第六十五話「王都の守護の風」
王都の通りに、色とりどりの布飾りが揺れはじめていた。
軒先には香と花の装飾、仮面売りの露店が姿を現し、子どもたちの歓声が風に混じって響く。
「なんか……お祭りっぽくなってきたね」
ふと立ち止まりながら、しらたまがそう呟いた。
通りの先では、舞の稽古をする市民たちの姿もある。
花まつりを前に、王都は静かに熱を帯び始めていた。
「星まつりはラセルナだったからね」
隣を歩くヴァルターが、どこか懐かしげに微笑む。
「王都の祭りも悪くない……なにもなきゃ、な」
ルーベンのぼそりとした一言に、空気が少しだけ緊張する。
「そうだね。今回は……さすがに気を引き締めないと」
ヴァルターの声は落ち着いていたが、その瞳には警戒の色があった。
「前回は使う機会なかったけど……いるか? 魔力増強剤」
ルーベンが懐から小瓶を差し出す。澄んだ青の液体が、光を反射してきらめいた。
「……一応、受け取っとこう。何があってもいいようにね」
小瓶を受け取るヴァルターの手が、ほんの一瞬だけ震えたのを、しらたまは見逃さなかった。
その会話を聞きながら、しらたまは心の奥で、そっと祈った。
――どうか、何も起きませんように。
春の風が、花の香を運ぶ。
けれどその風の先に、何が待っているのかは、まだ誰にもわからなかった。
春の陽気に包まれた王都の大通りには、花まつりを彩る屋台が並び、
香ばしい香りがあちこちから漂っていた。
人々の笑い声と笛の音が交錯し、空はどこまでも晴れやかだった。
「たまー、美味そうな串焼きあるぞー!」
少し先の屋台から、環の声が弾んだ。
「もう、兄ちゃんっ……やめてよ! 子どもじゃないんだから!」
しらたまは頬を染めて小走りに近づく。
環はすでに牛串を一本手にし、満足げにひと口かじっていた。
「ほれ、お前、こういうの好きだったろ?」
そう言って、もう一本の串をしらたまに差し出す。
「……す、好きだけど……好きだけどお! 恥ずかしいからやめてってば!」
両手で受け取りながら、しらたまは小さく肩をすくめた。
その様子を少し離れたところから見ていたヴァルターとルーベンが、思わずふっと笑う。
「しらたま、欲しいものがあったら言ってね」
ヴァルターが柔らかく声をかける。
「それ……絶対支払われるやつ……!!」
串を持ったまま、しらたまは顔を真っ赤にしてうめいた。
春風が、くすぐったそうにその笑い声をさらっていく。
王都の陽が高く昇った午後、帰宅した一同はリース邸の応接間にいた。
一陣の風のような威圧感がそこに流れ込んでいた。
「――今回、護衛につきます。王国騎士団・第二部隊長、オリヴァン・ティムと申します」
金の徽章を胸に、銀糸の縁どりがされた外套を纏った男が、
堂々とした足取りでしらたまの前に立った。
その眼差しには鋼のような意思がありながらも、どこか柔らかな光を湛えている。
威厳と温かさが同居するような佇まいだった。
「お会いできて光栄です、“白の聖女”殿」
そう言って、騎士は重みのある動作で敬礼をとる。
突然のことで驚いたしらたまだったが、慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします……!」
その様子に、オリヴァンは口元をわずかに緩めた。
「ご安心を。私どもは、あなたとこの国の“春”を守るためにここに参りました。
どうか、肩の力を抜いて」
厳格でありながらも柔らかな言葉に、しらたまは少しだけ緊張をほどいた。
傍らでヴァルターが微笑を浮かべる。
「お変わりありませんね、オリヴァン隊長」
「君こそ、すっかり立派になったな。子爵殿」
二人の短い言葉のやりとりに、古い信頼と絆が垣間見えた。
風が庭木を揺らすリース邸の一角、
護衛に就く王国騎士団第二部隊長・オリヴァン・ティムがふと懐かしむような調子で口を開いた。
「そういえば――子爵殿は学生時代、
よくご友人と連れ立って学院から夜に抜け出しておられましたな。まるで日課のように」
「オリヴァン隊長、その話は……」
ヴァルターが小さくため息をつきながら苦笑を浮かべる。
しかしオリヴァンはいたずらっぽく肩を竦めた。
「何をおっしゃいますか。あの“魔の森”での一件はいまでも語り草ですぞ?とくに――森の主の討伐は」
「森の主?」としらたまが目を丸くする。
「ええ。王都外れにある瘴気の残る古い森。魔獣が出ることで有名な危険地帯です。
あの頃、我々でも抑え込むのがやっとの存在が、奥地に潜んでいたのですよ。
名を“森の主”と呼ばれていました」
「……まさかそれと戦ったの?ヴァルターが?」
「厳密には三人で、ですな」
オリヴァンが語り始める。
「陣形を組んだのは火の魔力を持つ王子殿下――第一王子ユリウス様。
そして囮役を引き受けたのが現王政文官のセージ殿。
そして子爵殿――ヴァルター様が補助魔法と風の連撃でとどめを刺されたのです」
「ヴァルターお前……」ルーベンが驚いた声を漏らす。
「いや、あれは……ほんの……」
肩をすくめるヴァルターに、環が満面の笑みで乗っかる。
「いやぁ~、学生時代満喫してんな!王子に文官に詩人って、どんな最強パーティだよ!」
「で、なんでそんな危ない森に行ったんですか……?」
しらたまが不思議そうに尋ねると、オリヴァンがひとつ咳払いしてから微笑む。
「……暇つぶしだったそうですよ」
その場に沈黙が落ちる。
「……ひ、暇つぶし……!?」
「若さとは恐ろしいものですな」
ヴァルターは視線を逸らしつつ、手元のカップを傾けた。
「……あの頃はね、怖いものなんてなかった。僕は、もっと強かったし、自信もあった。
迷いもなかった。……でも、それが“本当の強さ”じゃないって気づいたのは、旅に出てからだよ」
その言葉に、誰もが少しだけ表情を曇らせる。
リナがぽつりとつぶやいた。
「じゃあ……今のヴァルター様は、優しい強さを持っているんですね」
ヴァルターはふっと笑った。
「……そうかもしれないね。ありがとう、リナちゃん」
そのやりとりの背で、しらたまはそっと微笑んでいた。
風のように吹き抜ける過去が、今の彼を形作っている――その確かな温もりを感じながら。




