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第七話「ラベンダーの香る問い」

ルアーの小屋に、ゆったりとした紫のドレスの婦人が入ってきた。

その歩みに合わせて、空気の粒子がふるえるように香りが広がる。


――ラベンダー。穏やかで、それでいて、胸の奥に残るような甘い残り香。


「……あなたが、“ルアー”の方ね?」


声は柔らかく、でもどこか深く沈んでいた。

その瞳の奥に、しらたまは言葉にできない“ためらい”を見た。


「今日は……未来について、少しだけ、確かめたくて」

「どんな未来ですか?」


問い返すしらたまに、ラベンダー婦人は曖昧な笑みを浮かべる。


「ただ……選ばなければならないものがあるの。


それが、誰かのためのものなのか、それとも、わたくし自身の……」

はっきりと口にしない。けれど、その香りと目の色が語っている。


――愛か、責務か。


しらたまは静かにカードを切り始める。

1枚、また1枚。広げられてゆくタロット。


最後に、カップの2 正位置が出た。


その瞬間、ラベンダーの香りがふっと強まった気がした。

花の精がふわりと微笑んだような気配。


しらたまはそっと口を開く。


「……今、あなたの中にある気持ち。それをまず、大切にしてあげてください」

「気持ち……?」

「頭で考えたことじゃなくて、心がほんとはどうしたいか。

それを、素直に見つめていいんです。選ぶためじゃなく、ただ“知る”ために」


しらたまの声は、まっすぐだった。


「未来は、選択の積み重ね。でも……

“誰のために”じゃなくて、“どんな自分でいたいか”を起点にすると、

後悔が少なくなる気がして」


ラベンダー婦人は、一瞬だけ瞳を伏せた。

けれど次の瞬間、ふっと目元を緩める。


「……あなた、不思議な子ね。

わたくしの周りにはいない“風の流れ”をしている」


「よく言われます。最近、風に関することが増えてきて……」


ふたりがふっと笑い合ったその瞬間、

ラベンダーの香りが、また少し強くなった。


「ありがとう。“答え”が欲しかったのではなく、

“心に寄り添ってくれる誰か”を探していたのかもしれませんわ」


そう言って、ラベンダー婦人は席を立った。

香りの余韻だけを残して、静かに戸を閉めて去ってゆく。


しらたまは、ぽつりと呟いた。


「……恋を、してるんだなぁ、あの人……」


ラベンダーの花言葉――“あなたを待っています”。

それは、誰にも言えないまま胸にしまった、誰かへの想いを守り続ける言葉だった。








「恋って、いいよね!!」

ミーナの声が元気よく響いた。


焼きたてパンの香りがまだスカートに残るまま、

テーブルの上で揺れる紅茶を前に、彼女は勢いよく語る。


「恋をしたら毎日が楽しいよー!

朝起きてから夜寝るまで、ぜーんぶ違って見えるもん!」


お茶を啜っていたしらたまは、思わず苦笑い。


「そういうもんかなあ……」


隣で優雅にカップを傾けていたクラリッサが微笑む。


「恋かどうかはさておき、誰かを想う心というのは、人を幸せにするものですわ」


その言葉に、ふとしらたまは黙り込む。


誰かを想う。


思い浮かんだのは、遠くに置いてきてしまった唯一の家族。


「……お兄ちゃん、大丈夫かなあ」


ぽつりと呟いたその瞬間、ミーナが食いついた。


「お兄ちゃん!?しらたまお姉ちゃんにお兄ちゃんいるの!?」


ぐいぐいと身を乗り出してくるミーナに、クラリッサがたしなめるように、


「ミーナさん、はしたなくてよ」


「あ、うん……」しらたまは少しだけ照れながら答えた。


「兄妹なんだけどね……離れ離れになっちゃって。

今どこにいるのかもわからなくて。でも……あの人、放浪癖すごくてさ。

前も二年くらい音信不通だったし、なんとかやってると思う」


そう言って、再び紅茶を一口啜る。


ミーナの賑やかさと、クラリッサの落ち着いた気配の間で、

しらたまの心がふわりと緩んだ。


そのとき、クラリッサがふと話題を変えるように言った。


「ところで、しらたまさんは……

“あのラベンダー婦人”をお相手されたのですわよね?」

「ん? “あの”って、なに?」


クラリッサは少しだけ目を丸くして、言葉を選ぶように続けた。


「ラベンダー領の領主家のご出身のお方ですのよ。

知らずに応対なさったの……?」


「えっ」


「わあ〜〜!!しらたまお姉ちゃん、すごーいっ!」


ミーナの拍手が軽やかに響いた。


「し、知らなかった……!失礼なことしてないかな……」


今更になって冷や汗をかき始めるしらたま。

そんな様子を見て、クラリッサがすっと立ち上がる。


「よろしければ、わたくしが貴族相手のマナー、お教えいたしますわ」

「えっ、ほんと!?」

「ええ。しらたまさんが“ルアーの看板娘”として恥をかかぬように」


その言葉に、ミーナがまた手を叩く。


「うわー!これからどんどん素敵になっちゃうね、しらたまお姉ちゃん!」


しらたまは、ほんの少し照れながら、でも嬉しそうに笑った。


(お兄ちゃん、あたし、こっちで頑張ってるよ)


そんな言葉を、心の中でだけ、そっとつぶやいた。








風見草亭の午後の陽光が差し込む中庭にて。


クラリッサはしらたまを正面に立たせると、

まるで舞踏会のように所作の練習を始めた。


「まずは、立ち姿からですわ」


腰に力を入れ、背筋をぴんと伸ばすクラリッサ。


「こうですの。首筋からかかとまで一本の糸が通っているつもりで」

「え、えっと……こう……?」

「肩が上がってますわ。力は入れずに、でも気は抜かずに、ですわよ」


しらたまはあたふたしながらもなんとか形にしてみせる。

クラリッサは頷き、次に歩き方を示した。


「歩幅は小さく、つま先から丁寧に。ドスドス音を立てるのは厳禁ですわ」

「……う、うん。がんばる……!」

「では次に、接客時の“第一声”を」


しらたまが少し緊張しながら言う。


「こんにちは、占い屋ルアーへようこそ……で、いいかな?」


クラリッサはふむと頷くと、少し指を立てた。


「悪くはありませんが、“声の高さ”と“語尾”が肝心ですわ。

もっと柔らかく、包み込むように。語尾は丸く、安心感を与えるように」


しらたまは深呼吸をして、もう一度。


「こんにちは。……占い屋ルアーへ、ようこそお越しくださいました」


クラリッサの目がきらりと光った。


「それですわ。それが“看板娘”の声ですのよ」

「おぉぉぉ……!」


「次にお茶をお出しする所作を。カップの持ち方、注ぐ手順、出すときの言葉。

これらはすべて“気遣い”の表れ」


しらたまはぎこちない手つきで湯を注ぐが、

クラリッサはそのすべてを見ていて言葉を添える。


「ティーポットの口は相手に向けてはなりません。

必ず自分の側へ。あと、注ぎ終えたら音を立てずに戻すこと」

「うぅ……けっこう細かい……」

「ですが、これが“格”になりますの。

貴族の方々は特にこういう所作をよく見ておりますから」


その後もしらたまは、

お辞儀の角度

椅子の引き方

来客を送り出す際の言葉遣い

(例:「本日はありがとうございました。また光に導かれますように」など)

表情筋の使い方(自然な笑顔の作り方)

などを徹底的にクラリッサから教わった。


そしてすべてを終えたあと、クラリッサは満足そうに微笑んだ。

「ふふ。しらたまさん、やはり貴女は素質がありますわ」

「えっ、ほんと?」


「ええ。“気遣い”を本当に理解してる人にしか、できないことばかりですわ」


少し照れたように笑うしらたま。

その横でミーナがまたも叫んだ。


「うわー!しらたまお姉ちゃんがどんどんお姫様みたいになっていくー!」

「いや、そこまではいかないと思うけど……でも、ちょっと自信ついたかも」


そう言って、しらたまはそっとお辞儀してみせた。


その仕草はどこか、月の光のようにやわらかく、

けれど芯の通った美しさを湛えていた──。




ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ

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