第六十七話「揺れる大地、祈りの声」
──それは、儀式の終盤。しらたまが最後の香を焚き上げ、祈りの詞を空に放ったときだった。
ズズ……ッ……ゴゴゴゴゴ──ンッ!!!
大地が、低く呻くような音を立てて揺れ動いた。
最初は微かな震え。だが、それはあまりにも急激に、激震へと転じた。
「な、何……!?」「揺れてる、地面が──!!」
広場に集った民衆が一斉に悲鳴を上げる。
王都北部。儀式会場からわずかに離れた王城の北翼が、轟音と共に崩落を始めた。
石畳が割れ、建物の一部が轟きと共に崩れる。
倒壊の衝撃で砂煙が舞い、悲鳴と土ぼこりが視界を奪う。
瓦礫が宙を舞い、花の飾りが千切れ飛ぶ。
「お母さんっ!」「こっちに来ちゃだめぇ!」
群衆の中に混乱が走り、幼子を抱えた女性が倒れ込む。
衛兵の怒号と人々の叫び、鼓膜を裂くような咆哮の中、王都は瞬く間に“崩壊”の只中にあった。
「しらたまッ!」
ヴァルターがとっさに声を上げ、広場の中央へ駆け出す。
しらたまの周囲に、崩れ落ちた建物の破片──巨大な石瓦が落ちてこようとしていた。
「危ないっ!!」
その瞬間、リナの悲痛な叫びが響いた。
次いで──風が、唸りを上げて吹き抜ける。
ひとつ、ふたつ。風の粒がしらたまの周囲に集まり、螺旋を描いて結界を編み上げる。
透明な壁のように風が張り巡らされ、落下してきた瓦礫を寸前で受け止めた。
──ふわり、と。
祈りの香の残り香が、その風に乗って拡がった。
光の粒が空中に舞い、まるで祝福の花びらのように、彼女を包み込む。
リナの両目は光を宿し、静かに、未来を見据えていた。
「……まだ、終わっていない」
一方、ルーベンはよろめきながらも、群衆の向こうに混じるひとつの影を捉えていた。
「……フェンネル! いたか!」
手にしていた香袋を握り、すぐさま騎士団へと指示を飛ばす。
「南側! 狐獣人の男! 確保を!」
同じく、環も敵の気配を捕らえていた。
瓦礫の間から這い出そうとしていた狼獣人──ブラックとホワイト。
「見つけたぞコラァ!!」
瞬時に跳びかかり、片手ずつ確保する。
「はい、確保〜っと。……おとなしくしてろや」
騎士団も迅速に動いた。オリヴァンの指揮の下、動揺する民を押しとどめながら、不審人物の捕縛を進めていく。
「負傷者は後方へ! 敵性反応のある者は拘束せよ!」
──しかし、その混乱の裏で、計画の主犯であるマロウは歯噛みしていた。
「なぜだ……地震は成功したはず……なぜ、“白”が生きている!?」
背後から聞こえる女の舌打ち。
「愚図が……」
ザリーナが、怒気を露わに睨みつける。
「このままでは、我が国の顔が立たぬ……! 転移を!」
「チッ……! 次は殺すぞ、“風の女”──」
言葉を残し、ふたりの姿は転移魔法によって霧散した。
次に姿を現すのは、すでに船の上だった。
「不愉快だ……!!」
船の甲板で、ザリーナは唾を吐き捨てるように吐き捨てた。
──その頃、王城では。
捕らえられた数名のバオリナの使節団員が取り調べを受けていた。
「誰に命令された?」
「どこから潜入した?」
だが彼らは、何も答えない。
まるで“誰か”の名を語ること自体が許されていないかのように──
「……呪が、かかってるな。名前を言えないように」
セージがそう分析したのは、静かな取調室の中だった。
そして──
夕暮れの王城の回廊。
壊れかけた塔の間を、ふわりと風が吹き抜ける。
その風を感じて、リナがそっと目を伏せる。
「……未来は、変えられる」
──その声は、静かな祈りのように、白き風に乗って空へ消えていった。
祭りの喧騒が過ぎ去った王都は、崩れた石畳と焦げた香の匂いに包まれていた。
震源地となった北部では復旧作業が急がれ、王宮でも壊れた聖堂の修復が始まっている。
王都の一角、静まり返った回廊にて。
「……王都に戻るつもりは?」
ユリウス王子が問いかけたのは、かつて学院を共にした旧友だった。
ヴァルター・リースはリュートではなく剣を腰に携えたまま、遠く空を見ていた。
「僕には“風の歌”を届けたい人がいるから」
ふと、優しく視線を落とした先には──
白い装束のまま、祭壇跡に咲いた小さな花に手を添える、しらたまの姿があった。
ユリウスは溜息まじりに、
「……あいかわらずだな。頑張れよ」と、ぽんと背を叩いた。
「ありがとう、殿下」
そのしらたまの祈りの跡に、確かに芽吹いたのは──
倒れた香炉の下から覗いた、一本の淡い青の花だった。
それはまるで、壊れたものの中に灯る“希望”そのものであった。
その日の午後、王国は正式に発表した。
今回の騒動はバオリナ共和国の一部過激派による計画的襲撃であり、外交筋との調整が必要とされると。
王都神殿の祈祷室。
リナ・バウは、静かに手を胸元に添えた。
「わたし……もう、逃げない。
風の神子として、この力を──人のために使います」
その言葉に、しらたまはそっと肩に手を置き、微笑んだ。
「リナちゃんの風、誰かの心を救ってくれる。きっとね」
一方、王女ソレイユはといえば──
「しらたまちゃんをあんな目にあわせるなんて……信じられないわよ!!」
「姫様、どうかお静まりを……!」
「お茶、お茶をお持ちいたしますっ……!」
王女の周囲では侍女たちが右往左往していた。
「ほんと、男ってバカばっかり……!」と、つぶやく声は控え室の外まで届いていたという。
そんな中、騎士団長オリヴァンが報告の書簡を携えて王城へ入った。
「リース家、および王国守備隊の調査により……
バオリナ使節団の背後に、“異端組織”の関与が強く疑われます」
「異端組織……?」と、ユリウスが眉をひそめる。
「唯一神を名乗る存在を崇拝する信仰勢力。
その名は使節団関係者の持ち物や紋章に複数確認されました」
静まり返る会議室。
やがてヴァルターが、誰にともなくつぶやく。
「風はまた、巡ってくるのか……」
遠く、崩れた聖堂の屋根から──
一筋の白い風が、祈りの香りを運んでゆく。
花は散り、そして──風は巡る。




