第二十八話「祈りの風、目覚める」
ラセルナの街に、再び不穏な風が吹いた。
その風は、先日とはまったく違う質を持っていた。
冷たく、重く、剣のように鋭い。
「……来たな」
支部の屋上で風を読んでいたヴァルターが、静かに呟く。
その日、町の入り口に姿を現したのは、黒銀の外套に身を包んだ一人の男。
──名は、ローレル。
聖都直属の異端審問執行官。
教会法を超えて動く“信仰の執行官”。
彼は礼もなく、城門に立つ門番にただ名を告げた。
「執行官、ローレル。神意により、白の聖女を連行する」
目を逸らした門番に、ローレルは一瞥を与えるだけだった。
その歩みに、街の空気が凍る。
彼の信仰は純粋だ。
フィオレの意志を疑わず、正義の名のもとに祈る。
だが、その祈りのために、
彼は「手段を選ばない」。
王命も、契約も、町の願いすら──“神の意思の前では無価値”とする。
支部に近づくローレルを前に、再び警戒体制が敷かれる。
ヴァルターはリュートを握り、ルーベンは本を手に、環は腕を回す。
しらたまは……ただ、祈っていた。
「どうか、この風がまた、誰かを傷つけないように──」
風は、静かに揺れていた。
そして、街に再び緊張が走った。
銀のピアスを揺らしながら、聖都の執行官──ローレルが現れた。
その背には新たな神官たち。
前回の来訪とは比べ物にならない圧力が、街を包み込んでいた。
「……“白の聖女”は、いまだ従わず、この地にとどまっているとのこと」
ローレルの声は、まるで判決のように冷たく響いた。
「これ以上、神意に背くことは許されません」
「やめてください!」
しらたまが叫ぶが、ローレルは容赦なく歩を進める。
「“保護”の名のもと、連行いたします」
神官たちが包囲を強める。
ルーベンが再び分厚い本を投げるが、それは空中で何かに弾かれ、地に落ちた。
「なっ……!?」
環が突っ込むも、神官の結界に阻まれ、倒されてしまう。
「兄ちゃんっ!」
しらたまが動こうとするが、もう囲まれていた。
街の人々が抵抗するも、神官の結界に押し返される。
──もう、誰にも止められない。
「いや……いや……!」
そうして無理矢理腕をつかまれ引き寄せられたそのとき──
「その手を放せっ!!」
ヴァルターの叫びが空気を裂いた。
リュートを奏でるその手が、剣を──
銀の細身の剣を抜いて、ローレルに突きつける。
「その子に、手を出すな」
リュートを捨ててまで、剣を取ったヴァルターの姿に、
しらたまは言葉を失った。
(守られてばかり……)
(わたしは、なにもできない……)
(嫌だ……こんなの、もう──)
(──強く、ありたい……!)
その瞬間、彼女の掌にあった《星》のカードが、
まばゆい光を放った。
光の中、頭の奥に声が響く。
『強くなりたいかい?』
(……もちろん)
しらたまが応えたその刹那、光が風となり、空へ舞う。
そして──現れたのは金の翼を持つ神獣。
頭に浮かぶ言葉を口にする
「これ、あなたの名前……?《ステラ》?」
《星》のカードに宿る、守護の神獣。
ステラはローレルの目前に降り立ち、羽ばたき一閃。
突風のような祈りの風が、神官たちを吹き飛ばす。
ローレルの魔力で形成された外套が裂け、結界が崩れる。
ヴァルターが声を漏らす
「……これは……」
しらたまは一歩、前へ出る。
「祈りは、誰かを傷つけるためのものじゃない……
私はここで、生きて、祈る。誰かのために、わたしのために」
ローレルはしばし無言だったが、やがて懐から一通の巻紙を取り出す。
「──これは、教会からの正式な召喚状です」
それをヴァルターに差し出す。
ヴァルターは受け取らず、冷たく言った。
「風は……もう決まってるよ」
そしてその紙を、そっと返した。
ローレルの瞳が揺れる。
だが、それ以上は何も言わず、彼は背を向けた。
執行官の退却と共に、街の空気が静かに和らいでいった。
王都・ポリャンナ。
王妃は再び動いていた。
今度は、宮中で力を持つ貴族たちに接触し始めていた。
「どうか、しらたま様を“聖女”としてではなく、“この国の民”として守りたいのです」
一人ひとりと丁寧に会い、彼女は訴え続けた。
フィオレの名のもとに語られる信仰が、やがて教会の独善へと傾きつつある危機を──
その声は次第に届きはじめていた。
貴族たちの中にも、聖都の過激な動きに違和感を覚えていた者は少なくない。
「フィオレの教えは、“導き”であって“縛り”ではなかったはずだ」
信仰の源流を辿る者たちが、静かに声を上げ始める。
やがて、王都の広場ではこう囁かれるようになる。
「南の街に、“白の聖女”と呼ばれる娘がいるらしい」
「その人は、ただ誰かのために祈っているだけなんだと」
「教会のやり方は、少し……強引すぎるんじゃないか?」
王妃は、そっと筆を置き、祈るように目を閉じた。
「風が、正しく吹きますように──」
ヴァルターとセージは、王都へと向かった。
リース家本家の内政部と連携を取るためである。
本家の重臣たちは、その経緯を静かに聞いていた。
ヴァルターの言葉は、歌のように澄んでいた。
「教会の正義が絶対であるなら、民の祈りはどこへ流れるのでしょう。
僕たちは、“祈る自由”を守りたい」
しばらくの沈黙ののち、重臣の一人が口を開いた。
「──分かった。我らも王に進言しよう。今こそ、王家の意志を示す時だ」
数日後、王宮にて。
国王は重々しく口を開いた。
「王の名のもとに、“白の聖女”をラセルナにおいて保護する。
この命に従わぬ者は、王家の意志を踏みにじるも同義である」
その言葉は、王都を駆け巡った。
祈りの風は、ついに“王命”となって、教会に向けて吹き始めたのだった。




