第七十八話「続・異文化交流」
「へえ……」
しらたまは、小さな広場の片隅で目を細めた。
木造の小屋に寄り添うように設けられた長椅子。
数人の女性たちが編み物をしながら、静かに歌を口ずさんでいる。
「なんて言ってるの?」
としらたまが環に尋ねると、環は首をかしげながらも耳を澄ませた。
「……たぶん、“麦の季節に神が巡る”みたいな意味だな。
子守唄と祈りが混ざったような詩文……こういうの、いいよな」
「うん……すごく、心があったかくなる」
しらたまは思わず口元をほころばせた。
「あっちだと、誰かと“祈りを合わせる時間”ってなかなかなくて……
こうやって自然と“誰かを想う”時間があるのって、素敵だなって思うの」
環もそれにうなずきながら言った。
「あと、あれな。収穫祭とか、聖歌の合唱とか。
“街ごとで季節を祝う”ってのも……なんだか懐かしい気持ちになる」
ちょうどそのとき、村の少年が走ってきて──
「明日、風の集いがあるよ! お姉ちゃんたちも来てね!」と笑って駆けていった。
しらたまはふっと微笑みつぶやいた。
「こんな世界の“素朴なあたたかさ”が、わたしはとても好きになりそう」
午後の支部応接室。窓から差す陽光に香の煙がふわりと揺れる。
帳簿を閉じたヴァルターが一息つくと、向かいの椅子に座る環が、ふと声を上げた。
「なあ、ヴァルター。ちょっと提案があるんだけどさ。
アロマティアの町をもっと暮らしやすくするために、
現実的に取り入れられそうな制度を、俺なりに考えてみた」
ルーベンが顔を上げる。
「ふむ、制度……か。聞こうじゃないか」
環は指を三本立てた。
「まず一つ目、衛生の意識づけ。香を扱う町なんだから、
水や手布と合わせて“祈りの所作”として手洗いや浄めの習慣を広めるのはどうだ?
祭祀とか日常のお清めにも繋げられるだろ」
ヴァルターは頷きながら顎に手を当てた。
「それは……確かに香の町らしいやり方だな。
日常と宗教の境界を越えて根づかせられるかもしれない」
「二つ目、伝書制度の整備。リース支部を中継所にして、
他の村や宿場町との文通網をつくるんだ。
伝令は訓練すれば孤児たちが担える。あいつらのギフトを活かす場にもなる」
ルーベンの目が輝いた。
「それはすごい!……いや、実に合理的だ。伝令魔具の実験にも使えるかもしれないぞ!」
環は少し笑って肩をすくめる。
「三つ目は、名簿制度。しらたまの記録ノートと照らし合わせて、
町にいる人の名前、年齢、特性を管理する。災害のときも子どもの保護にも役立つ」
ヴァルターは静かに目を閉じてから、真剣な眼差しで言った。
「……どれも、今のこの町だからこそ実現できる可能性がある。
環、お前の故郷は、本当に民の暮らしを考えていたんだな」
「……まあ、表向きはな。現実はいろいろあるけどな。
でもな、理想ってのは形にできるチャンスがあれば、追ってみてもいいと思う」
ルーベンは慌てて小さな手帳にその案を走り書きする。
「なるほど……これは支部の拡張計画と連動させれば、未来の基盤にもなる……!」
しらたまは笑みを浮かべながら、そっと香茶を差し出した。
「風が、いい方向に吹いてるね」
誰かの提案が、誰かの希望になる。そんな穏やかな時間が、支部を包んでいた。
* * *
夕刻の支部の片隅。香茶の湯気が立ち上るなか、
しらたまは瞳をきらきらと輝かせながら両手を握りしめていた。
「お願いだから、お風呂作りましょうよ!!!」
ルーベンが顔を上げる。環が紅茶を吹き出す。
「い、いきなり何の話だ、しらたま……」
「だって、この国、水もある、木もある、火の魔石と水の魔石だってある!
……なのに、なんで“湯に浸かる”文化がないの!?」
その熱弁に、思わず周囲の空気が後ずさった。
「体の芯から温めるのは、疲れの取れ方が違うの!
汗も流せるし、肌もきれいになるし、香を焚けば癒し効果も絶大で、しかも何より……」
そこで一息、しらたまは力強く拳を握る。
「――みんなで入ったら、心もぽかぽかになるんです!」
環が頷きながらも肩をすくめた。
「……まあ、風呂もいいけどな。俺はどっちかっつーと、トイレがな……」
「え?」
「水流式。つまり、レバーを引くと水がザーッて流れて、汚物を下水に流すんだよ。
あれがないのが……けっこうキツいんだわ」
ルーベンが興味深げに身を乗り出した。
「水を一定量放出して、汚物を流し去る構造か……。
それ、魔石で制御できるんじゃないか?
水の魔石に一定の圧をかけて、排出させる形なら」
ヴァルターも腕を組んで考え込む。
「……下水道自体は王都から技術導入してるし、設計は一部対応している。
となると、技術的には可能かもしれないな」
「マジで!?じゃあ、風呂もいけるじゃん!」と環が叫ぶ。
「もちろんです!お風呂もトイレも整えたら、
もっと清潔で、もっと快適で、もっと……幸せになれるんです!!!」
としらたまが胸を張った。
静まり返った一同の視線が、
熱弁し尽くして湯気のようにふーっとため息をついたしらたまに集まる。
ルーベンが小さくつぶやく。
「……お前の本気は、たまに未来を変えるな……」
ヴァルターはおかしそうに笑った。
「じゃあ検討してみようか。“アロマティアの湯”と“魔導水流式便所”
……試験導入、してみる価値はあるかもしれないね」




