第五話「星を頼る理由(わけ)」
──転移してから、二週間が経っていた。
最初は“なんだあの小屋”という目で見られていた「ルアー」も、
今では一日に五、六人が訪れるようになっていた。
常連というにはまだ早いが、少しずつ、
“光”を求めてくれる人が増えている。
昼下がり。
風見草亭の食堂では、いつもと変わらぬ日常が流れていた。
ルーベンはいつもの席で、分厚い本を広げている。
しかめっ面で何かの計算をしていたが、
こちらが視線を向けてもピクリとも動かない。
(今日も通常運転だ……)
遠くの広場からは、リュートの音が流れてきていた。
どこかでヴァルターがまた、ルアーの歌を弾いてくれているのだろう。
「……感謝しかないなぁ、ほんと。今度、なにかごちそうしよう……」
そんなことを呟きながら、しらたまは空になった皿を重ね、席を立つ。
小屋に戻って、香を焚き、カードを整え──
いつも通りの「占い屋」の午後を始めようとしたその時だった。
「──あなた、“しらたま”とおっしゃる方でしょう?」
背筋の伸びた、澄んだ声。
ふいに呼び止められたしらたまは、思わず立ち止まる。
ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは──
長い銀灰色の髪を編み上げ、
淡い紫のドレスを纏った一人の女性だった。
その佇まいは凛としていて、どこか“上流階級”の香りがする。
「え、えっと……はい。そうですが……?」
「わたくし、クラリッサ・ノワと申します。……その……ええと」
どこか気まずそうに、けれど丁寧な所作でスカートを摘まむ。
しかしその口はなかなか本題を切り出せないようだった。
「…………あの、その……少し、お話……
ううん、違うわ、ええと……その……」
(あれ、もしかして、占いに来てくれた人……?)
戸惑うしらたまの横から、ひょっこりとマーリエが顔を出す。
「この子ね、占い好きなのよ」
「ま、マーリエさんっ、それは……っ」
「ほら、クラリッサ、言っちゃいな。
『わたくし、占っていただけますか』って」
「ううぅぅぅ……ああもうっ、言わせないでくださいまし!!」
思わず声をあげてしまったクラリッサは、頬を赤く染めながら、
肩をすくめて、ようやく口を開いた。
「……わたくし、占いなどというものには
縁遠い家柄で育ちましたが……っ!
そ、それでも! どうしても気になることがあって!
ええい、もうっ……お願い申し上げます、しらたま様……」
頭を下げるクラリッサの姿に、しらたまはくすりと笑ってしまう。
「はい。ようこそ、占い屋ルアーへ」
そしてその瞬間、クラリッサ・ノワの“星”が、
そっと、しらたまの“光”に引き寄せられていった──。
ルアーの小屋の中。
天窓から光が差し込み、
スウィリアの香りがやわらかく漂う空間で、
クラリッサ・ノワは座っていた。
背筋を伸ばしながらも、
手元をそわそわとさせて落ち着かない様子だ。
「……わたくしの家、元は由緒ある家柄でしたの。
けれど今では見る影もなくて──」
静かに口を開いたクラリッサの語りは、
しらたまの胸にじんわりと届いた。
「かつての領地は没収され、屋敷は売却。
いまでは、父の知人の厚意でこのラセルナにある
別荘を間借りしているような暮らしですわ」
その目に宿る悔しさと誇り。
彼女が“クラリッサ・ノワ”という名に
どれほどの思いを抱いているかが、痛いほど伝わってくる。
「……それでも、わたくし……
もう一度、貴族として立ち上がりたいんです」
クラリッサは瞳を伏せた。
「笑われましたの、何もかも。
家が落ちたとたんに、“あのノワ家の娘”だとさえ呼ばれなくなって」
拳をぎゅっと握りしめ、顔を上げる。
「わたくしだけではありませんのよ。
両親も、兄たちも、まるで滑稽な飾り人形のように扱われて……!」
そこまで一気にまくしたてたクラリッサだったが、
そのあと、急に息を吐いて肩の力を抜いた。
「──ですが!!」
「……はいっ」
「それ以前に! わたくし、
ほんとうに“占い”というものが気になってしまって……!」
急に顔を赤くしながら身を乗り出す。
「少しでいいから、教えてくださらない?
どうしてみなさん“占い”に頼るのか。どんな風に“見える”のか……」
(あ、この人……かなりの占い好きだ……)
心の中でそう思いながら、しらたまは笑みをこぼした。
「今は、その……別荘で?」
「ええ。田舎貴族の方なのだけれど、父の学友でして。
人の出入りが少ない静かな別荘を、
使っていいと貸してくださったのです」
「じゃあ、どうしてクラリッサさんだけ、風見草亭に?」
その問いに、クラリッサはちょっとだけ顔を背けた。
「……元婚約者なのですわ。あそこの長男」
「……ああ~……なるほど……」
(貴族社会、やっぱりややこしい……)
複雑そうな事情に思わず渋い顔になるしらたま。
「そういうのあるんだよね、貴族だと……」
と、心の中で納得しかけながら話を切り替える。
「じゃあ、今日は“貴族として再出発するには
何から手をつければいいか”を見てみましょうか」
テーブルの上に、白地のタロットクロスが広がる。
しらたまは一枚一枚に意識を込めて並べていく。
「……これで合ってますか?」
「……ええ、そうね。それで、よろしくてよ」
カードは、静かにしらたまの指先でめくられていく。
──《女教皇(逆位置)》
──《ペンタクルの3(正位置)》
──《カップの2(正位置)》
──《戦車(逆位置)》
──《星(正位置)》
並んだカードを前に、しらたまは小さく息を吐いた。
「クラリッサさん」
「……はい」
「あなたは、とても強くて、誇り高い方ですね。
でも、その強さが──
いま、あなたの再出発を妨げてしまっているかもしれません」
クラリッサのまなじりが、ぴくりと動く。
しらたまはやわらかく微笑んで続けた。
「《女教皇》が逆位置に出ているのは、
“知識や信念への過信”を示しています。
すごく頭のいい方に出やすいカードなんです。
自分ひとりでなんとかしよう、って思ってるでしょう?」
「……それは……」
「でもね、ちゃんと“手を貸したいと思ってる人”が、
もう近くにいるみたいです」
しらたまは《カップの2》と《ペンタクルの3》のカードを示す。
「これは、“信頼関係”と“協力”を表すカード。
おそらく──あなたが“苦手”だと思ってる相手の中に、
その鍵があるんじゃないかな」
「苦手な、相手……」
クラリッサはふっと顔を伏せ、何かを考えているようだった。
その横で、しらたまは最後のカードにそっと手を置いた。
「最後に、《星》の正位置。これは“希望”です。
道は、ちゃんとあります。でもそれは──“ひとりでは辿りつけない道”」
しらたまは、そっと微笑んだ。
「クラリッサさん。“誰かを頼ること”は、弱さじゃありませんよ。
きっと、あなたの“強さ”が誰かを照らす日も来ます」
しばらく沈黙が続いた。
クラリッサは、真剣な眼差しでカードを見つめていた。
そして、ぽつりと口を開く。
クラリッサの視線が、ふっと遠くに向けられた。
「……思い浮かべてしまいましたわ」
「誰か、いますか?」
「……ええ。元婚約者ですの。田舎貴族の長男」
その声音には、悔しさと、誇りと、
そしてわずかな懐かしさが混じっていた。
「貴族としての格は決して高くはなかったけれど……
領土経営にはとても長けた方でした。
農地の整備から、交易路の見直し、
民の暮らしの立て直しまで──まるで将軍のように指揮を執って……」
「すごい人、ですね」
「……ええ。本当に、立派な方ですわ。──だから、怖かったのです」
「怖い……?」
クラリッサはそっと目を伏せ、手袋をした手を膝の上で組んだ。
「私は……ただの“名家のお飾り”でしかなかった。
あの方の横に立てるほど、何かを持っていなかったのですわ。
だから、破談になったときも、わたくし、何も言えなくて……」
しらたまは静かにクラリッサの言葉を受け止めた。
「……だけど今、また思い浮かんだってことは……」
「……“頼りたい”と思ったからかもしれませんわね」
しらたまはそっと微笑み、
クラリッサの前に置かれた《カップの2》を指差す。
「このカード、ちゃんと“向き合おうとする気持ち”の象徴です。
無理にすべて話す必要はないけど、
あなたが歩きたい道を、少しでも共有できるなら……」
「……もう一度、あの方の隣に立ちたい」
クラリッサは静かに言った。
「“飾り”ではなく、ひとりの人間として。
対等に、手を取り合えるように」
「きっと、できますよ」
しらたまは、まっすぐにそう言った。
その言葉にクラリッサは目を伏せて、小さく頷いた。
「ありがとう。あなたにお願いして、よかったわ」
そう言って、丁寧に礼をする彼女の所作には、
もう“かつての貴族”だけではない、どこか凛とした決意が宿っていた。
──こうして、“占術マニア”であり“落ちぶれ令嬢”
クラリッサ・ノワの再出発は、静かに始まったのだった。
ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ
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