第二百七十七話「覇の国」
ポリャンナ王国王城・執務室。
「……いかがなさいますか、陛下」
ダンデリオン宰相が慎重に問いかける。
「うむ……」
リュシアン王は長椅子に深く腰掛け、額に手を当てて唸っていた。
息子ユリウスを通じて伝えられた“地龍”の言葉――
もしあれが真実であるならば、この世界の在り方そのものが揺らぐ。
「まるで物語のようだな」
苦笑まじりの呟きに、宰相が視線を正す。
「陛下」
「民には勇者と聖女は重要な使命のため旅立ったと伝えよ。
……地龍の話は、ユリウスとセージ、そして我ら以外には決して漏らすな」
「畏まりました」
ダンデリオン宰相は深く頭を垂れた。
――ロザリア港。
「これ……商船?」
しらたまが呆気にとられた声を上げる。
「おい、どう見ても貨物船だろ!」環が叫んだ。
目の前に停泊しているのは、積み荷を満載した紛れもない貨物船。
魔導コンテナが次々とクレーンで吊り上げられ、甲板に収められていく。
「ほら、魔導クレーン付きだぞ」シルスが肩をすくめる。
「この国じゃ、商会には技術力を誇示するため最新型の船を使わせるんだ」
「……意地の張り合いってわけか」環は呆れ顔だ。
クラウスはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「すごいけど……人が乗るスペースは狭そうね」
「いや、見た目より快適だよ。
食堂も清潔で、客室もある程度整ってる。やることが少ないだけさ」
シルスが説明した。
「はぁぁ……私も行きたかった……」岸でシロンが大げさに嘆く。
「陛下から一蹴されたでしょう」マロンが冷静に突っ込む。
「ぐぬぅ……!」
「さあ、準備はいいかい?」ヴァルターが仲間たちを見渡す。
「いくぞー」シルスが片手をひらひらさせた。
シロンとマロン、それに護衛の兵士たちに見送られながら――
貨物船はゆっくりと岸を離れ、白波を蹴立ててロメナ帝国へと向かっていった。
とある国の、廃れた教会。
色褪せた聖母像の背後から差し込む光は弱く、
砕け散ったステンドグラスの欠片が床に散乱していた。
その上に、血塗れの男が倒れている。
「ねぇ――見失ったって、どういうことかなぁ?」
透き通る金色の髪に、頭頂から伸びる獅子の耳。
緋色の瞳は残酷な輝きを宿し、白磁のような肌には一切の陰りがない。
常に笑っているかのような口元を崩すことなく、ランスーンは血溜まりに沈む男を見下ろしていた。
「……我が主。すでに息絶えております」
背後で、黒ずくめの鳥面の男――レイヴンが恭しく頭を垂れる。
「えー? この程度でぇ? 弱いなぁ!」
ランスーンは壊れた玩具を前にした子供のように頬を膨らませ、退屈そうに吐き捨てた。
「せっかく《追跡》のギフトを持ってたのにぃ!」
「……また新たに探して参りましょう」
レイヴンの低い声に、ランスーンはわざとらしく天井を仰ぐ。
「マリアが死ぬのは最初からわかってたことだから別にいいけどさぁ……。
でも、しらたまちゃんを見失うのは痛いなぁ。誰に探しに行かせよっかなぁ」
「一度、ロザリアに向かったとの情報がございます。
おそらくそこから動くと判断し、すでに先回りの手は打っております」
「さっすがぁ!」
ランスーンは嬉しそうに手を叩くと、サイドテーブルの上の瓶を掴み、赤い飴玉を一粒取り出した。
そのまま口に放り込む――カリ、と乾いた音を立てて嚙み砕く。
「ねぇ、レイヴンはどう思う? 次の遊戯盤は――どこだと思ってるの?」
ランスーンの視線は、テーブルに置かれたチェス盤へと落ちる。
血に染まった床に不釣り合いなほど、駒はきちんと並べられていた。
「……覇の国、ロメナ帝国でございます」
鳥面の仮面の奥、レイヴンの口元がわずかに歪む。
仮面越しに覗く笑みは、主と同じく残酷さを帯びていた。
タービンの低い唸りが船体を震わせる。
潮風に混じる金属の匂いの中、しらたまは首を傾げて問いかけた。
「……覇の国?」
問いかけに、シルスが肩をすくめる。
「ロメナ帝国の呼び名さ。あの国は歴史が古いからな。そう呼ばれてる」
「ロメナねぇ……お風呂の文化があって清潔って聞いたわぁ」クラウスが楽しげに笑う。
「ワインとチーズもうまいんだろ? 他にも酒があるといいな」環は腕を組んで期待に目を輝かせる。
地図を広げていたルーベンが眉を上げた。
「しかし、見ている限り、随分とうまく街道を整備しているな」
「“帝国に通じぬ道はない”って言われてるくらいだからね。フィオーモルン西部全域にだ」
シルスは鼻で笑いながら付け加える。
「もっとも、その言葉自体はこっちの世界の引用だけど」
「ああ……“すべての道はローマに通ず”か」環がぼそりと呟く。
「なんだっけそれ?」しらたまは首をかしげる。
「……お前、世界史の点数ぎりぎりで単位とったよな」環がじと目を向ける。
「五十点取ったことあるもん!」
「それ、平均点めちゃくちゃ高いやつだったろ」
「せめて七十はとれよ」シルスがあきれ顔で突っ込んだ。
そんなやり取りを横目に、ルーベンが視線をヴァルターへ移す。
「お前は吟遊詩人の姿で行くんだな?」
「ああ。自国でどう扱われるか分からないからね。最悪……飛ぶさ」
リュートを爪弾きながら、ヴァルターは涼しい顔をして答えた。
「貴族の言葉とは思えないわねぇ」クラウスが肩をすくめる。
「正直、僕もわからん!」カウムディは豪快に笑い、
「本当にどうなるのでしょうか……」プラーナは不安げに小声を漏らす。
「他国の王子を拉致したことにならないでしょうか」セリーヌが真面目に懸念を口にし、
「拉致どころか、他国と共謀したことにされているのでは……」ミモザまで青ざめていた。
その空気を切り裂くように、シルスはにやりと笑った。
「心配するな。その時はロザリアが匿ってやるさ」
船は波を切りながら、覇の国ロメナ帝国へと進んでいた。




