表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
231/309

第二百十七話「風蝕の洞窟」


 王都近郊にある初心者向けダンジョン【風蝕の洞窟】。

 その入り口は、岩壁にぽっかりと空いた洞窟の口だった。

 夏の初めの風が草葉を揺らし、洞窟の奥からはほのかな潮の香りと湿った空気が漂ってくる。


「ここが……ダンジョン」

 カウムディが小さく息を呑んだ。


 洞窟に一歩足を踏み入れると、そこはまるで別世界だった。


 岩壁の隙間から差し込む陽の光に照らされて、

 青緑の光をまとった浮遊体が静かに揺れている。


 水気を帯びた藻のようなその魔物たちは、ふわふわと空中を漂い、

 探索者たちの動きに反応して緩やかに揺れるだけだった。


「わぁ……アルジーたちですね」

 しらたまが嬉しそうに声を上げる。


「この子たちは、ここの精霊さんなんですよ。

攻撃してこないので安心して大丈夫です」


「精霊……」

 カウムディはアルジーの群れにゆっくり手を伸ばし、指先がふれる直前で止めた。


「ただそこにあるだけで、癒される……。

これも“祈り”のようなものかもしれないな」


 プラーナがうなずく。

「魔物であって魔物でない存在。

それがこの層の守りなのかもしれません」


 淡く発光するアルジーや、地面にびっしりと張りついたモスたちは、

 ただ静かに呼吸するかのように揺れていた。


「こいつら、光に反応してるみたいだ。ほら、ルーベン」

 環がランタンを持ち上げると、

 光の動きに合わせてアルジーがふわりと揺れた。


「潮気を抱いて眠る魔素の胞子……面白い構造してる」

 ルーベンは興味津々に観察しながら、錬金用の採取瓶を取り出した。


「ここでしか取れない薬草や魔素が多いんです」

 しらたまが足元の湿地を指差す。

「アルジーの胞子は、ヒーリングポーションの素材にもなりますよ」


 カウムディは、静かに拾い上げたモスを見つめた。

 手のひらで小さく震えるその姿は、まるで風の導き手のようだった。


 だが、その美しさの裏にある静けさが、どこか不安をもたらした。


「足元が……少し緩いな」

 湿った岩に、靴がぬるりと滑りかける。


 ヴァルターが注意を促した。

「このあたりはまだ安全だけど、油断は禁物だ。

風の音も、深くなるにつれて変わってくる」


 アルジーの間を通り抜けた先に、暗がりが口を開けていた。

 そこからはかすかに、ざざ……ざざ……と地を這うような音が聞こえる。


「……先に進もうか」

 カウムディが静かに言った。


 小さな祈りのような緑の導きに見送られながら、

 一行は第二層へと足を踏み入れていくのだった。





 第二層に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。

 湿った石の匂いが濃くなり、天井が低く、狭く歪んだ通路が続く。

 足元はぬかるみ、わずかに傾斜しているのがわかる。


「慎重に進んでください。ここの床、滑ります」

 しらたまが小声で告げる。


「音……してる」

 クラウスがささやくように言ったその時だった。


 ──ズドンッ!


 壁の影から球状の物体が転がり出て、

 ルーベンの脚元を狙って突進してきた。


「ピルバクだ!」

 ルーベンが後退しようとするが、足元の湿地に足を取られる。


「させないわよ♡」

 クラウスが滑り込むように前に出ると、軽やかに剣を振り抜き、

 突進してきたピルバクの進路を逸らす。

 ピルバクは岩壁に激突し、鈍い音を立てて転がっていった。


「ありがとう、クラウス……助かった」

 ルーベンが息を整える。


「ったく、油断大敵ってやつよねぇ♡」

 クラウスは小悪魔的にウィンクする。


 しかしその刹那、奥から這い出してきたのは、

 光沢のある黒い殻を持つ巨大なムカデ――ミリピードだった。


「ミリピード!注意しろ、毒持ちだ!」

 ヴァルターが叫ぶが、それよりも早く、

 ミリピードがプラーナに向かって毒液を吐きかける。


「プラーナ、下がって!」

 カウムディが声を張ると、プラーナは素早く横に跳びのいた。


 毒液が地面に触れ、じゅうと煙を上げる。

 カウムディは周囲を見渡し、すぐに判断を下す。


「プラーナ!前衛へ、俺が毒を引き受ける!」

「カウムディ様、しかしそれは――」

「僕の魔力は高い。数発の毒攻撃程度なら耐えられる!君は剣で牽制してくれ!」


 言い終わるや否や、カウムディは腰のポーチから香草を取り出し、

 自らの鼻先に軽くすり込む。

 魔力を使って香を拡散し、呼吸器への影響を抑える防御策だ。


「っ……! 思った以上に……くるな……っ」

 顔をしかめながらも、彼はミリピードの前に立ち塞がる。


 プラーナが刃を振るい、ミリピードの注意を引くように動く。

 ルーベンが後方から補助魔法を展開し、クラウスは毒が届かぬ距離から剣を構えていた。


「クラウス、今!」

「了解っ♡」

 閃光のようにクラウスが前に飛び出し、剣先から光が放たれる。


《ルミエール・トラップ》


 目くらましの閃光がミリピードの感覚を狂わせると、

 プラーナが鋭く斬り込み、カウムディの魔力放出が毒を打ち消す。


 数秒の連携ののち、ミリピードの巨体が崩れ落ちた。


「倒した……!」

 ルーベンが小さく歓声をあげた。


 しらたまはすぐにカウムディに駆け寄り、傷や毒の反応を確認する。


「少し息が荒いけど、致命傷じゃない。薬草の効果もちゃんと出てる」

「よかった……」

 プラーナが安堵の表情を浮かべる。


 カウムディは肩で息をしながらも微笑んだ。


「少しは……戦えるようになったかな」


「うん、上出来だよ、カウムディ」

 ヴァルターがそう言って軽く頷いた。


 こうして一行は、風と毒のざわめきが満ちる第二層を乗り越え、

 第三層――静かに闇が広がるホール空間へと歩を進めるのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ