第七十七話「異文化交流」
風見草亭の夕暮れ。香炉の煙がゆるりと立ちのぼるなか、
しらたまは手元のノートを見つめながら、ふと口を開いた。
「ねえ、私のいた国にはね、四季ごとに“衣替え”っていうのがあったんだよ」
「ころもがえ?」とヴァルターが首をかしげると、しらたまは微笑んでうなずいた。
「うん。春夏秋冬で服を入れ替えるの。衣装箱の中身を変えて、
お日さまに当てたり、季節に合う香りを入れたりしてね」
ルーベンが興味深そうに眉を上げる。
「……しかし、それは貴族の嗜みでは?
農民が四季ごとに衣を替えるなんて贅沢だろう」
「ううん、庶民もだよ。制服とか、作業着も季節で変えるの」
環が笑って補足した。
「あの国じゃ、気候や湿度にすごく敏感なんだよ。
だから衣服の通気性や色合いにまで“季節感”を込めるんだ。
暑い夏に黒い服は着ないし、春には桜の色の服を着たりするんだぜ」
「……色まで変えるのか。まるで詩のようだな」
とヴァルターがぽつりとこぼす。
しらたまは頷きながら続けた。
「あとね、お弁当って文化もあったよ。
出かけるときに、自分や家族のために食事を詰めて持っていくの。
小さな箱に、おかずを色とりどりに並べるの」
「まるで旅の供の保存食か?」とルーベン。
「いや、あれは……愛情だな」と環がさらりと答える。
「愛情?」
「冷めても美味しいように、見た目も綺麗で元気が出るように、いろんな工夫がされてる。
たぶん、こっちで言う“戦の前の祈り飯”に近いかもな。腹だけじゃなくて、心にも効く飯なんだよ」
しらたまは照れたように笑った。
「兄ちゃん、うまく言ってくれてありがとう」
そのあとも話題は続いた。
・紙に祈りを書いて火にくべる“願掛け”
・音の響きと静けさを楽しむ“風鈴”
・香をたいて虫を避ける“蚊取り線香”
どれもこれも、こちらの価値観からすれば奇妙で優雅で、
しかし確かに“役に立つ”ものだった。
「なるほどな……」とヴァルターは頷いた。
「しらたまの国では、日々の暮らしに“美しさ”を忍ばせているんだね。
命や労働だけじゃない、“息継ぎ”のような文化がある」
「……うん。そういうのを、こっちでも見つけていけたらいいなって思ってるの」
その言葉に、誰もがふっと目を細めた。
風が静かに、夜の街へと吹き抜けていった。
* * *
夜の広場、香炉の煙がゆるりと空へ溶けていく。
星がまたたく中、しらたまは手を止めて、ぽつりと漏らした。
「……わたしの国って、ね。日常に“祈り”があったんだよ」
「祈りって……神殿の? 儀式の?」とルーベン。
環がその言葉を受け取るように、ゆっくりと口を開いた。
「違う。あの国では、“ありがとう”も“いただきます”も、全部が祈りの形なんだ。
食べ物を前に手を合わせて感謝を捧げるのは、神でもなく人でもなく……命そのものに、だったな」
「命に……祈る?」ヴァルターが眉を寄せる。
「そうだ。水にも、火にも、風にも、“世話になってます”って気持ちで向き合ってた。
人間が偉いんじゃなくて、“今を生きてること”がまず尊い──そんな感覚だな」
しらたまが頷く。
「それが当たり前だったから、こっちに来て、ちょっと驚いたんだ。
食事のときに何も言わずに食べ始めることとか、風に何も言わないこととか……」
環が空を見上げた。
「俺たちの国には、“二十四節季”って季節の細やかな名前があってな。
小さな変化を感じ取りながら生きてた。たとえば、“啓蟄”は虫が土から出てくる時期、
“霜降”は霜が降り始める時期──。天気や草木の気配を、まるで“声”のように読んでたんだ」
「……まるで、風の詩みたいだね」とヴァルターが微笑む。
「そうかもな。で、面白いのはそこに合わせて“和菓子”まで変わるんだよ」
「わがし?」とルーベンが身を乗り出す。
「たとえば、春は“桜餅”、夏は“水無月”、秋には“栗きんとん”……全部、
“いまこのとき”の自然を写して、手のひらに収める菓子なんだ。簡単には作れねえけど、
目で見て、香りで感じて、食べて味わって──そのすべてが“祈り”の道なんだよ」
しらたまが微笑む。
「それをね、お茶と一緒に楽しんでたの。
“この季節にありがとう”っていう気持ちで」
ルーベンはしばらく黙ってから、小さくうなった。
「……すごいな。その文化そのものが、まるで祝福の儀式だ」
ヴァルターもまた、静かに口を開いた。
「それを知ったあとじゃ、食事も花も、風も……見え方が変わる気がするよ」
環が肩をすくめながら、笑う。
「なんだかんだで、あの国は“丁寧に生きる”ってことが、
当たり前になってる場所だったんだよ。……問題も山ほどあったけどな」
「それでも、覚えててよかった。わたしは、あの国を“きれいだった”って思いたいから」
星がまたたき、香の香りがふっと宵風に流れる。
その場にいた誰もが、ふと胸の奥をそっと撫でられたような気持ちになっていた。
「しらたま、お前の国の“結ぶ”って文化、前に少し聞いたが──」
窓辺の外で虫の音が響く中、ルーベンが香茶を片手にそう切り出した。
しらたまは、そっと頷く。
「“結ぶ”は、私たちの国ではすごく大事な行いだったの。
たとえば……水引。贈り物にかける飾り紐なんだけど、あれにも意味があるんだよ。
ほどけないように固く結ぶのは“絆”を願うとき、ほどけるようにするのは“再生”を祈るとき」
「紐ひとつで、そんなに意味が変わるのか……」とルーベンが驚いたように言う。
「そうなの。だから、結び方を間違えると、相手への“祈り”が変わっちゃうの。
折り紙や包み方も同じで、“折形”って言ってね。相手への敬意や願いを折りに込めるんだよ」
ヴァルターが感心したように、カップを眺めた。
「それは……“形にして伝える想い”なんだね。言葉よりも、静かで深い」
環がくいっと香茶を空にし、「それが“言霊”にもつながってるんだよな」と補足する。
「この国でも、言葉には力があるって言うけど……
俺らの国では本当に“言えば、成る”って信じてた。
だから“ありがとう”って言うたびに、世界がちょっと良くなるって思ってたんだよ」
「……興味深いな」ルーベンが感心したように頷く。
しらたまは、懐かしむように微笑んだ。
「あと、“香”もね、すごく大事にしてたの。
空間を清めたり、心を整えたり。“香を焚く”こと自体が“祈り”だったんだ」
「……それ、今の君の占いや香炉と、同じだね」ヴァルターが言った。
「うん。そうだね。たぶん私……あの国の“祈り方”を、そのまま持ってきちゃったのかもしれない」
そしてしらたまは、ふと胸の内を呟く。
「思い出しただけなのに、ここでも風が通った気がする……。
だから、祈りって、やっぱり“繋がる”ためのものなんだと思う」
風が風見草亭の空間をなで、香の残り香が静かに夜に溶けていった。




