第五十話「選ばれし光」
夜の静けさに包まれて、しらたまは深く息を吐いた。
ゆらり、ゆらりと揺れる光の粒たち。
それは、あの日、香炉の火から立ち昇った“祈りの風”に似ている。
けれど今は、風もなく、香もない。
ただ、白く滲んだ光が、どこまでも遠くまで続いていた。
――夢だ、とわかっていた。
立っているはずの地面の感覚もなく、ただ空間に浮いているような感覚。
遠くで誰かの声が響いた。
「やっほー☆ しらたまちゃん、げーんきー?」
軽やかで、馴れ馴れしくて、だけどどこか懐かしい声。
「……神様……?」
振り返ると、そこには白い衣をまとった人物が立っていた。
肩にかかる金の布、夜空の星を散りばめたようなマント。
年齢も性別も曖昧で、どこか“人間ではない”存在感を纏っている。
「はいはーい、大正解☆ 星神フィオル様でーす!」
ウィンクと共に、星が弾けるような音が響く。
しらたまは小さく息を呑んだ。
この存在が、祈りに応え、風を動かした……神。
「今日はねー、ちょーっと大事なお話があって来たの。
“選ばれし者”のこととか、“星灰”のこととか。……ちゃんと聞く覚悟、できてる?」
その声は、まるで遊び半分のように軽やかだった。
けれど、星のような瞳の奥に、確かな重みが宿っていた。
「……うん。聞かせてください。ちゃんと、全部……知りたいです」
しらたまはゆっくりと頷いた。
それは、ただの夢の中のやりとりではない。
この先の“現実”を変えていく、祈りの始まりだった。
「よーし、それじゃあ――レッツ☆お勉強タイム!」
フィオルが指を鳴らすと、空間が星図のようにきらめき出す。
点と線が繋がり、ひとつの“星の記憶”が浮かび上がった。
「これはね、かつてこの世界に降り注いだ“願いの痕跡”。
星灰って呼ばれてる、祈りの“燃えかす”みたいなものなんだよ」
きらめく粒子が、闇のなかで淡く燃え上がる。
それは、まるで誰かの願いが燃え尽きた名残のようだった。
「祈りってさ、力になるでしょ? だけど強すぎる祈りはね、
受け止めきれずに“灰”になっちゃうんだ。未練、執着、渇望――
それらが固まって、この世界に“落ちてくる”ことがある」
「……じゃあ、それって……危険なもの、なんですか?」
しらたまの問いに、フィオルは首をかしげた。
「うーん、使い方次第、かな? 星灰はね、善にも悪にもなれる。
“誰が、どう祈るか”で、意味が変わるんだ」
しばしの沈黙。
「――しらたまちゃんは、その“祈りを継ぐ者”。
正確には、“光を繋ぐ者”って呼ばれてるよ」
「わたしが……?」
思わず自分の胸元に手を当てる。
そこに、確かに宿っている気配。
誰かの祈りに応えて、風が吹いた、あの日の感覚。
「選ばれし者ってのはさ、“強い力”を持ってるってことじゃない。
“他の誰かの祈りに、自分を差し出せる人”のこと。
だからね、選ばれるってことは……時々、すっごく、痛い」
フィオルの目が細くなる。その言葉には、優しさと警告が混ざっていた。
「それでも、進む? “白の聖女”として、この先も?」
選ばれた理由。宿命の意味。
そのすべてを、今、ここで受け取る覚悟が問われていた。
「……進みます。
わたしは――誰かの祈りを、繋げる人になりたいから」
静かに、けれどはっきりと。
しらたまはそう告げた。
フィオルはぱちん、と嬉しそうに手を打つ。
「うんうん、その言葉、ちゃんと星に記録しておくね☆
それじゃあ、ごほうびの“おまけ”もつけとこっか」
そう言って差し出されたのは、白銀にきらめく《星》のカードだった。
「祈りを忘れそうになったとき、この子が教えてくれるよ。
君は、“願いの風”を起こせる人間だってことを――」
カードが光に溶け、空間がふわりと揺れる。
「また会おうね、しらたまちゃん。
次は……ちょっとだけ“嵐”が来るかもだけど――
その風の中にこそ、君の祈りが生まれるから」
フィオルの声が遠ざかる。
まぶたの裏に残った光が、やがて現実の光に変わっていく。
朝。
しらたまはふっと目を開けた。まだ暗さの残る天井を見上げる。
胸元に、手を当てる。
そこに、ほんのりとした温もりと光の名残があった。
「……神様、ちゃんと……受け取ったよ」
呟いた声が、静かな部屋に溶けていく。
誰かの祈りに応えるために。
もう、迷わない。
たとえ“嵐”が来ても、自分の灯す光を信じて。
今日もまた、扉を開ける。――白の聖女として。
朝の空気はまだ冷たく、ラセルナの町は静かな眠りの中にあった。
風見草亭の裏庭。香炉からうっすらと白い煙が昇っている。
その小さな焔を囲んで、しらたまは三人の仲間に向き合っていた。
ヴァルター、ルーベン、そして兄の環。
「……わたし、神様に会ったの」
しらたまの声は、落ち着いていた。けれど、わずかに震えていたのは冷えた風のせいだけではなかった。
「夢の中で、“神フィオル”って名乗る存在が現れて……
星灰や祈りの力のこと、わたしが“選ばれし者”だってこと、教えてくれたの」
言葉を選びながら、ひとつずつ丁寧に話す。
仲間たちはそれぞれ、沈黙の中で彼女の言葉を聞いていた。
最初に口を開いたのは、ルーベンだった。
「……それ、夢じゃなくて……神との接触、だって?」
疑念のにじむ声。科学と理論を重んじる彼にとって、それは到底“説明のつかない話”だった。
けれど、しらたまはまっすぐに彼を見つめた。
「うん。信じられないよね。わたしも、最初はそうだった。でも……」
その目の奥に宿るものを、ルーベンは感じ取ったのだろう。
ふっと息を吐いて、肩をすくめる。
「……君がそう言うなら、本当なんだろう。俺にとっての“理屈”は、それで十分さ」
そして、環が静かに目を細める。
「フィオル、って言ったか……」
その名を呟いたあと、ふと遠くを見るような目になる。
(……たしか、あのとき。あのインクを売っていた男――あれは、何者だったんだ?)
薄く笑う顔に影が差す。
(あれも“神”ってやつの手先なのか、それとも……偶然を装った導きか)
まだ、わからない。
けれど、確かにどこかで“何か”が動いている。
その直感だけが、胸の奥にじわりと残っていた。
そして、ヴァルターはただ、ずっとしらたまの顔を見ていた。
彼の瞳には、迷いも疑いもなかった。
「君がそう言うなら、そうなんだろう」
ただ、それだけ。
まるで当たり前のように。
この世界の理よりも、しらたまを信じるという確信だけが、そこにはあった。
しらたまは、小さく笑った。
「ありがとう、みんな……ちゃんと話せて、よかった」
小さな焔が揺れ、風が静かに通り抜けた。




