閑話「仮設小屋と大鍋の夜」
星が瞬きはじめた頃、
“アルミエラベース”と呼ばれる仮設の拠点に、初めて火が灯った。
王都から派遣された技師たちが設営した帆布張りの小屋は、骨組みも整いきらぬまま。
それでも風をしのげるだけで、野営に慣れぬ者には十分だった。
一方で、近隣農村から集まった職人たちは、手早く焚き火台を組み、鍋をかける。
煙が上がり、火花が夜の空気を揺らしてゆく。
「王都じゃ、鍋に葉っぱを入れるのか」
丸太に腰掛けた若い職人が、半ば感心したように技師に尋ねる。
「ミンテスとジョリエだよ。胃にやさしくなる」
返す技師の声に、周囲の農夫たちが一斉に目を丸くした。
「へぇ~、お貴族様の味かと思えば、案外まともな香りだな」
「この葉っぱ、香草屋のおかみがくれたやつと似てるかもなあ」
彼らは誰も“正しさ”を競わない。ただ、風のように混ざり合う。
鍋の湯気が立ちのぼり、香が夜風に溶ける。
山の端にはまだ建物もなく、夜露が草を濡らす音すら聞こえる静けさの中。
ふと、ひとりの技師がぽつりとつぶやいた。
「……ここ、ほんとに人が通るようになるのかな」
問いかけるでもなく、ただの独り言だった。
だが、鍋をかき混ぜていた年配の大工が、ゆっくりと顔を上げる。
「通るさ。道ってのは、通るからできるんじゃねぇ。
“通りたい”って思う奴がいるから、そこに道ができんのさ」
湯気の向こうで、何人かが笑った。
誰が王都の者で、誰が農村の者か。
境など、鍋の輪の中にはなかった。
その夜。風花の丘にはまだ宿の形はなかったが、
人と人の交差は、確かに始まりつつあった。
──それは、建設の記録にも残らない、小さな夜の出来事。
ただ“笑い声の届く場所”がひとつ、増えたというだけの話。




