第三十七話「理の都ウィロー」
ウィローでの日々は、ルーベンにとって挑戦の連続だった。
彼が信じてきた錬金術の理は、ウィローという都市そのものに根付き、
もはや“人々の信仰”に等しい。
だからこそ、ラセルナで目にした“祈り”──
しらたまが生む風と光──は、この地において「異物」だった。
ミリアは、ルーベンを錬金術ギルドの星位観測室へと案内した。
そこは、ソル・マーディンの最期の研究室──
「風を視る錬金術師」の名に恥じぬ、無数の記録と星灰の試料が残されていた。
「これが……師匠の、最後の観測……?」
記録には、“祈り”という語が何度も登場していた。
《星灰の反応は、感情ではなく“意志”に呼応する──
なかでも祈りのような深層意識における共鳴が顕著だ》
“理”でありながら、“祈り”を認め始めたソル。
その思想は、今のギルドでは異端とされ、研究そのものが封印されかけていた。
ウィローでは、子どもが転んでもまず痛みの観察と記録が求められる。
感情を伴う出来事は、“誤差”として修正されるべきものなのだ。
一方、ラセルナでは──
転んだ子に手を差し伸べ、「痛かったね」と語りかける優しさが、
風となり、祈りとなっていた。
ルーベンは思う。
「どちらが正しい、ではない……
ただ、どちらが“人として自然”か、ということだ」
しらたまが蒸留室で祈りを捧げ、香が静かに揺れた時──
周囲にいた若い研究員たちが、言葉にできない“何か”を感じていた。
一人の青年がぽつりと漏らす。
「……これも、“反応”ですか?」
ルーベンは答える。
「ああ。だがそれは、“証明”されるものじゃない。
誰かが、感じたことがすべてだ」
その言葉は、ミリアの胸にも深く残った。
そんな矢先、伝統派のザグランが動く。
「異端の思想を広げようとする者がいる──
我々は、理の都を守らねばならぬ!」
星灰研究は“非科学”と断じられ、ソルの資料の閲覧は禁止。
ルーベンは追放寸前の扱いを受け、ミリアも研究室を封鎖された。
それでも、しらたまは静かに言った。
「封じられるのは、祈りではなく、“恐れ”です」
その声に、ウィローの風がわずかに揺れる。
理の都に、初めて“祈りの粒子”が溶け始めていた。
──そして、ある“気配”がルーベンの背後に忍び寄る。
消えたはずの師、ソル・マーディンの名とともに、
星灰が新たな動きを見せ始めていた。
ウィローの夜空は、いつも通り冴え渡っていた。
だがその星光は、静かに揺らいでいるように見えた。
異変は、錬金術ギルドの星灰保存層から始まった。
突如として星灰が収められた鉱壺が破裂し、蒸留炉が暴走。
蒸気が吹き出し、光の粒が空間を乱反射する。
「これは……反応率が常識を逸している……!」
研究員たちは混乱し、観測装置は次々に停止。
計測不可能な変質現象──
星灰の“意志”とも言えるうねりが、ギルド内部を襲った。
ザグランが叫ぶ。
「非科学的な干渉が起きている!
異端の“祈り”が、この都を蝕んでいるのだ!」
しかしルーベンは、師・ソルの残した手記を思い出していた。
《星灰は、恐れではなく“信頼”に呼応する》
そして、しらたまの祈り──
それが、最も安定した星灰の触媒となっていたことも。
「どうか、命をお護りください。
この地に芽吹く未来を、否定せず、見守ってください──」
しらたまの祈りが響くと、暴走していた星灰の粒がゆっくりと沈静化し始めた。
その場にいたミリアが、一つの仮説を口にする。
「もしかして……彼女自身が“星灰に選ばれた導き手”なのかもしれない」
ルーベンは息を呑んだ。
それは、師・ソルがかつて記した最後の文と一致していたのだ。
《この地に、風の“聖女”が現れる。
理を越えて、星灰の真なる可能性を開く鍵──》
しらたまは、まさにその鍵だった。
なおも抵抗を試みるザグラン。
しかし、星灰の結晶が彼の手から崩れ落ち、空間が音を立てて沈黙する。
「証明できぬ祈りなど──」
「証明は、心の中にある」
ルーベンが答えたその瞬間、蒸留炉の残響が静かに止まった。
周囲の研究員たちは、はじめて祈りの静けさに“耳を澄ませた”。
理の都に、はじめて“風”が吹いたのだ。
数日後、ギルドは新たな決議を下す。
しらたまの祈りによる星灰安定化現象を仮説A-∞(エインフィニティ)として正式に記録。
ミリアはその編纂にあたり、ルーベンも共同研究員として登録された。
「異端だったものが、今では“仮説の一部”になる──
これが、理の都市の柔らかさだよ」
ヴァルターが肩を叩いて笑った。
しらたまは、自分の祈りが“何か”の役に立てたことを、
まだどこか不思議に感じていた。
だが、風は確かに吹いた。星は、応えた。
そして、ルーベンはもう一度空を見上げて思った。
「祈りは、きっと、“理”の最も遠い場所にあると思っていた。
でも……今なら言える。
そこは、“理”が目指す、最も深い場所でもあるって」
──理と祈りが手を取り合った瞬間。
ウィローの星空は、少しだけやわらかく輝いていた。




