第百五十五話「道化の嘲笑」
道化師は、そこにいた。
誰にも気づかれぬまま、仮面の奥でくすくすと嗤うように。
細い指先がくるくると空を描き、まるで弄ぶように。
その瞳は、鋭く、冷たく――
まるで、次の標的を選ぶ猟犬のようだった。
レオナルト王子の遺体は王家によって回収され、
私たちは、離れから王宮本館へと移された。
王宮側はこの事件を「外部犯の犯行」として見ているらしく、
現在も調査が進められている……とは言うものの、
実態は曖昧のままだった。
談話室にてみんなが集まる中で、ルーベンが沈んだ声で呟いた。
「……それにしても不可解な点があまりにも多い」
「たとえば?」と私が尋ねる。
「まず、王子が“離れ”にいた理由だ。
通常なら王族は王宮に暮らすものだろう。
なのにあえて、離れに……まるで、
“俺たちの誰かに死体を見せたかった”みたいじゃないか」
ヴァルターが続けた。
「離れだけに、あの錯乱作用のある香が撒かれていたことも、
偶然にしては出来すぎている。あれは僕らを狙った。そう考えるのが自然だ」
「兵士の証言も、どこか曖昧でしたわ」
セリーヌさんが手帳を閉じながら言う。
「“王子殿下の香です”と繰り返すだけで、表情すらもどこか薄い。
……まるでそう“教えられている”ような話し方でしたわ」
「死んだ人間に指示されているの?いやねぇ、こわいわぁ」
クラウスさんはそう言いながらも、瞳は真剣だった。
ユリウス王子が腕を組みながら低く呟いた。
「……仮に、あの死体がレオナルト本人ではなかったとしたら――
では、本人はどこへ?そしてあれは一体“誰”だった?」
答えは誰にも出せなかった。
「それがわかれば、よかったんだけどね……」
ヴァルターが自嘲気味に言葉を落とす。
検視官は「香りで間違いない」とだけ主張し、
遺体はもう、王族管理下にある。
「……なんか、嵌められてる気がするわ。お兄様」
ソレイユ様が、小さく呟く。
その声に、誰もが心のどこかで同じ思いを抱いていたことに気づかされた。
ユリウス王子の顔が、ゆっくりと険しさを増していく。
「我が国に……戦を仕掛ける気か?」
その言葉に、私たちは一斉に息を呑んだ。
「……ないと、信じたいね」
ヴァルターは静かに言う。
私は小さく首を横に振った。
「争いは、いや……です」
「だが、戦を仕掛ける時の常套手段と言われれば……その通りだ」
ルーベンの声には諦めと怒りが入り混じっていた。
兄は「きな臭ぇ話だな」と、舌打ち混じりに吐き捨てる。
そのとき、ひとりの警護兵が談話室に入ってきた。
銀の器に載せられた、透き通った紅い茶。
見た目は美しいけれど、どこか不穏な色だった。
ユリウス王子が問いかける。
「……捜査はどうなっている」
「はっ、現在も調査中にございます。外部犯を追ってはおりますが、
手がかりが少なく、捜査は難航しております」
兵士は仮面の上からでもわかるほどに表情を変えず、そう答えた。
ルーベンはその言葉を聞きながら、紅茶の揺らめく表面を見つめて言った。
「……だろうな」
誰もが紅い液体の底に、自分たちの影を見た気がした。
それは、まだ終わらぬ幕の向こう――
笑う“道化”が操る、もうひとつの舞台の始まりだった。
「……正気か?」
ルーベンの低い声が、耳の奥に静かに残響する。
けれど、それはきっと、この場にいる誰もが心の中で呟いた言葉だった。
王宮は、宣言通り――仮面舞踏会を再び開催した。
華やかな照明が、天井のシャンデリアからも幾筋もの光をこぼす。
香の香りは濃密で、むせかえるような甘さを纏いながら、空間を満たしていた。
色とりどりの仮面が笑い、すれ違い、手を取り合い、舞い踊る。
まるで何事もなかったかのように。
「……あくまで”無関係”を貫くつもりか」
ユリウス王子が、仮面の奥で冷たく言った。
その声音には、静かな怒りが滲んでいた。
私は香の渦の中で、ぐっと拳を握る。
ミモザさんが少し困ったように囁く。
「……王子殿下への嘆きの声も聞こえてはきますが、
……それでも、何というか……」
「まるで、演目を演じている役者のよう、でしょう?」
そう続けたのは、ソレイユ様だった。
彼女の目は燃えていた。紅の仮面の奥に、決意の光が揺れていた。
私は喉の奥からぽつりと言葉を落とした。
「……ここ自体が、大きな舞台なんだ」
その瞬間、空気が張り詰めたのを、私は感じた。
視線が一斉に私に集まる。
誰も言葉を返さなかったけど、全員が同じ思いを抱いてると感じた。
ここは舞台。
私たちは役者。
そして――その舞台の“筋書き”を握っているのは、果たして誰なのか。
「――踊りましょう」
響いたのは、主催者の声。
楽師たちの奏でる音色が、床を這うように鳴り始める。
仮面たちが舞い踊る。
それは狂気と無垢、策略と欲望が入り混じった、
終わりなき演目のようだった。
私たちはその輪の中へと、再び、足を踏み入れるしかなかった。
――仮面が示す“本当の顔”を暴くために。




