第四十三話「君に手を取る夜」
王都から届いた一通の手紙。
それは、王妃イリスと王女ソレイユの連名による、
王家主催の舞踏会への正式な招待状だった。
それを受け取ったヴァルターは、静かに封を開けたあと、
しらたまに向き直り、涼しげな声で言った。
「舞踏会まで一か月。レッスンの再開だよ、白き星の風よ」
その声音には、普段の優しさの奥にある真剣さが滲んでいた。
「ひゃい……」
しらたまはその気配に、思わず情けない声を漏らしてしまう。
王都へ向かう馬車の中、
しらたまはすでにドレス選びとダンスレッスンという“地獄の予感”に、無表情で固まっていた。
その様子を見て、ヴァルターは笑みを浮かべながらリュートの弦を軽くはじいた。
「なるようになるさ。音に乗れば、風も踊る」
王都に着くと、再び現れたのは仕立屋カメリア。
彼女の手によって、柔らかな白と銀の刺繍が入った可憐なドレスが選ばれる。
翌朝、リース家の玄関に立っていたのは──クラリッサだった。
しらたまは声をあげる間もなく、再びダンスとマナーの猛特訓の日々が始まる。
「背筋!ステップは揃えて!」
クラリッサの容赦ない指導と、ヴァルターの丁寧なリードの狭間で、
しらたまは次第に“恥ずかしさ”よりも“舞うための呼吸”を体に馴染ませていった。
舞踏会当日。
王城へと向かう馬車の中、しらたまは軽く震えていた。
しかし、ヴァルターがふと囁いた。
「綺麗だよ、しらたま」
いつもと違う、正装に身を包んだヴァルターの姿。
どこか気品があり、けれど変わらず穏やかだった。
王城の大広間では、豪奢なシャンデリアの光が降り注ぎ、
貴族たちが優雅に談笑していた。
しらたまはその雰囲気に圧倒され、立ち尽くしてしまいそうになるが、
ヴァルターがそっと手を差し伸べて支えてくれる。
王家への挨拶を終えた後、会場に戻ると、
貴族たちの視線が一斉にしらたまへと向けられる。
「白の聖女がご本人……?」
「あの方が……」
ヴァルターはしらたまの前に立ち、見事に質問攻めをかわしていく。
だがそこに現れたのは、名うての強欲貴族ジャカランダ侯爵。
ヴァルターが割って入ろうとするが、しらたまにぐいぐいと話しかけてくる。
「いやあ、聖女様とは光栄の至り!何卒うちの家にも加護を!」
その場を救ったのは、優雅に現れたラベンダー婦人だった。
「まあまあ、聖女様にこれ以上ご迷惑をかけないでくださいな。あなたの声で香が飛びますわ」
婦人の機転により、その場は丸く収まり、三人は穏やかに談笑する。
突然、ホールに舞踏の開始を告げる音楽が響き渡る。
しらたまの背筋が凍りつく。
「……あ、あの……っ」
ヴァルターは静かに微笑んで、手を差し出す。
「さあ、手を取って姫君。今日は君が主役だ」
その言葉にしらたまの頬がほんのりと染まる。
ぎこちなく手を取ると、ヴァルターは軽やかにリードし始めた。
「音の風に乗ってごらん、君ならできるよ」
一歩、また一歩。
はじめは足を踏まないように必死だったしらたまだが、
音と共に、風と共に、身体が自然と動き出す。
舞い終えたあと、二人は庭園へと出る。
月光に照らされた花々の香りの中、現れたのはソレイユ王女。
「とっても素敵だったわ!今日のドレスもとっても可愛い!」
ソレイユと和やかに会話するしらたま。
その様子に、周囲の貴族たちはますます彼女への関心を強めていく。
そして現れたのは、第一王子ユリウス・ポリャンナ。
ヴァルターが気軽に声をかける。
「やあ、ユリウス」
「久しぶりだな、ヴァルター」
学院時代からの友人同士である二人。
正反対の気質ながら、共に語り合った日々がある。
ユリウスはしらたまを見て一礼する。
「陛下から聞き及んでいる。この国の第一王子、ユリウス・ポリャンナだ」
しらたまは、緊張しながらも丁寧にカーテーシを返す。
「百瀬、しらたまです……」
ソレイユが割って入るように言う。
「お兄様、相変わらずね!それでは女性が逃げてしまうわ!」
その会話にしらたまは思わず吹き出してしまい、少し肩の力が抜ける。
最後の曲が流れ、ヴァルターが小さく手を差し伸べる。
「戻ろうか、姫君」
舞踏会は静かに幕を閉じる。
その夜、リース家の一室。
窓辺に腰掛けたしらたまは、胸の奥に残る温もりとざわめきを、
夜風に乗せてそっと吐き出した。
──惹かれてしまう。
ヴァルターの声に、仕草に、笑みに。
けれどそれを、胸の奥にそっとしまい込む。
彼の風を、ただ見つめていたいと願う気持ちごと。
その頃、夜の風見草亭にて
静かな夜、ラセルナの風見草亭。
照明の灯りの下、分厚い本を読みふけるルーベンの横で、環が大きなジョッキを傾けていた。
「……ぷはあ! くぅ~っ、やっぱラセルナのエールは沁みるなぁ」
一口飲んでは、楽しげに笑う環。
その視線がふとルーベンに向く。
「なあ、お前。……いいのかよ。あのままじゃ、お貴族様にとられちまうぞー?」
ルーベンはページをめくりながら、視線を本から上げることなく淡々と答えた。
「興味ないな。しらたまは確かに興味対象ではあるが、
あくまで錬金術師的観点からみての話だ。
あいつ自身に恋愛的側面の興味は、ない。言うなれば──友だ」
そこで一拍おいて、本をぱたんと閉じる。
「……そういうお前はどうなんだ、環。大事な妹だろ?」
その言葉に、環はニタリと笑みを浮かべた。
「ふふん、あいつはどっかの馬の骨に引っかかるタマじゃないさ。俺はあいつを──たまを信じてる」
そして再び、ジョッキを傾け、エールを豪快に喉に流し込んだ。
カウンターの隅には静かな夜風が入り込み、グラスに残った泡をそっと揺らしていた。
ラセルナの夜は、変わらず、どこか温かく静かに続いていた。




