第八十話「祈りは風に、風は国へ」
明け方の光が差し込むリース支部に、二通の文書が届けられた。
一通は兄、シダー・リースからの密告書だった。
筆跡は端正で、内容は厳しくも冷静な文面で統一されている。
『聖都派が動いている。
過激派巡察官ローレルの一団が、アロマティアへ向かっているらしい。
星まつりに合わせ、君の領地を監査という名目で抑えようとしている可能性がある。』
もう一通は王女ソレイユからの直筆文だった。
『心して備えなさい。
聖都派の動きは容認できるものではありません。
王家の意志として、あなた方の自律的運営を支持します。
民の声と祈りが届く地であることを、あなた自身が証明して。』
文を読み終えたヴァルターは深く息を吐き、しらたまへと目を向けた。
「このまま、予定通り星まつりを……いや、むしろ“やり抜く”しかないな。
彼らに見せてやろう、アロマティアの風を」
そして、星まつりの夜が訪れる。
丘の祈り台では、しらたまが香炉に静かに火を灯していた。
子どもたちが並べた灯籠が、街を柔らかな光で染めている。
空には星々が瞬き、賑わいの声が風に乗って遠く響く。
しらたまが一歩前に出て、両手で星のカードを掲げた。
「この街に、祝福と祈りの風が吹きますように──」
その声と同時に、風が香を巻き上げる。
夜空に流れ星が降り注ぎ、金色の翼を広げた神獣ステラが天より舞い降りた。
歓声が上がり、子どもたちは笑い、街中が一つの祈りに包まれる。
それはまさに、神話の再演だった。
だが翌朝──
祝祭の余韻が残る広場に、黒衣の一団が静かに現れた。
先頭の男が馬上から名乗る。
「久しいな白の聖女よ。聖都よりの執行官ローレル。信仰と秩序の監査のために来た」
その言葉には礼はあれど、微笑はなかった。
まなざしは冷え切り、背後の兵らも硬直したように無言で立ち尽くしている。
ヴァルターが前に出る。
「歓迎しましょう。私たちの街は、“信じること”を守る街ですから」
街の空気が張り詰める中、そこへ新たな馬の蹄音が響く。
「……王都軍旗?」
風を裂くように現れたのは、ユリウス王子率いる小規模な近衛騎兵だった。
「ローレル殿、王命により貴君に勧告する」
王子の言葉は鋭く、明確だった。
「この監査行為は過剰であり、王家への正式な許可を経ていない。
よって、本日をもって即時撤退を命ずる」
ローレルが目を見開き、唇を震わせる。
「……王家は、信仰の監理からも退くというのか?」
「いいや。だからこそ“王家が治める”のだ」
その一言に、アロマティアの空気が変わった。
王家による統治の意志が示された瞬間だった。
王女ソレイユの祝福と、ユリウス王子の勅命によって。
アロマティアは“香と祈りの街”として、王国に新たな意味を持ち始めていた。
王都から届いた正式な召喚状に応じ、
ヴァルター・リースは首都ポリャンナの政務殿を訪れていた。
大理石の床に映る王家の紋章。金糸の垂れ幕が揺れるなか、
控えの間で彼を迎えたのは、王女ソレイユだった。
「ようこそ、ヴァルター様。今宵は、国の未来についてお話をさせてください」
深紅の礼服に身を包んだソレイユは、彼の前に優雅に腰を下ろす。
文官たちは距離をとって控え、室内にはふたりの呼吸だけが静かに残った。
「星まつりの報告、拝見しました。……祈りによって《ステラ》が現れたと」
ヴァルターは頷く。だがその表情には慎重さがあった。
「はい。あれは、しらたまの“祈り”の力です。
けれど同時に、それがまた新たな火種になりかねないと……」
「そのとおり。実際に、聖都派の執行官ローレル殿が王都にも報告を上げてきています。
“アロマティアに異端の兆しあり”とね」
ソレイユの声には、わずかに怒気が滲んでいた。
「……私は、あなたたちを信じています。
市井に根差す香と祈りの文化は、決して異端などではない。
この地に生きる人々が自ら選び、築いてきたものです」
彼女は懐から文書の束を取り出し、机の上に置く。
「これは、王国評議会を経た布告案です。
――“アロマティア領における香祈術の文化的正統性を認め、王家の保護下に置く”と」
ヴァルターの瞳が静かに揺れた。
「……本当に、よろしいのですか?」
「あなたが信じた道を、今度は王家が信じましょう。
もちろん、対価は必要です。王都から文官を派遣します。
支部の運営記録、祈りの形式、術法の応用範囲──
すべてを把握し、国の記録として残す必要があります」
ヴァルターは深く頭を下げた。
「……畏まりました。すべてを開示しましょう」
ソレイユは小さく微笑んだ。
「これで、ようやくあなた方が“正式な領主の家”として歩み出せますね」
そして彼女は、ふと遠くを見つめるように呟いた。
「“香と祈りの交差点”、アロマティアの文化は、きっとこの国の柱になるわ。
わたしはそう信じてる。 だから……しらたまちゃんをお願いね、ヴァルター」
* * *
数日後。アロマティアの街に、王都からの使者が到着した。
広場に設けられた壇上に、布告が読み上げられる。
「本日付けをもって、アロマティア領における『香祈術』を王家の庇護と認定する。
ラセルナ支部は正式なる文化記録機関としてその活動を許可されるものとする──」
街人たちの間からどよめきが起こる。
長く“曖昧な存在”とされてきた支部が、ついに国家からの承認を得たのだった。
その場には、しらたまもいた。誓いのように香を焚き、祈りの火をともして空を見上げた。
「……ありがとう、王女さま。これで、風は守られるね」
淡く揺れる香の煙が、まっすぐ天に昇ってゆく。
それは一つの文化が、ようやく歴史の扉を開いた証だった。




