第二十五話「嵐の兆し」
「さすがは白き星の風。見事に風を流しているね」
ヴァルターがそう呟くと、しらたまはふふっと微笑んで答える。
「占いは祈りだよ。その人の“今”より一歩先を照らす祈り。
誰かのためでありたいって、ただ、それだけ。大したことはしてないよ」
「そんな純粋な願いが、ときに大きなうねりとなって空に舞い上がるのさ。
――フィオレ神は、きっとご覧になっていると思うよ」
ヴァルターの言葉には、確かな信頼と敬意が宿っていた。
リース家ラセルナ支部は、穏やかに、確実に、広がっていた。
《風車の輪》の協力もあって、商いの流れは順調に回りはじめ、
ポピーやメープルの活躍は噂となって各地へ広がっていく。
それは決して大勢ではないが、見込みを大きく上回るギフト所持者たちが集まってくるほどに。
働き口を求める者は《風車の輪》に紹介され、
衣食住を必要とする者には、城外にある農村の空き家があてがわれ、
田畑の管理のほかにも木こりを任されることもあった。
漁師だった者、猟師だった者──
皆、かつて人々に虐げられ、傷ついてきた過去を持っていた。
それでも、ほんのわずかな希望を信じて、彼らはこの地へと辿り着いたのだった。
今のラセルナに、もはや“よそ者”という偏見はない。
元々が旅人を迎える宿場町だ。
誰が増えたところで、騒ぐ者もいない。
この街はただ、静かに、温かく、彼らを迎え入れていった。
いつしか──
人々はこの地を、「南の花園ラセルナ」と呼ぶようになった。
「この町には、祈りが満ちてる。……とっても気持ちいい」
そう呟いたしらたまに、ヴァルターも穏やかに応える。
「ふふ、そうだね。このまま美しい風が吹き続けてくれるといいね」
王都の西──丘の上の祈祷所。
神殿の奥で、祭祀ペッパーは風の流れに目を細める。
「……やはり、祈りの風が吹いている」
「祭祀様。南の宿場町に“白の聖女”と噂される女性がいるとの報告が」
「……来たか」
それはただの噂話ではない。
祈りの風──それは聖都トゥルシーにおいて、神の御技とされる神聖なる力。
王宮の巫女、聖都の神官、そして選ばれし預言者にしか許されぬ、天と地をつなぐ風。
それが今、南方の名もなき町から吹いている。
「発生源は“白の聖女”……フィオルの光を受けし者ならば、迎えねばなるまい」
静かに語りながら、ペッパーは隣に立つ神職の男へ視線を向けた。
「……オレガノ。おまえに任せる」
僧衣の裾が揺れる。冷えた石の床を、靴音が淡々と響いた。
「了解しました。
彼女は“保護”の名のもと、聖都へ連れて帰還いたします」
「祈りの風が、他の土地に定着する前に。
聖都トゥルシーの威信を、守らねばならぬ」
その言葉に、オレガノは一礼もせず、ただ踵を返した。
──その風は、確かに動き始めていた。
かつて誰も踏み入れたことのない、“自由な祈り”の風を止めるために。
そしてその足音は、ラセルナに向けて静かに近づいていく。
ヴァルターは、風の中にかすかな違和感を感じ取っていた。
「……嫌な風だ。
これは、“正しさ”の名を借りた嵐だ」
彼の声は静かだったが、その奥には確かな決意が宿っていた。
「動かないと、間に合わないかもしれないね──」
数日後、リース家ラセルナ支部に、王都からの追加人員が到着した。
旅装をまとったその一団の中に、しらたまは見覚えのある顔を見つけて目を輝かせる。
「セージさん!」
「やあ、みんな。来てくれて助かるよ」
ヴァルターはリュートを肩にかけながら、いつもの調子で出迎える。
ぽろろん――と、軽やかに弦を鳴らしながら。
「わたくしも、ヴァルター様に再びお会いできてうれしい限りです」
セージがいつも通りの丁寧な口調で微笑むと、
しらたまは他にも屋敷で見かけた顔ぶれが揃っているのに気づき、しらたまは思わず声をあげた。
「わあ……! でも、どうして急に?」
「保護しているギフト所持者が増えてきているからね。
この町の警備を手薄にはできないだろう?」
その答えに、しらたまは小さく頷く。
普段は歌ってばかりのように見えるヴァルターが、
見えないところできちんと手を打っていたことに、改めて尊敬の念を覚える。
「じゃあ、準備が整い次第、配置についてくれ」
ヴァルターの指示に、一斉に「了解いたしました!」という声が響き渡る。
その気迫に圧倒されるしらたまをよそに、セージがそっとヴァルターに耳打ちした。
「ヴァルター様、彼女との契約書──お持ちいたしました」
「……助かるよ、セージ。……どうも嫌な風が吹いてね」
ヴァルターの表情がわずかに翳る。
「ご当主様も、彼女のことを心配しておいででした」
「苦労をかけるね。……でも、ラセルナは、守りたいんだ」
その頃、しらたまはというと──
何も知らず、今日も占い処に座り、目の前の相談者の言葉に耳を傾けていた。
「うん、そうだね……星は、ちゃんと道を照らしてくれてるよ」
変わらぬ祈り。変わらぬ優しさ。
それが風となって、この町に満ちていることを、彼女はまだ知らない。
一方──
王都ポリャンナの外れ、夕陽に染まる街道を一台の馬車が静かに走っていた。
その車体に刻まれていたのは、教会を象徴する五芒星の紋章。
車内には、無表情の神職者たち。そしてその中央に座る、氷のような眼差しの男──オレガノの姿があった。
「……導きの名のもとに、我らは彼女を迎える。
聖都にふさわしき場所へ──」
馬車の揺れに微動だにせず、彼は静かに目を閉じる。
嵐の兆しは、確かに南へと向かっていた。




