表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/254

第六話「風見草亭の女たちと、決断の光」

転移してから、1ヶ月が経っていた。


最初はまばらだった来訪者も、

今では毎日五、六人がしらたまのもとを訪れるようになっていた。


風見草亭の小さな物置小屋──今では「占い屋ルアー」として、

この街にそっと根を張り始めている。


けれど、世の中は甘くない。

日が当たれば、影もまた伸びる。


少しずつ広まり始めた評判は、

好意ばかりを連れてくるわけではなかった。


「……突然現れた余所者だ。怪しいったらないよな」

「“あそこ”、魔女が棲んでるって話、聞いたかい?」


通りすがりの声が、まるでナイフのように刺さってくる。


──聞こえてるよ、ばっちりね。

と思いつつも、しらたまは立ち止まらない。


(懐かしいな、この感じ……)


占いの世界なんて、あっちでもこっちでも胡散臭がられて当然だった。


同じ館の占い師同士ですら、

笑顔の裏で噂や悪意を囁き合っていたこともある。


(でもまあ……それでも、

ちゃんと信じてくれる人がいれば、それでいいって……)


──その時だった。


「ちょいとあんたら、その口、慎みな」


ぴたりと空気が止まった。

声の主は、マーリエだった。


手には買い物かご。

エプロンの裾をきゅっと握りながら、

彼女はまっすぐ噂話の主たちを見据えていた。


「この宿で働くもんに、“魔女”なんて言葉、よう使えたもんだね。

怪しい? 怪しいってのはね、知らないからこそ、

ちゃんと見ようとしなきゃ出てくる言葉さ」


女将の声は静かだったが、明確な“怒り”があった。


日々、宿場を見守り、料理を作り、

あらゆる客を迎えてきた彼女のその言葉には、

誰もが口を噤むだけの重みがあった。


「風見草亭の名に泥を塗るような口を利くなら──」

「──それ以上、言葉にするな」


とっさに言葉を続けたのは、

どこからか飛び込んできたミーナだった。


「しらたま姉ちゃんがどれだけ親切か、優しいか、

あたしは知ってるよ!話もしないで、顔も見ないで、

人を悪く言うなんて、ぜったいおかしいっ!」


ミーナの声は震えていた。

けれど、それでも胸を張っていた。


「あなたたちの言葉は、安い噂にすぎませんわ」


続いたのは、クラリッサ・ノワ。

その物腰は優雅で、だが凛としていた。


まるで、かつての貴族社会で

何度も戦いをくぐり抜けてきたかのように。


「私の目に狂いはありません。

“占い屋ルアー”は、風見草亭の誇りです。

……彼女を侮るならば、

わたくし自身の選択も侮辱することになりますのよ」


風が静かになった。誰も言葉を返せなかった。

そして、しらたまはぽつりと呟いた。


「……でも、大丈夫なんです。慣れてるから。こんなの、別に──」

「だからそれがダメなんだってば!」


ミーナとクラリッサ、そしてマーリエの三人の視線が揃って、

しらたまに突き刺さる。


「“慣れ”ちゃいけないことだってあるんだよ」

「自分が受けるべき尊重を、投げ捨てないでくださいまし」

「……自分を下に見るのは、やめときな」


静かに、けれども確かに。


その日、しらたまは“守ってくれる人たち”の決断と、

まっすぐな怒りを受け取った。


風見草亭の女たちの強さは、優しさと、信じる力に満ちていた。


言葉じゃない。態度で。まなざしで。


彼女たちは、この場所で生きる者として、

しらたまを迎え入れてくれていたのだ。


(……ありがとう)


その想いが、胸の奥で小さく光を灯した。

そしてそれを見ていた男が一人。


いつも通り、分厚い本を読みながらも、

時折目だけを上げていたルーベン・カリストは、


しらたまの姿を見て、ほんの少しだけ──ふっと笑ったのだった。








ぽろん……。




ひと撫で、弦を揺らすと、空気がそっと震える。


昼下がりの風見草亭の裏庭。

木陰に腰かけ、僕は今日も、

風の機嫌を伺うようにリュートを奏でていた。


……また、吹いた。


少し湿った風。

けれど、遠くの砂漠では乾いた風が吹いてるらしい。

風ってのは、旅人みたいなもんさ。いつもどこかで誰かを撫でてる。


僕は音楽で風を読む。


誰が笑って、誰が泣いて、誰が怒ってるのか、

音にすればちょっとだけ、見えるんだ。


今日の風は……怒ってた。

でも、それ以上に優しかった。


ぽろん……。


占い屋ルアー。

あの娘が来てから、風の流れが少しずつ変わった。


この町の空気に、小さな渦が生まれて、

あっちにもこっちにも“ひかりの種”が転がっていく。


だけどさ、世の中ってやつは時々、

その種を踏みつけたくて仕方がない人間もいるんだよね。


“余所者だ”


“魔女だ”


なんてね。


聞こえてないと思ってるのかな。

ああいうの、風はちゃんと運んでくるのに。


ぽろん……。


でも、面白いことに。

その“言葉”の向こうで、ピシッと空気が割れた。


「その口、慎みな」


……あれは、マーリエさんだね。

まったく。ああいう時の女将さんってば、まるで斬馬刀だよ。

声一つで、空気を切るんだからさ。


続いたのはミーナ。

あの子はいいね、正直で真っすぐ。

泣いて怒って笑って、ちゃんと“生きてる”。


クラリッサ嬢も、いい意味で変わった。

あの令嬢の視線が、しらたまに向けられるたびに、

まるで宮廷の鏡に陽が差すみたいに“柔らかく”なるんだよね。


僕?


僕は、ただ音にしてるだけ。

風が教えてくれたことを、ぽろん、ぽろんと奏でてる。

誰かがそれを聞いて、何かを思ってくれるなら、それでいい。


――しらたまは、きっと気づいてないだろうけど。


あの子の声、空気を変えるんだ。

触れた場所が、じんわりあたたかくなる。

誰にも届かないような心の底に、そっと火を灯すみたいに。


ぽろん……ぽろん……。


今日もまた、誰かがルアーの扉を叩いた音が、風に乗って届く。


ふふ。

“おもしろい風だね”、君は。


この先、どんな風が吹くのか……

僕ももう少し、ここに腰を落ち着けてみようかな。


風が歌い終わるまでは、ね。




裏庭に回ったしらたまは、思わず声を上げた。

「……え、ヴァルターさん!? そこにいたの!?」


木漏れ日の下、古い木の根元に腰掛けたヴァルターが、

静かにリュートを抱えていた。


細く、柔らかく、一本の弦を爪弾く。


ぽろん──


その音は、風とともに生まれたように自然で、

彼の存在をまるで空気の一部のように溶け込ませていた。


「常に風とともにあるよ」


彼は目を細め、歌うように、

けれどごく当たり前のことのようにそう言った。


しらたまは、つい唇を噛むようにして笑ってから、

きゅっと拳を握った。


「えへへ……あんなのはへっちゃらだよ! 

全然、気にしてないもん!」


大げさにガッツポーズを決める彼女に、

ヴァルターはひとつ、うなずく。


「君は強いね。……とても素晴らしい風だったよ」


その言葉が、なんとなく胸の奥にしみる。

そして、次の言葉は、さらに不思議な響きをまとっていた。


「君にはいずれ、星の導きが起きる」

「……星の、導き……?」


しらたまが問いかけるより早く、

ヴァルターはそっと視線を空へ向け、


リュートを静かに弾きはじめた。


それは、語り継がれる詩だった。

星の導きの神と、運命を渡る巫女の物語。


夜の帷に舞い降りた光が、一人の少女を選び、

彼女は祈りを捧げながら“道”を照らす。


その詩には、どこか懐かしくて、

けれどまだ見ぬ何かを呼ぶような、


優しくて、少しだけ哀しい調べがあった。


風が鳴り、枝葉がざわめく。


しらたまは黙って聴いていた。


(……なんで、この詩、こんなにも……)


まるで昔から知っていたような、

どこかで何度も聴いたことがあるような──


けれど絶対に、初めて聴くはずの詩。


ヴァルターの声とリュートは、ひとつの風となり、

しらたまの心の奥の“なにか”を、そっと揺らしていた。


それは言葉ではうまく言い表せない感覚だった。


ただ、星が。


どこかで、瞬いているような──そんな気がした。



ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ

˙▿˙ )/<ブクマしていただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ