第三話「はじめての、お客さま」
「えっ、ここを……わたしに?」
風見草亭の裏庭。マーリエに案内されたのは、
石畳を抜けた先にある、小さな木の小屋だった。
「昔は干し草を入れたり、
使いかけの道具をしまってたんだけどね。今は空っぽなの」
「でも、こんな……いいんですか……?」
扉は軋み、屋根には隙間がある。
窓ガラスの一部は割れ、埃と枯れ葉にまみれていた。
だが、木造の壁はしっかりしていて、土台も腐っていない。
「誰かに譲るなら、手を入れるとこだと思ってたのさ。
……ランド、よろしく頼むよ」
「…………あぁ」
それまで無言だったランドが、黙って腰の工具袋を手にする。
そして一歩、しらたまの横を通り過ぎ、小屋の屋根に目をやった。
「雨が降れば、確実に濡れる。
窓も全部替えだな。掃除は君がやるといい」
「……はい!」
心臓がどきんと跳ねた。
ずっと居候のままでいた自分に、
ようやく“役割”が与えられた気がした。
この小屋を“わたしの場所”にできるかもしれない。
箒と布を持ち、しらたまは夢中で掃除を始めた。
──翌日。
ランドが早朝から屋根に上っている。
手際よく板を張り替え、窓枠には新しいガラスがはめ込まれていた。
マーリエが差し入れてくれたパンとスープを食べながら、
しらたまは小屋の壁を見つめる。
「……看板、つけたいな」
そのつぶやきに、ふいに背後から声が返る。
「だったら、描いてみたら?」
振り返ると、ルーベンが板切れとペンキの瓶を持っていた。
「余った木材。もらってきた。あとは、お前の“星”をつけるだけだ」
「星……」
しらたまは、小屋の壁にそっと手を触れる。
そして、自分のカードと同じ、五芒星を静かに描いた。
その中央に、たった一文字――
「占」の文字。
「“しろのほしのうらないや”とかどう?」
「……ちょっとダサい」
「う……」
「でも、らしくていいかもな。
そういうの、忘れないうちに残しておくといい」
──その日、風見草亭の裏手に、ひとつの小さな白い小屋が生まれた。
まだ“占いの小屋”と呼ばれるには拙く、誰も知らない場所。
けれどそこに、星の祈りと共に、新しい物語がはじまろうとしていた。
白く塗った小屋の扉を開けると、かすかに甘い香りがした。
それはマーリエから譲ってもらった香草スウィリィアの煙。
見た目は白い細葉で、
火をつけると優しい香りが立ちのぼり、空間も道具も清めてくれる。
「セージみたいだけど……香りは、ちょっとミルクティーっぽい?」
手製のタロットカードを、一枚一枚その煙にくぐらせていく。
毎朝の“はじまりの祈り”──
それは、しらたまの新しい日課になっていた。
今日は、小屋を開けてから三日目。風が少し冷たい朝だった。
扉の前で、誰かが立ち止まる気配がした。
「やっほー! ここって、占い屋さん?」
元気な声とともに、顔をのぞかせたのは一人の少女だった。
くりくりとした赤毛を揺らし、
焼きたてパンのような匂いをまとった彼女は、
にっこり笑って言った。
「ミーナ・コルネっていいます!
風見草亭の二階に住んでる修行中の、パン屋見習いですっ!」
「……えっ、あ、はい。
あの……しらたま、です……百瀬しらたま……」
緊張しているしらたまに、
ミーナはまったく気にせず椅子にぽんっと座った。
「ずっと気になってたんだ、この小屋!
しらたまさん、占いできるんでしょ? 見てもらってもいい?」
「あ……うん、もちろん。ありがとう……」
ミーナは目をきらきらと輝かせながら、テーブルの上に手を置く。
「好きな人がいるんだけどね、
全然気づいてもらえないの。どうすればいいかな?」
(……恋愛相談!)
“占い”は、あの世界では日常だった。
でも、この世界で通じるのか、不安もあった。
それでも、しらたまはタロットを広げる。
一枚ずつ、空気と手のひらのあいだに、
ゆるやかに星の気配が満ちていく。
──引いたカードは、《カップのペイジ》《恋人》《月(逆位置)》。
しらたまは、カードと向き合いながら、やわらかく口を開いた。
「……あなたの“気持ち”、まだ隠してることが多いみたい。
だから、相手もどうしたらいいかわからないのかも」
「えっ、わたしが……?」
「でもね、“ちゃんと伝えることで変わる未来”があるって出てる。
たとえば、小さなプレゼントとか、言葉とか」
「……そっか、パンとか、焼いてみようかな……?」
ミーナは顔を赤らめながら、でもしっかりと笑った。
「ありがとっ、しらたまさん! ねぇ、また来ていい?」
「うん、もちろん」
その日、小屋の前には一つの小さなパンかごが置かれていた。
中には、焼きたてのクッキーがいくつも。
そして、折りたたまれた布のメモには、こう書かれていた。
『しらたまさんへ あなたのおかげで、ちょっと勇気出たよ!』
──しらたまの“占い小屋”に、はじめての常連ができた。
それは、この異世界での小さな繋がりの始まりだった。
昼下がりの食堂には、スープの香りとパンの甘い匂いが漂っていた。
木の床、陽射しの差し込む窓辺、並んだ素朴な食器──
まだ慣れないながらも、“あたたかい”と感じられる空間。
(……ほんとに、ここで生きてるんだなぁ)
しらたまは、昼食をとるため、木製の長テーブルの端に座っていた。
ミーナはパンの修行で不在。
あの子の明るい声がないのは、少しだけ寂しい。
「……」
隣には、当然のようにルーベン・カリストが座っていた。
例によって無言。昼食を器用に片手で食べながら、
もう片手でぶ厚い書物をめくっている。
(器用……でも、ちょっとは挨拶してくれてもいいのに)
と思っていたら、ページをめくる手が止まり、ぼそっと一言。
「……パン、ちゃんと食え。空腹は集中力を削ぐ」
「……はい……」
素直に頷くと、今度は向かいに座っていた青年が、
ものすごい速さで食べ終わって立ち上がった。
「じゃ、お先!」
薬草運び屋のベーレ・マルシュ。痩せた体に薄汚れた鞄を抱え、
出入りのたびに風のように現れては、すぐ消える。
その姿が見えなくなった頃、
しらたまはふと、周囲の人々に目を向けた。
丸耳の人間だけじゃない。
耳の長い、森の妖精のような女性。
しっぽを揺らして座る、獣のような少年。
肌の色が淡い青を帯びた、寡黙な老婆。
──これはもう、言い訳のしようもないほどに、“異世界”だった。
(……占いの館で出会ってきた“人の悩み”とは、スケールが違うかも)
その時──
「おーい、そこの白い新入りさんや!」
大きな声が頭上から降ってきた。
振り返ると、背中に火傷の痕がある、強面の男が立っていた。
鍛冶屋のゲルド・ファルドン。大きな腕と笑い皺の濃い男だ。
「お前、名前なんつったっけ? しらたま、だっけか?
何人目だよ“訳あり”の子ってのも」
「えっ、え、あ、はい。百瀬しらたま、です……」
「よっし、しらたまちゃんには、街のこと教えてやる義務があるな!」
勝手に座り込むゲルド。
しらたまの前にどっかりと肘をつき、楽しげに話し始めた。
「ここはポリャンナ王国の、南端の町“ラセルナ”。
王都からは馬で三日ってとこだ」
「三日も……」
「辺境の下町だ。だから毎日、商人や旅人が入れ替わりでやってくる。
まぁ、にぎやかなもんさ」
「へぇ……」
「ただな、北の川沿いには近づくなよ。
あっちはちょっと治安がな……いや、だいぶ悪い」
(どこにでも、そういうところはあるんだなぁ……)
「それとな、この宿の女将──マーリエさんはな、
べっぴんで気立てが良くて、最高なんだぞ」
「うふふ、それはありがとう、ゲルドさん」
背後から、ぺちん。
頭を軽くはたかれたゲルドは、しゅんと縮こまった。
振り返れば、笑顔のマーリエが立っていた。
「しらたまちゃん、スウィリアの香り、気に入ったかい?」
「あっ、はい。すごく……落ち着きます。毎朝焚いてます」
「それはよかった。あれは昔、おばあちゃんから教えてもらったんだ。
何かあったら、また言っておくれね」
「……はい」
その笑顔に、心の奥がじんわりと温かくなる。
この宿で、自分は“よそ者”として扱われていない。
そう感じた瞬間、胸の奥に、誓いのようなものが灯る。
(絶対に、恩返ししよう。この場所に、わたしなりのかたちで)
その横で、ずっと無言だったルーベンが、ふいに微笑んだ。
「……ふふ」
「……なに?」
「いや。やっぱり、“生きてる人間”って、おもしろいなと思って」
「は?」
まったく意味がわからないけど、たぶん悪い意味ではない。
そんなふうに、しらたまは思った。
──こうして、“風見草亭”での毎日は、静かに、ゆっくりと。
しらたまの中に“根”を伸ばし始めていくのだった。
ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ
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