第八十四話「風の交差点」
アロマティアの町は、笑い声と香の煙に満ちていた。
皮肉なことに、隣国バオリナ共和国への貿易制限が布かれて以降、
行き場を失った移民や商人が流れ込み、町はかつてないほどの賑わいを見せていた。
だが、それは決して混乱ではなく、光だった。
人と人が交わることで、新たな文化が芽吹いていたのだ。
「どうだい? 祈りの香茶だよ! 今の流行りは紅茶より“香りの香茶”!」
「これはアロマティアの花で染めたストールさ。丈夫でおすすめだよ!」
「王都でも人気沸騰! 白のカステラ! 最新のスウィリア蜂蜜味だよ!」
活気ある露店の声に、環は思わず吹き出した。
「だからなんだよ、“白のカステラ”って……」
「しかも“新味”だ。……売れてるんだな」
ルーベンが呟きながら、手にした試作品を口にする。ふわふわの食感に目を細めた。
人が増え、通りは活気づき、まるで一つの“街”のように姿を変えていく。
広場には新設された街灯が並び、夜をやさしく照らす光ができた。
支部内にはルーベンの手によって“魔導水流式トイレ”が設置され、
環の設計で町の外れには湯殿──“アロマティアの湯”が建設中だった。
かつて“辺境街”と呼ばれたこの地は、今やひとつの文化圏として息づいていた。
その頃。
整備された街道を馬車が進み、一行が新たな宿場町へと到着した。
ヴァルター・リースは一歩足を踏み出し、風に揺れる野花を見つめながら呟いた。
「ここが……新しい風の交わる場所……」
その隣で、どっしりとした体躯を持つ男がうなずく。王都行政局長代理、ミュリエルである。
「はい、新たな市場都市アルミエラでございます。
王都と聖都、そしてアロマティアを繋ぐリスニア街道の中間地点。
ここから、新たな交差が始まります」
アルミエラには、まだ整っていないものが多い。
それでも、空は高く、風は澄んでいた。
すれ違う旅人たちの衣が、絹のようにふわりと揺れる。
香の町と、理の都。その間に広がる“誰かの祈りのための止まり木”が、いま芽吹いた。
ヴァルターは、しずかに目を細めた。
「風の流れが、変わってきている気がするな……いい風だ」
王都・行政局。重々しい天蓋の下、
地図を囲んだ官吏たちの声が飛び交っていた。
「……リスニア街道の農村地帯への整備は、まだ進んでいないのか?」
鋭く声を上げたのは、財務局付きの若き議官。
地図の上に朱筆で丸を描きながら顔をしかめる。
「岩が多いんだ。あそこは地盤も硬くて、魔道測量機が跳ね返されるんだよ。
整備には……最低でもあと三月はかかる」
そう答えたのは、現地視察帰りの土木監理官。顔には疲労が浮かんでいた。
「それならいっそ、王都の手前で分岐を設け、商都へ抜ける新橋を――」
「またその話か! まだ予算が組めんと言っているだろう!」
重く響いたのは、財務局長代理の声だった。
文官たちが息を呑む中、彼は唇を固く結び、
リスニア街道全体の地図をゆっくり指でなぞる。
「理の都ウィローと香の町アロマティア、
それに王都と聖都トゥルシー……。すべてを結ぶ要所だ。
無理な延伸で計画全体を崩すわけにはいかん」
「だがこのままでは、アルミエラとその先が孤立するぞ!」
声を荒げた青年議官に、年配の行政官が静かに返す。
「風は交わる。人もまた、巡る。……今は、信じよう。
あの町の者たちが築いた流れをな」
沈黙が広がったあと、再び筆と書簡が動き始めた。
時代が揺れる中で、地図の上では風の道がまだ定まらずにいた。
「……結局、また後回しか」
リース家ラセルナ支部、応接室。
王都から届いた公文を読み終えたヴァルターが、机に手を添えたまま小さく息を吐いた。
窓の外では、アルミエラとアロマティアをつなぐ街道を見守るように、白い帆布の屋台が並び始めていた。
祭りの名残と商機が交錯する中、彼の眉間にはわずかな皺が浮かんでいる。
「やはり分岐案は却下か?」とルーベン。
「新道の整備には財務局の承認が必要らしい。
農村地帯の岩盤が予想以上に手ごわいそうだよ。……街道の整備、止まってる」
報告書の一節を指しながら、ヴァルターはその手を額に当てる。
「人も物も、いま一番動いてる道だってのにな。風は吹いてるってのに」
環が椅子の背にもたれながら、やや皮肉混じりに言った。
「都市計画は“机の風”では動かせない……ということだな」
ルーベンは苦笑いしながらも、すでに支部の設計図を広げていた。
「じゃあ、現場でやるさ」
そう言ったのは、アルミエラの副管理官のひとり、若き女性案内人のシエルだった。
「うちの宿はまだ小さいけど、風と人はちゃんと来てる。
だったらこっちで受け入れの仕組みを作るしかないよ」
ヴァルターはその言葉に軽く頷いた。
「必要なのは“国がどう動くか”ではなく、“ここに来た人をどう迎えるか”だ。
その心を見せ続ける限り、道は後からでもついてくる」
アルミエラ。
風の道に咲いたばかりの、新たな交差点。
いまはまだ、整備の途上。
だがそこにはすでに、交わり、寄り添い、歩もうとする者たちの風が吹いていた。




