第二話「錧金術師と、白の宿帳」
目の前にいる青年は、ずっとこちらを見ていた。
焼け茶の髪に、肩からかかる白衣めいたローブ。
胸元には古びた革のペンダントがゆらゆらと揺れている。
寝起きのような表情を浴びながら、椅子に深くこしかけ、
しらたまの顔を――じっと、観察するように見つめていた。
「…ちょっと、どういうこと? え、え? あなた、誰?」
「…だから、俺が聞いてるんだけど」
ぬるりとしたテンション。
悪意のなさそうな低い声。
青年はその場から動こうともせず、ただ淡々と話を続けた。
「マーリエさんから、“面白い子が来た”って聞いたんでね。
朝食前に、ちょっとのぞかせてもらおうかなと」
「え、のぞくとか、いや、ちょっと…言ってる意味が…」
床の帆を胸先まで引き寄せて、しらたまはうろたえる。
が、相手はまったく動じない。
どころか、まぶたの奥ですこしだけ目を細め、こう言った。
「なるほど。異国の香り、というより、“異界の振れ”か。」
「えっ…」
「君、占いをするんだろ? 星の気配が手に残ってる。
それに…なるほど、これは“刻印”持ちだ。」
青年は懸から小さなルーペのような道具を取り出し、
しらたまの手の甲をそっと見つめた。
「ちょ、ちょっと! 触らないでください!
ほんとに! 誰なんですか!」
限界だと感じて叫ぶと、ようやく青年は腰を上げ、
深々とお迎えをした。
「…ああ、すまない。あいさつが遅れたな。
ルーベン・カリスト。錧金術ギルドの見習い。
この宿には…もう半年くらい温節してる」
その口調も手習も、どこか“慣れている”ようなものだった。
しらたまが誰なのかを問い詰めるでもなく、
ただ淡々と、目の前の現象を“材料”として受け止めているようだった。
「君の魂の振れ…いや、外側の“星環アステリア”が振れてる。
なるほど。これは異界の呼び声に応じたタイプだね。面白い」
「…え、い、意味が全然…」
「あ、朝食の時間だ。俺、下行くね」
言いたいことだけ言って、さっさと部屋を出ていく青年。
残されたしらたまは、しばらく床の中で呆然としていた。
(…なに? いまの人)
(っていうか、なんで勝手に入ってくるの?
なにこれ? へん人? いや、へん人だよね?)
現実感が戻ってきたと思った瞬間に、またしても“異常”がやってきた。
しかし、この違和感に慣れるのも、案外早いのかもしれない。
だって――
(ここ、異世界だもんね)
深く息を吸い、顔を洗い、服を整えて。
昨日貰った宿の予備の服に袖を通し、
しらたまは階下へと降りていった。
──そしてそれが、思いがけない縁を結び、
この国での最初の“白の噂”の始まりになるとは、
まだ知る由もなかった。
風見草亭の朝は、早い。
階段を降りるとすぐに、厨房の奥からパンを焼く香ばしい匂いと、
小鍋の煮える音、そして木の床を掃く箒の音が聞こえてきた。
「おはよう、しらたまちゃん。眠れたかい?」
出迎えてくれたのはマーリエだった。
相変わらずあたたかく、優しい笑顔で、しらたまの手をとってくれる。
「はい……あの、昨日はありがとうございました」
「ふふ、お礼なんて何度も言わなくていいのよ」
奥の丸テーブルに案内され、湯気の立つ朝食が運ばれる。
素朴な焼きパンと、根菜のスープ。薄切りの燻製肉が添えられていた。
(……あ、ちゃんとした“朝ごはん”だ。人間の……ごはんだ)
昨夜の恐怖とは打って変わり、
目の前の食事が妙に“ありがたく”感じた。
箸はなく、代わりに木製のスプーンとナイフが添えられている。
「困ったら声かけてね。……ああ、そうだわ」
マーリエは何かを思い出したように手を打ち、帳面を一冊持ってきた。
「風見草亭の“宿帳”よ。泊まるお客さんには必ず記してもらってるの。
名前と、わかる範囲で出身地。あと、覚えてたら誕生日も。いい?」
「はい……たぶん、書けると思います」
渡された羽ペンとインク。
慣れない道具だったが、筆圧に気をつけながら名前を記す。
“百瀬しらたま”
その名前を、ルーベンが横からのぞき込んでくる。
「やっぱり、発音と表記がズレてる。完全に“向こう”の文字体系だ」
「……ルーベンさん、朝の無断侵入は
さすがにびっくりしましたからね」
「ああ。でも、君みたいな子が来たの、初めてだったから」
悪びれた様子はない。
それどころか、さっきからずっと、
興味津々といった顔でこちらを観察している。
まるで“新しい素材”でも見つけたかのように。
「それにしても、“百瀬”って名字、すごく水気が強いね。
もしかして、星の影響、かなり受けやすい?」
「……星?」
「この国で言う“ギフト”ってやつさ。
生まれつき、あるいは後天的に与えられる力。
君の魂には、星の印がある。少なくとも、俺にはそう見える」
しらたまはスープをすする手を止めた。
“星”という言葉。それは、彼女が最後に見たカードの名前でもあった。
そして、あの瞬間から──何かが変わった。
(……やっぱり、あれが、始まりだったの?)
「君、占い師なんだろ?」
「……はい。少し、だけですけど」
「じゃあ、今日の昼過ぎ、“市の掲示場”まで一緒に来てくれる?
面白いもの、見せてあげるよ」
唐突すぎる誘いに戸惑うも、断る理由もない。
何かを知るきっかけになるかもしれない──そう思った。
「……わかりました。行きます」
朝の光が差し込む中、
風見草亭の“白い名前”が、帳面にそっと刻まれた。
それは、まだ何も知らない“占い師”の第一歩。
人々はやがて、彼女を「白の導き手」と呼ぶようになる。
けれど、それはまだ──少しだけ、先の話。
「……え、ここ? 本当に?」
昼下がりのラセルナの街は、人で賑わっていた。
細い路地を抜けてたどり着いた広場の一角。
そこには掲示板のようなものがあり、
手書きの紙が何枚も貼られていた。
「“市の掲示場”って、依頼板なんですか……?」
「うん。ここは主に、旅人や冒険者、
ギルドの関係者が立ち寄る場所さ」
ルーベンは涼しげに言って、ずらりと並ぶ依頼の紙を見せる。
「戦闘系の依頼もあるけど、
こっちには《相談》とか《調査》の欄もあってね。
最近は“占い”の出張依頼まで貼られるようになった」
「……え、占いの……?」
「うん。実はこれ、君宛て」
そう言って一枚の紙を指さす。
依頼内容:子どもの夢に現れる“金色の鳥”についての相談
依頼人:ファルナ(仕立屋)
報酬:銅貨3枚、パンの詰め合わせ
備考:娘の夢に毎夜現れる金色の鳥が気になる。
悪い夢ではないが、なぜ現れるのか知りたい。
「な、なんで私に……」
「マーリエさんが、こっそり広めたらしいよ。
“不思議な白い子がいる”って」
(……優しい……けど、勝手に看板出されたみたいな感じがする……)
戸惑いながらも、どこか胸があたたかくなる。
あの夜、震えきっていた自分を迎え入れてくれた“風見草亭”。
少しでも、恩返しができるなら――
「……わかりました。引き受けます」
ルーベンがにやりと笑った。
「じゃあ、行こうか。
ファルナさんは昼過ぎなら店の裏でお茶してるはずだ」
ファルナは、ふくよかで朗らかな女性だった。
仕立屋の裏庭には洗濯物が揺れ、
日当たりのいい石椅子で娘が絵を描いていた。
「この子がね、“鳥の夢”をよく見るのよ。
……悪い気はしないけど、妙に毎晩っていうのが気になって」
少女は、しらたまをじっと見て言った。
「白いひと。おねえちゃん、空のにおいがする」
「空……?」
「そう。夢のなかの鳥と、似たにおい」
しらたまは、胸の奥がざわめくのを感じた。
少女が描いたその絵には、
金の羽を広げた鳥と、まばゆい星が描かれていた。
(……あの《星》のカードと、似てる……)
しらたまは、タロットを取り出した。
ホワイトセージがないこの場では、手で清めるしかない。
一枚ずつ、そっと撫で、息を吹きかける。
「今から、カードで見てみますね」
静かに、テーブル代わりの木箱の上にカードを並べる。
少女の目を見て、問いを心に刻む。
――金色の鳥の意味は?
一呼吸して、カードをめくった。
《ワンドのペイジ・正位置》
「……これは、“希望”や“知らせ”のカードです。
あなたに向かって、何かが“始まり”ますよ、という合図」
少女はぽかんとしていたが、母のファルナは手を打った。
「やっぱり“吉兆”だったのね。
あの子、もうすぐ学校に通える年だから……きっと、それね」
しらたまは、胸の内にひとつの“確信”を得た。
このカードたちは、“この世界”でも、ちゃんと“届く”。
魔法のように光らずとも、
この言葉が、誰かの背中をそっと押すなら。
それはもう、立派な“魔法”だ――
依頼を終えて帰る道すがら、ルーベンがぼそりと呟いた。
「やっぱり君……ただの占い師じゃないな」
「……え?」
「今のは“星の響き”だった。
君のカード、どこか“向こう”とつながってる」
しらたまは、足を止めた。
カードを胸元に抱き、空を見上げる。
雲の切れ間から、ひとすじの光が差していた。
(この世界でも、ちゃんと“星”は見ていてくれるのかもしれない)
そっと目を閉じ、祈るように呟いた。
「……どうか、わたしにできることが、少しでもありますように」
ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ
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