? 失礼ですが、どのような?」
僕が聞くと、御婦人は丁寧に応じてくれた。
「自己責任だと伝えなさいと」
「あ、(あ〜!!)」
思わず大きな声を上げそうになって、口元を手で押さえた。隣には、少年が立っていた。
「もしかして?」
「ええ、大神官様の助言を聞いて放っておいたら、うふふっ」
御婦人が嬉しそうに柔らかく微笑んで、息子に頭を下げさせた。初めての相談者さんだった。
「それは良かった」
僕は、丁寧に頭を下げ、場を離れた。
(こんな僕でも役に立つ事ができたんだ!)
僕は嬉しくて、飛び回りたい気分になった。『ヨッシャ!』実際に30過ぎたおじさんが飛び回ってたら気持ち悪いから、小さく1人で拳を握りしめた。
◇3年後◇
(はぁ……、気になるって難しいな)
アッシャーに次代の大神官を探すって宣言してから、既に3年が経った。同時並行してお嫁さんも探してるけど、これが更に難しい。だって、僕の年齢(今年33歳)に女性が求めるのは、大人の包容力とか色気とかで⋯⋯。人生15年目の僕には無いものばかりなんだ。それに対して僕が求めるのは、領地経営を任せられる知識を備えてて、かつ跡継ぎじゃない女性。この世界では稀有な存在だ。
「はぁ⋯⋯」
思わず、盛大に溜息をついてしまった。
「リプライ様、溜息つくと幸せ逃げますよ?」
そう言って、ニヤニヤ近寄って来たのは、最近大神官の補佐見習いとして任に付いたヒーロムという少年だった。クローバー公爵家の嫡男、15歳だ。
(こいつ、何だか嫌だ!)
そう思った第一印象は、今も変わらない⋯⋯。何が嫌なのかその時はよくわからなかったんだけど、やたらといつも前向きなんだ。それに、僕と同じくたった人生15年を生きてきただけのはずなのに、公爵家で育ったからか、僕にはない余裕があって⋯⋯、ムカつく。
「溜息をつくと幸せが逃げるか? では、どうしたら幸せが集まるんだ?」
やり込めてやりたくて、少し上から目線な感じで質問すると、ヒーロムは事も無げに答えた。
「笑う門には福来る、笑うだけですよ!」
(やっぱり嫌いだ⋯⋯暑苦しいっていうのか、何ていうのか、前向き過ぎて、話していて疲れるんだよな。こいつ正論を振りかざして暑苦しい教師みたいだ⋯⋯)
「そんな事で福が来るなら、神殿など不要だな」
まるで、悪役の捨て台詞の様に言い捨ててしまった。
(はぁ、見た目だけで言ったら、18も年下の若者に、一体、僕は何をやってるんだろう? きっと、世間からみたら、ヒーロムは、前向きで明るい好青年なんだろうな⋯⋯)
「前向き!前向き!前向き!前向き……」
ヒーロムは、僕の嫌味がわからなかったのか、歌を口付さんで執務室を出ていった。
(何か、聞いたことあるようなないような、どこで聞いたんだっけ?)
◇5年後◇
それから更に2年が過ぎた。僕は35歳、僕が港だった頃の父さんと同い年だ。
「リプライ様、そろそろ俺に本気で大神官を譲りません?」
「な、何?」
ヒーロムの言葉に、声が裏返りそうになった。
「いや〜、だって、リプライ様が大神官続けてるのって、嫌いな俺に大神官の座を譲りたくないからかなって? そしたら、何だか老体に鞭打って続けてもらうの、申し訳ないなぁって」
(僕から嫌われてる自覚あったの?)
「お、お前如きが⋯⋯、アッシャー、こいつにテストを受けさせ、資格がないことを突きつけてやれ!」
直ぐに補佐のアッシャーを呼びつけて話しをすると、アッシャーは首を横に振った。
「こいつ、テストだけは合格ですよ⋯⋯」
「へへへっ」
ヒーロムがニヤついた顔を向ける。
「な、何で大神官の推薦なく、テストを⋯⋯」
「あぁ、しつこいし煩いんで、黙らせるために受けさせたんですよ。無許可のテストなんで、合格でも資格はありませんがね。あなたが認めさえすれば、その資格も得られます」
「な⋯⋯」
あまりの事に言葉を詰まらせてしまった。
(しかし、ヒーロムのやつ、アッシャーにまで、しつこいとか煩いって思われてるのか? 少し気の毒だな)
「何だかよくわかりませんけど、嫁さんさえ見つければ、いつでも引退できそうですね?」
ヒーロムが更にニヤついて、僕に握手を求めてきた。
「バンッ」
ヒーロムの握手には応じず、その手を叩き落とす。
(やっぱり、嫌いだ! 大人のやる事じゃないけど、ムカついたんだから仕方ないじゃないか。いくら話し言葉を取り繕うのが上手くなったって、僕は子供だ!)
「出かけて来る」
僕がぶっきらぼうに言い放つと、アッシャーは、「ご機嫌ナナメですね」と肩を竦めた。
◇◇◇
「っていう事があって⋯⋯、アナスタシア、不機嫌な顔で現れて、本当に申し訳ない」
「ふふふっ、可愛い人ね」
そう言って、僕を見つめたのは、フォス男爵家の次女アナスタシアだ。市民公園のベンチで待ち合わせて、これからボートに乗る予定だ。
「か、可愛いは褒め言葉じゃないぞ!」
「あら、知ってるわよ? 直接的に言うと、子供っぽいわねって意味よ」
「だ、だから僕は⋯⋯」
「はいはい、私との仲を勝手に想像された気がして、苛ついたのでしょう?」
「う⋯⋯」
図星だ。今日、僕はアナスタシアに好きだって伝えたくて、ボートに誘ったんだ。大神官に命の危険があってはいけないから、僕が誰と何処に行くかは、補佐のアッシャーに全て報告しなければならない。つまり、その見習いのヒーロムにも僕の行き先は、バレてる。
(ヒーロムに、いつまでもアナスタシアに告白できない腰抜けだって、笑われてる気がしたんだ⋯⋯)
アナスタシアの指摘に、言い返せない⋯⋯。彼女は今年22 歳、見た目では僕より13歳下だけど、人生経験は僕より5年先輩だ。人生経験の差だろうか、いつも僕は彼女に子供扱いされてしまう。
「さ、乗りましょう」
彼女は、僕にボートへ乗るよう促した。先に僕が乗り込み、彼女の手を引く。
(実は、アッシャーに行き先を報告すると、毎回エスコートの仕方をレクチャーしてくれるから、かなり助かってるんだよね。やっぱり好きな女の子の前で、恥は掻きたくないもん。)
彼女との出会いは、彼女の姉の結婚式だった。その結婚式の司祭を務めて以降、彼女が神殿に来る度に声をかけてくれた。そのうち、お互いに食べ物の好みか似ている事がわかり、共に食事へ出かける様になった。それが半年前だ。今回もその延長。
「ア、アナ、アナスタシア⋯⋯ち、違うんだ、僕、君と結婚したい⋯⋯」
ボートに乗って早々、好きだと告白するつもりが、しくじった。プロポーズになってしまった。
「良いんじゃない?」
そう言って、アナスタシアはほんのり顔を赤らめた。
「え? 良いの? あのさ、友情とかじゃ無いんだよ? その、キスとかもしたいし、君に触れたいし⋯⋯」
言い間違いをしたのに、それを承諾するようなアナスタシアの返事に、僕は慌てて余計な事をいくつも口走った。みるみるアナスタシアの顔が真っ赤に染まる。
「バカね⋯⋯」
アナスタシアは、僕の唇にそっと人差し指を立てた。彼女の指に全神経が持っていかれそうになる。
(あれ? 僕、告白するつもりが、プロポーズになっちゃったし、しかもキスしたい? 触れたいだなんて、こんなおじさんが⋯⋯、身体目的だと疑われたらどうしよう。あれ? あれ?)
「そういう事は、わざわざ言わないのよ?」
そう言って、動けなくなった僕の唇に、彼女はそっと自分の唇を重ねた。
「ま、ま……(って……)、う……」
僕は彼女からの口付けに上手く反応できず、息が吸えなくなる。
(ファ、ファーストキスなんだぞ! 僕だって、僕だって男だし、格好良く決めたかったし、結婚するまで彼女を大事に⋯⋯)
「奪われた⋯⋯」
結局、泣きそうになりながら、ポツリ呟いてしまった。自分の唇を指で確かめて下を向き、何もできなくなった。
「嫌でしたの?」
アナスタシアが、ほんのり頬を染めつつ、意地の悪い瞳で覗き込む。
(⋯⋯あぁ、何て僕は情けないんだ⋯⋯)
「⋯⋯ち、違うんだよ。キスとかそういうのは、結婚していずれ、というか君を大事に⋯⋯、あぁ違うか、この場合、大事にされなかったのは僕になってしまうけど、嫌じゃなかったし、あれ? 嫌じゃなきゃ良いのか? 大事にされているのか? いや、違うだろ、婚約して、愛称で呼びあって、順番が⋯⋯」
こうして僕が絞り出せた言葉は、もっと情けなかった。
この後、僕はヒーロムに大神官の座を押し付け、アナスタシアと結婚する事に決めた。
「嫌いだなんて感情、どうでも良い人には抱きませんもの。きっとあなたの中で、ヒーロム様って、私以上に気になる特別な存在なんでしょうね?」
アナスタシアがそう言って、微笑んだ事が後押しになったんだけど、ヒーロムの前向きさに嫉妬して、毛嫌いしていたなんて、絶対に本人には教えてやらない。
それから、「こんなおじさんでいいの?」って、恐る恐るアナスタシアに聞いたら、大爆笑されたんだ。『あなたがおじさんなら、私はおばさんね?』だって。小学生の僕から見れば、ひげが生えただけで、立派なおじさんに見えたんだ。でも、世間一般には、普通の青年なんだって。
心底ホッとした瞬間だった。