第八十五話「銀の命令と、手を染める覚悟」
燦々と照りつける夏の陽が、王都ポリャンナの城塞に白く反射していた。
重厚な扉の先、執務室の空気は涼しいが、空気の張り詰めた静けさは炎よりも熱い。
「で、ご要件をお伺いしてもよろしいでしょうか、殿下?」
そう問いかけたヴァルター・リースは、従来の軽い調子を一応保っていた。
しかし対する相手の姿に、無意識に背筋が伸びる。
銀の髪。冷たい灰色の目。感情を削ぎ落としたような整った顔。
この国の第一王子、ユリウス・ポリャンナ。
軍務局を束ねる、冷徹無比の王族だ。
「単刀直入に言う。ヴァルター。お前も今回の作戦に参加しろ」
無表情のまま、ユリウスはそう告げた。
それを聞いたヴァルターは、深くため息をついて隣を見る。
「悪い、セージ。説明、頼めるかい?」
「……悪いのは殿下です。ヴァルター卿は、まだ何も聞かされておりませんので」
肩をすくめながら答えたのは、整えた黒髪に知的な眼差しの文官──セージ・リデルハイツ。
ヴァルターとは幼なじみであり、現在はユリウス直属の王政文官である。
だがユリウスは、あくまで視線だけで「早く話せ」と無言の命令を投げてくる。
「……はい、では改めまして」
セージは姿勢を正し、冷静に告げた。
「此度、バオリナ共和国国教より世界各国宛てに声明が出されました。
内容は……“異教徒の粛清”。表向きは以前と大差ないように見えますが……」
「個別に来た、んだよね?」
ヴァルターが言葉を挟む。
「ええ。その通りです。ポリャンナ王国宛てに直接、
“白の聖女の粛清”を宣言した文書が届きました」
室内の空気が、一瞬止まった。
「白の聖女……つまり、しらたまが狙われているということか」
「……『白きまやかしの風を、この地より払い清める』と。
これはもはや、明確な“殺害予告”です」
セージの声音が一段低くなる。
そして──ユリウスが口を開いた。
「軍はすでに動いている。俺も出る」
立ち上がったユリウスの銀髪が揺れた。
「ヴァルター。お前の力を、国のために使え。
“守るべき者のために立つ”──それがお前を動かす、大義になるだろう」
その言葉に、ヴァルターは静かに目を伏せた。
「……僕、ついこのあいだまで吟遊詩人だったんだよ?」
「逃げるか?」
「まさか」
ヴァルターは、口角だけをゆるめた。
だが、その瞳は笑っていない。
窓の外に視線を向けながら、低く呟く。
「……しらたまを脅かすというのなら、
たとえ誰が相手でも、絶対に許さない。
そのためなら、僕はなんだってするよ。たとえ──」
静かに拳を握りしめたその手は、今もリュートの弦を知っている。
けれど今は、その指で剣を取る覚悟もまた、胸の奥で燃えていた。
「……たとえ、それが手を染めることになろうとも、ね」
外では、入道雲が夏の空を伸びやかに押し広げていた。
新たな戦の風が、遠くで揺れていた。
ここはアロマティアのリース子爵邸、重厚な扉の奥にある執務室。
窓から差し込む陽光の下、木製の机を囲むようにして三人の青年が向き合っていた。
呼び出されたのは環とルーベン。しらたまは支部に残っていた。
「おーう、またそりゃすげえ話だな」
腕を組みながら、環が呆れたように言う。
対するヴァルターは、険しい面持ちで短く告げた。
「……既に、アーフラー教は武装集団をこちらに送り込んでいるらしい」
「えっ、でも……」
ルーベンが眉を寄せる。
「ロザリア帝国が南方の海路を制限しているはずだろう?港の通行は――」
「南は確かに海だが、アロマティアの外れは断崖絶壁だったろ?」
環が首をかしげる。
「あそこから上陸なんて、まともな手じゃ無理だぜ」
ヴァルターはわずかに顔を伏せ、唇を引き結ぶ。
「……呪術師が混じっている可能性がある」
その言葉に、ルーベンの目が見開かれた。
「ま、呪術師……!?」
一瞬、空気が張り詰める。
環が眉を上げて問いかけた。
「なんだよ、それ。そんなにやべえのか?」
ルーベンが静かに頷いた。
「通常の魔法とは、次元が違う。
魔法は魔素と四元素の力を調和させて扱うものだけど……
呪術は、信仰や儀式、そして禁術の域にある」
そして低い声で付け加える。
「死霊を操り、精霊を召喚し、現実をねじ曲げるような力だ。
……それこそ、神に近い力を振るう者たちだよ」
「……ほぉん……やべえじゃん、それ」
環の声がわずかに硬くなる。
ルーベンがすぐさまヴァルターの方を向いた。
「……ヴァルター、本気で行くつもりなのか?」
「殿下からの要請だ。断れないよ」
ヴァルターは微笑のようなものを浮かべるが、その眼差しには決意が宿っていた。
「それに……しらたまを狙うなら、タダじゃ済まさない。……もう迷うのはやめた」
静かな声には、燃えるような怒りと覚悟が混ざっていた。
二人は黙ったまま、彼の眼差しを見つめた。
やがて――
「……なら、俺も行くぜ!」
環が立ち上がり、拳を握る。
「どこでもついてってやるよ、任せろ!」
ルーベンも頷いた。
「呪術対策、なんとかする。……呪力封じの符具か、対抗式を用意してみせる」
「ありがとう、二人とも」
ヴァルターの言葉は、どこか静かに、そしてあたたかく響いた。
その声に、戦の始まりを覚悟した風が、ふと部屋の窓を揺らした。
その日、町の広場ではいつものように人々の声が飛び交っていた。
だが、しらたまはどこか落ち着かなかった。
偶然耳にした噂話が、心の中でざわつきを起こしていたのだ。
「ヴァルター!戦いに出るって……!!」
しらたまは勢いよく部屋に駆け込んだ。
そこで見たのは、じっとした表情でその噂を待っていたヴァルターの姿だった。
彼は少し困ったような顔をして、しらたまに静かに言った。
「ああ……しらたまも知っちゃったか」
言葉の端に、彼の心の中でどうしようもない決意と迷いが混ざっているのを感じた。
しらたまの胸が締めつけられる。
「ユリウス殿下からの要請なんだ」
「そんなっ……!!」
しらたまの声が震える。
彼が戦いに出る理由があることは理解しているが、それでもやっぱり怖かった。
ヴァルターの身に何かがあったらどうしよう……そんな不安が一気に押し寄せてきた。
「ちなみに、ルーベンと環も連れて行く」
その言葉で、しらたまの中で何かが弾けた。彼が仲間と共に戦いに赴くのなら、私は……。
「なら、私もっ……!!」
しらたまの口から出た言葉。しかし、ヴァルターはすぐにそれを遮った。
「しらたまはダメだ」
その一言で、しらたまは息を呑んだ。全身が静止する。
「今回の狙いは、君だよ、しらたま。奴らは君を消そうとしている。
国宛てにも明確な悪意が届いている。
君は、このあと僕らと共に王国騎士団の護衛の元、王都へ行き、王城で保護される予定だ」
ヴァルターの目はしっかりとしらたまを見つめ、決して揺らがなかった。
彼の言葉は重く、しらたまの心に深く突き刺さった。
「ヴァルター、わたしっ」
しらたまは目を伏せ、言葉を続けられなかった。
胸が締めつけられ、涙がこみ上げてきそうだった。
しかし、それを押し込める。
「しらたま、お願いだから言うことを聞いて」
ヴァルターの声は、いつになく優しく、けれどしっかりとした強さを持っていた。
それを聞いたしらたまは、もう何も言えなかった。
彼の決意が、深く心に沁み込んでくる。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。
しらたまはそれを何度も何度もかみしめるように、
そしてようやく、震える声で言った。
「……ありがとう。ごめんね」
その一言が、すべてを物語っていた。
彼女の心は、やがて理解し始めていた。
彼を守るためには、ここで従わなければならない。
自分を守るためにも、時には冷静でなければならない。
どんなに辛くても、ここで彼を支えなければ、今は進めないのだ。
そして、しらたまは静かに頷いた。彼の言葉を、胸に深く刻みながら。




