第二十七話「祈りの風と信じる心」
神官たちが去ったあとも、しらたまの心は静まらなかった。
「……わたしが、“祈りの風”なんて起こさなければ……」
広場に残る足跡、倒れた椅子、ざわついた空気。
誰かのためになりたいと祈ってきたその気持ちが、こんなふうに争いを生むのだとしたら。
(わたしの祈りは、間違っていたのかな……)
胸の奥が苦しくなって、息がうまくできない。
ただ、祈っただけなのに。
ただ、誰かの光になれたらと思っただけなのに。
──そんなしらたまを見つめながら、支部の奥でヴァルターとルーベン、環が集まっていた。
「教会のやり方……次は“上”から命を持って来ると言っていたな」
ヴァルターの声は静かだが、いつになく重い。
「国の契約すら無視してくるようなら、いよいよ正面から衝突もあり得ます」
セージが冷静に分析する。
「上等だ」
環が腕を組みながら呟く。
「妹は、俺が絶対に守る」
「ただ力をぶつけ合うだけじゃ、あの手合いには通じない」
ルーベンは眉間にしわを寄せる。
「理を、言葉を、そしてなにより“民意”を盾にしないと」
「そのためにも、しらたまの存在が“祈り”として町に根づいていること……これが希望だ」
ヴァルターが空を見上げる。
「風は、消えていない」
その頃、王都ポリャンナ。
王城の一室では、王妃が静かに手紙を綴っていた。
「……あの子に、何かあれば……」
王妃は、王の机に広げられた一通の報告書を見つめる。
教会が“白の聖女”と称される者を、独断で保護しようとしているという情報。
「どうか、王が正しく選んだ者であると……しらたまを信じてくれるように」
王妃の手元には、しらたまの契約書の控えが添えられていた。
王妃自身が提案し、加筆させた『王家以外の保護を禁ずる』という一文。
それは、教会の“正義”が暴走する未来を恐れた母としての祈りでもあった。
一方その頃、聖都トゥルシー。
大聖堂の奥深く、石の床に跪く神官たち。
その中心で祈りを捧げるのは、祭祀ペッパー。
「……南より吹く、祈りの風。
それが“白の星”ならば、我らはそれを迎え入れねばならぬ」
「ペッパー様、リース家より拒絶の報告が入りました」
「……オレガノでは不十分だったか」
石造りの聖堂に、静かな風が流れる。
それは、聖都から放たれる意志。
「ならば、我らの“正義”を、次の段階へ進めるとしよう」
ラセルナは、静かにざわついていた。
教会の一団が去ったあとの町には、恐れと、同時にひとつの決意が生まれていた。
「……“聖女様”が連れて行かれそうになったって、本当か?」
「うちの子が泣いて帰ってきたよ。『怖い服の人がいっぱい来た』って……」
「でも、ヴァルターさんたちが守ってくれたんだろ?あの娘さんも、逃げなかったって」
井戸端で、広場で、畑で──町人たちがしらたまのことを語り始める。
誰もが、心のどこかで気づいていた。
あの子の占いは、当たるだけじゃない。
誰よりも、町の人々の声に耳を傾けていた。
誰よりも、誰かを想って祈っていた。
「なぁ、風見草亭の壁、修理しとこうぜ。しらたまさん、また占い処開くかもしれないし」
「メープルのところも手伝うよ。子どもたち、怖かっただろうしな」
「教会の言うことなんて関係ないよ。あの娘は、もう“ここの人”だろ」
少しずつ、人々の手が動き始める。
誰に頼まれたわけでもない。
ただ、“守りたい”という思いが、町全体に伝播していた。
そのことを、支部の窓からしらたまは静かに見ていた。
風が、吹いていた。
前とは違う。誰かの声に怯えるような風ではなく、
誰かの背中を押すような、やわらかくて温かい風だった。
「……これが、わたしの……祈り?」
ふと、そう思った。
誰かの未来を想って、手を重ねること。
誰かの涙を受け止めて、言葉を贈ること。
「“祈る”って、傷つけるためのものじゃない……」
この町で出会った人たち──笑った子ども、泣きながら話してくれた母親、
そっと花を供えに来てくれた老人。
彼らひとりひとりの“想い”が、風になっていた。
「私は、もう……逃げない」
しらたまは、小さく胸に手を当てた。
風が頬を撫でていく。温かく、優しい祈りの風だった。
数日後。
街の広場に、街の人々が集まっていた。
中心には、小さな祈り台と香炉。
しらたまがかつて占いをしていた机が、少しだけ磨かれて戻ってきていた。
「ここで、また始めてくれるのかい?」
老舗の果物屋の店主が、にこりと笑って言った。
「はい……皆さんのおかげです。私も、ここで祈り続けたいと思います」
しらたまは丁寧に頭を下げた。
「香を焚こう。風に乗せて、街じゅうに流れるように」
ポピーが準備した香炉に、淡い煙が立ち上る。
「この風が、誰かの助けになりますように──」
しらたまは両手を合わせ、静かに目を閉じた。
その祈りに、街の人々も次々と加わる。
風は再び、祈りと共に街を包んでいた。
リース家支部、会議室。
「……聖都が動かないわけがない」
ヴァルターが地図の上に指を置いた。
「次は、“聖都からの正式命令”という名目を持ってくるはずです」
セージが言う。
「契約書だけでは、抑えられなくなる可能性が高い」
ルーベンも頷く。
「今度こそ、理屈より先に“囲い込み”に来るだろう」
「だったら、こっちも備えなきゃな」
環が立ち上がり、拳を握る。
「力だけじゃない。ラセルナが彼女を受け入れてるって、“形”にしておきましょう」
ルーベンの言葉に、ヴァルターが微笑んだ。
「風は、ただ吹くだけじゃない。通るべき道を選べると、僕は信じてる」
一方、聖都。
大聖堂に響く重い足音。
ペッパーの前に跪く神職たち。
「信仰を乱す風は、早急に正さねばならぬ」
ペッパーは静かに告げた。
「“白の聖女”を聖都に迎えるため、次なる使者を送る」
名指されたのは、教会直属の執行官──冷徹なる“巡察者”であった。
祈りの風を巡る、真の嵐が、ついに動き出そうとしていた。




