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下町宿場の占い師さん~異世界の占い師は、やがて世界を救う~  作者: もなかしょこら
アロマティア年越し編

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第百六十四話「聖香祭」


 澄んだ冬空の下、アロマティアの街は静かに息づいていた。

 あたたかな陽の光が、尖塔屋根の赤瓦を照らし、

 結界香の白い煙が、石畳の道をふわりふわりと流れていく。


「はい、次の香炉はこっちよぉ♡ そう、ちゃんと風下に置かないと煙が街を巡らないわ♡」


 街角の小さな広場では、クラウスが子どもたちと一緒に香炉を並べていた。

 手には真鍮の小さな香炉を抱えた少年少女たちが、

 わいわいと笑いながら石畳の隙間にそれを据えていく。


「先生!煙がまっすぐ伸びてる!」 「よろしいっ♡ それはとても良い風よ♡」


 どこか愉快で、どこか神聖なその光景に、近くを通る住民たちも思わず立ち止まり、

 祈りを込めてそっと手を合わせた。



 そのころ、風見草亭の前では――


「ミーナ、もうちょっとだけ手前かな。風が逆向きになりそう」

「うん!わたし、こういうの好き!いい匂いするし、なんだか嬉しい日って感じがする!」


 ポピーとミーナが、店の看板の根元に香炉を据え、種火を灯していた。

 ふたりの顔をかすめるように、調香された白煙が立ちのぼり、

 淡く甘い香りが街路をくすぐっていく。


「ねえ、ポピー姉ちゃん」

「ん?」

「しらたまお姉ちゃん、あの香、作ったんだよね?」

「うん。……すごいよね、あの人」


 ふたりは目を合わせて笑った。



 支部の前では、ルーベンが火打石を手に、慎重に香炉の底に火を入れていた。


「……よし。メープル、蓋をゆっくり乗せて」


「おう!……よし、できた!」


 慣れない作業に緊張しながらも、メープルは目をきらきらと輝かせていた。

 煙がふわりと立ち上り、彼女の肩を包むように揺れる。


「……なんか、あったかい香り」

「しらたまが作る香は、いつも“人を守る”香だからな」


 ルーベンは優しい眼差しで煙を見つめた。



 そして、それを領主館の高窓から静かに眺めていたのは、ヴァルターだった。

 香が交差する街路の向こうに、あちこちで灯される小さな火。

 それはまるで――無数の心が祈りによって繋がれてゆく様のようだった。


「……いい風が吹いてるね、今日は」


 彼は音もなくそう呟き、指先で窓辺のガラスを軽く撫でた。



 一方、街の中央広場。

 木立の影から、子どもたちの姿と小さな祈りの火を見守るふたりの姿があった。


 しらたまと環だった。


「……こんなにたくさんの人が祈ってくれてる。ほんと、すごいなあ」


 しらたまが小さく呟くと、隣の環が腕を組んでニッと笑った。


「そりゃそうだろ。おまえが香を調合して、

みんなが置いて、誰かが祈った。そういう積み重ねだ」

「……うん」


 街全体を包むように、結界香の煙が風に乗り、ひとつ、またひとつと灯されていく。

 人々の手で紡がれた光と香りの帯が、アロマティアを祈りの結界で満たしていく――。


 そしてその中心で、ひとりの占い師が、そっと胸に手を当てた。


「きっと、大丈夫だよね」


 風が、そっと彼女の髪を撫でていった。





 夕闇がそっと街を包み始める頃、アロマティアの広場にはひときわ澄んだ空気が流れていた。

 空には一番星が瞬き、香炉からは淡い煙が静かに立ち昇る。

 風は穏やかに、まるで神の息吹のように人々の頬を撫でてゆく。


 教会の鐘が一つ、深く鳴った。


 やがて、広場の中央に集められた子どもたちが、そろりそろりと並ぶ。

 冬の夜気に震える肩を寄せ合いながら、皆で持ち寄った白いスカーフを首に巻いていた。


 その中央、クラウスが優しく頷き、手をひと振りする。


 歌が、はじまった。



---


 ♪

 「光の風よ、香の雫よ

 天へと昇れ 我らの祈り

 聖き名に捧ぐ歌

 いまこの空に響け」

 ♪



---


 透き通るような歌声が、広場を、街を、そして空へと満たしていく。

 子どもたちの小さな胸に宿った祈りは、香と共に風に乗り、

 まるで目に見えぬ星の糸がこの街を包み込むようだった。


 人々は足を止め、言葉を交わすことなく、ただその歌に耳を傾けていた。

 老いた者は涙を流し、若き者は手を握りしめる。


 この歌を知っている者も、初めて聴く者も、ただ一つの想いを胸に抱く。


 ――願わくば、この平穏が永く続きますように。


 香炉の煙が空へと昇る。

 その先にある、誰かに届くことを願って。


 歌が終わると、しばしの沈黙が街を包み――

 やがて、万雷の拍手が広場を揺らした。


 その中で、しらたまはそっと瞳を伏せる。


「ありがとう……」


 彼女の声は誰にも届かず、けれどその祈りは、たしかに風の中に溶けていた。





 年の瀬前。

 陽が落ちるとアロマティアの街は、

 まるで一斉に息をひそめたかのような静けさに包まれた。

 石造りの塔に据えられた大鐘が、今まさにその時を迎えようとしている。


 街の広場には人々が集い、焚かれた香炉からは、白く淡い香煙が立ち上る。

 その香は、祈りの言葉と共に調合された“年の風”――古くから伝わる神聖な香だった。


 ──カン……カン……。


 塔の鐘が鳴る。


 ひとつ、ふたつ。

 その音は夜の帳に溶け、街の隅々にまで届いてゆく。


 香煙は鐘の音に呼応するようにゆらぎ、空へと舞い上がった。


「これが……アロマティアの風か……」


 旅の神官が、帽子を取り胸元で手を組む。

 広場に集った者たちは声を発さず、ただ風と香に身を委ねていた。


 夜の静寂が、香と鐘の音とともに“年の終わり”をそっと告げていた。

 それはまるで、街全体が祈りとともに深く息を吐き、静かに整ってゆく瞬間だった。





 年の瀬。

 深夜のアロマティアは、満天の星に照らされた沈黙の世界だった。

 灯火の消えた通りに浮かぶのは、各地から集った占い師たちの帳と小屋、

 そして白い布で覆われた“祈りの間”。


 しらたまの“占い処”は広場の東端、星の見える高台に設えられていた。

 夜風は穏やかで、香炉からは焚かれた“年の橋”の香がやさしく流れている。

 

 しらたまは静かにカードを手に取った。

 その手には一切の迷いがない。


「……見えたのは、ひとつの風の道標。来年は、導きの年になるでしょう」


 その声は、帳の奥にいた者だけでなく、広場に立ち尽くす人々の胸にも届いた。


 老婦人が目を潤ませ、若者が小さくうなずく。

 誰もがそれぞれの胸に、“導かれるもの”を思い浮かべていた。


 しらたまは祈るように、ひと息、香の風に想いを託した。


 “この風が、誰かの希望に変わりますように。”


 こうして、アロマティアの一年は静かに幕を下ろしていった。




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