第二十六話「守る風」
リース家ラセルナ支部の朝は、いつもより少しだけ静かだった。
けれど、その静けさの中に、穏やかな幸福が漂っていた。
街の植え込みでは、ギフト所持の子どもたちが、花の手入れを手伝っていた。
土に触れ、風を感じながら、彼らはほんの少しずつ“普通の生活”を取り戻しつつあった。
「ほら、芽が出てるよ!」
少年の声に少女が笑い返し、遠くでそれを見守るポピーとメープル。
「ほんとだ。きれい……」
街の空気は柔らかく、ラセルナの朝は、祈りの風に満ちていた。
一方、広場の一角。
しらたまは、布を敷いた小さな机の前に座り、簡易占いを行っていた。
「……大丈夫。星は今日、東の風を教えてくれてる。焦らなくていいよ」
優しく告げるしらたまに、町の老婦人は安心したように笑った。
「ありがとうねぇ、白の娘さん」
小さな占い処には、次第に小さな行列ができ始めていた。
祈りと日常が、同じ場所に根づいていた。
その頃、リース家支部の執務室では、静かに扉がノックされた。
「失礼いたします。セージです」
「いいよ、入って」
扉を開けて入ってきたセージの表情は、普段より少しだけ硬い。
「王都方面より、不穏な動きが確認されました。教会関係の馬車がこちらへ向かっているとの報です」
ヴァルターは窓の外へ視線を向けた。
太陽の光に照らされ、庭の樹々がわずかに揺れている。
風は、いつもより静かすぎた。
「……嫌な風だ」
ぽろろん。
彼は机の脇に立てかけてあったリュートを、そっと指先で鳴らした。
「準備を。……ラセルナの風が乱される前に、ね」
昼下がり、白い馬車がラセルナの石畳の道を静かに進んでいた。
その側面には、教会の五芒星の紋章が誇らしげに掲げられている。
馬車が街の門前で停まると、白衣の神職者たちが一糸乱れぬ動きで整列した。
その中央に立つ男──冷えきった瞳を持つ神職、オレガノ。
ヴァルターとセージが門前に出る。呼び出されたしらたまも、少し遅れて現れる。
オレガノは礼儀正しくも、一方的に通達した。
「教会より派遣を受けた神職、オレガノと申します。
フィオレの名のもと、“白の聖女”は聖都に導かれねばなりません」
突きつけられた言葉に、しらたまは目を丸くする。
「……わたしを……?」
セージが一歩前へ出て、手に持っていた書状を差し出す。
「この者は、王と王妃の許可を得て、正式にリース家に保護されております。
いかなる理由であっても、王家およびリース家以外の保護は認められない。
それは、王家の署名を伴った契約に基づく、国家の意思です」
オレガノは書状を一瞥しただけで、まるでその存在を否定するように言った。
「神の意思は、法よりも上にあります。フィオレの御名のもと、我らは“正しき導き”を果たすのみ」
ヴァルターが静かに返す。
「国の意思に背くつもりかい?」
その瞳には、微かな怒りが灯っていた。
次の瞬間、オレガノが右手をゆっくりと上げる。
それは、沈黙のまま神職者たちに“進軍”を命じる合図だった。
白衣の一団が無言で動き出す。
門を越え、街の敷地へと足を踏み入れたその瞬間──
「やめてください!」
しらたまの叫びが、広場の静けさを裂いた。
ギフト所持の子どもたちが怯え、ポピーとメープルが彼らを庇いながら奥へと誘導する。
街の人々がざわつき、空気が張りつめていく。
「どうして……どうしてこんなことに……」
しらたまの手が震えた。
彼女はただ、今日も占いをしていただけだった。誰かのために祈っていただけだったのに。
神官の列が街の入り口に差し掛かった、そのとき──
バンッ!!
一冊の分厚い本が、神職者のひとりの額を直撃した。
「彼女は、“ここ”で生きてるんだよ!」
声の主は、錬金術師見習いの──ルーベンだった。
「おまえたちの“正義”を、ここに持ち込むな!」
本を構え直し、威嚇するように立ちはだかる。
続いて、地響きのような足音とともに、もう一人の男が突っ込んできた。
「妹を……誰にも渡すかってんだ!!」
それは、しらたまの兄・環。
太い腕で神職者たちを豪快になぎ倒していく。
「……兄、ちゃん……?」
混乱の中、しらたまは目を見開いた。
足元がふらつく。
(わたしのせいで、こんなことに……?)
胸の奥で、痛みが生まれる。
静かだった風が、まるで罪のように吹きつけてくる。
だけど、その風を遮るように、一人の男がしらたまの前に立った。
──ヴァルター。
彼はリュートをそっと下ろし、空を仰ぎ見る。
そして、囁くように言った。
「風を……乱さないでくれるかい?」
その声は、風そのもののように静かで、深かった。
神官たちの動きが、ぴたりと止まる。
その場にいたすべての者が、空気の変化に息を呑んだ。
風が、舞っていた。
それはただの風ではない。
この町に住む者たちの、祈りと願いと守りたい心が、ひとつの“風”として集いはじめていた。
オレガノが、無言のまま視線を上げる。
「……では、次は“上”から命を持って参りましょう」
その言葉を最後に、神官たちは馬車へと戻っていった。
嵐は──まだ終わってはいなかった。




