第八話「白の占い師」
風見草亭の朝は、いつもと変わらず静かに始まった。
だが、しらたまは心のどこかで、何かを感じていた。
(……また、来るかもしれない)
小屋の中でカードを整え、香を焚きながら、
自然とその予感が胸の奥で膨らんでいく。
数日ぶりに、ラベンダー婦人が再び訪れるという予感。
その日、風見草亭の食堂では、
昼食をとったばかりのミーナが、忙しそうに運ばれてきたパンを片付けている最中。
「しらたまお姉ちゃん、今日はまた来るかな~?」
「うーん……多分、今日は来るかもね」
しらたまは静かに答えながらも、頭の中でその予感に少しだけ気を取られていた。
その時、扉が音を立てて開いた。
「失礼しますわ」
柔らかな声が響く。
しらたまは微笑んで顔を上げると、
そこに立っていたのは、まさに予感通り──ラベンダー婦人だった。
前回よりも、どこか柔らかく、
少しだけ顔をほころばせた婦人が、しらたまの前に静かに立った。
「ようこそお越しくださいました、ラベンダー婦人」
しらたまはしっかりとお辞儀をし、手元に並べたカップに温かな紅茶を注ぐ。
婦人はその香りをふっと深く吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。
「本当に、心地よい香り……ありがとうございます、しらたま様」
「こちらこそ、お越しいただいて。どうぞおかけください」
婦人は席に座り、静かにカップを手に取った。
しばらくの間、ふたりはただ穏やかな時間を過ごす。
だが、しらたまは婦人の目がどこか遠くを見つめていることに気づいた。
「……今日は、どんなお悩みをお聞きしましょう?」
しらたまが優しく尋ねると、
ラベンダー婦人は微笑みを浮かべながら、ゆっくりと答えた。
「今回は、私の“想い”に関して、少しお伺いしたくて……」
その言葉に、しらたまは一瞬目を細めた。
「想い、ですか?」
「はい。前回、しらたま様の占いに導かれて、
思い切って“ある方”と向き合ってみました。
けれど、その後、少し戸惑っているのです」
しらたまは頷きながら、カードを取り出し、そっと並べ始める。
「今日はその“戸惑い”を見てみましょう」
カードを一枚一枚めくりながら、しらたまは婦人の心に寄り添っていく。
──現在:カップの2 正位置
──障害:ソードの9 逆位置
──未来:恋人 正位置
「……あなたの心は、もう決まっているように感じます。
でも、その想いを実現するためには、
まずその“過去の痛み”を手放すことが必要です」
ラベンダー婦人はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……そうですわね。
私は、あの方と向き合うことが怖かった。でも、今は違います。
あの方に、心を開くことで、何かが変わるような気がして」
しらたまは静かに答えた。
「過去を引きずったままでは、前に進めません。
だからこそ、今、あなたが望む“心のままに”動くことが、
最も大切なことだと思います」
ラベンダー婦人はしばらく考え込み、そして微笑んだ。
「……あなたの言う通りですわ。少し、勇気が出ました」
しらたまは微笑んで頷く。
「それが“占い”の力です。
あなたが進むべき道は、あなたの心にすでにある。
ただ、その道に向かうための少しの勇気を与えるだけ──」
その言葉を受けて、ラベンダー婦人は深い息をつき、
カップの紅茶をゆっくりと口に運んだ。
「ありがとう、しらたま様。
次に会う時、私はもっと“自分らしく”なっていることでしょう」
その言葉に、しらたまは静かに答えた。
「きっと、素敵な“未来”が待っていますよ」
ラベンダー婦人はしばらく静かな余韻に浸り、最後に微笑みながら言った。
「……その時は、またあなたにお礼を言わせていただきますわ」
そして、静かに席を立ち、風見草亭を後にした。
その背中には、どこかしら明るいものが宿っていた。
しらたまはその後ろ姿を見送りながら、小さく呟いた。
「良い決断ができるといいな……」
ラセルナの貴婦人たちの間で、いま最も花開いている話題はひとつだった。
──あの名家の娘が、破談した元婚約者と再び結ばれたという話。
「お互い惹かれあっていた婚約だったそうですのに……
男方の家の経営が傾いて、婚約は破談……」
「数年越しに、娘の方に政略結婚の話が舞い上がったらしいけれど、
彼女、想いを捨てきれなかったのですって」
「それでね、当主に“自らの意志”で話を持ちかけたんですって!」
「まあ……なんてお強いのかしら」
その噂の娘とは、隣領主家出身のラベンダー婦人である。
彼女は家の威信を背負いつつも、自らの想いを貫き、
かつての恋人に再び手を伸ばした。
家は男側に支援を申し出、それを受けた男の家も立て直しに動き、
再婚約は堂々と交わされたという。
「まさに、真実の愛というものですわね」
「羨ましいわ、わたくしもそんな方がいたら……」
だが、話題はそれだけでは終わらない。
「ところで、聞きました? この再婚約劇の“立役者”がいるらしいの」
「白の占い師──市井の、とは思えぬ腕前と噂よ」
「そう、異国の風を纏うような不思議な女性なのだとか」
その名は、まるで春の風に乗るように……貴族たちの間をそっと歩いていた。
“白の占い師・ルアー”
──その名が、吟遊詩人の歌に混じってラセルナの街中へと流れ出す。
そしてそれは、ついに本人の耳にも届くことになる。
「えっ、なにそれ……?」
風見草亭のテーブルで、しらたまはパンを咥えたまま呆然とする。
「そんな有名人だったんだ……私」
その表情はどこまでも困惑し、でも、どこか少しだけ誇らしげでもあった。
クラリッサは紅茶を啜りながら
「わたくしの見立てに狂いはありませんでしたわね」と満足げに笑い、
ミーナが「しらたまお姉ちゃん、すごーい!」と手を叩いた。
『ほの光の巫女ルアー』──吟遊詩人ヴァルターの詩
やさしき風は どこからか
白き衣を ゆらして舞いぬ
星の名を問うものに 銀の声が囁いた
「答えはすでに あなたの心に」
寄せては返す 小波のように
悩みは誰の胸にもあれど
迷いを光に変える手がある
それは 朝露をすくう掌
名も知らぬ占い師 ひとり
けれども人は彼女を知る
ラセルナに舞い降りし ほの光の巫女
その名は──“ルアー”
ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ
˙▿˙ )/<ブクマしていただけると励みになります。