第十五話「風は王城へ向かう」
柔らかな陽の光に見送られながら、しらたまは白のプリンセスラインのドレスに身を包み、ゆっくりと馬車へと乗り込んだ。
淡い色の刺繍と繊細なレースがあしらわれたその衣装は、しらたまの肌をより明るく引き立てており、まるで本物の貴族令嬢のような佇まいを纏わせていた。
「……ふあぁ、緊張する……」
小さく呟いたしらたまの横では、ルーベンがどこ吹く風とばかりに分厚い本を膝に置き、悠々とページをめくっている。
「しくじったらどうしよう……」
不安が口からこぼれた瞬間、ルーベンは鼻で笑った。
「その時は大げさに笑ってやる。思いっきりな」
「えぇぇ、ひどくない!?」
「笑った方が場が和む。それだけだ」
からかっているようで、妙に理にかなった答えに、しらたまはぐぬぬ……と唇を噛む。
隣では護衛のセージが、優しい声音で言葉を添えた。
「大丈夫です。しらたま様は、堂々とされていればそれで十分ですよ」
その穏やかな口調に、しらたまは少しだけ肩の力が抜けた。
そして、馬車の向かいに座るヴァルターが、今日に限っては珍しくリュートを持たず、きちんとした貴族の装いで姿勢を正していた。
「風はね、時に未知を恐れずに吹くものなんだよ、白き星の風」
その言葉は、柔らかくも芯があり、しらたまの胸にすっと染み込んだ。
「……うん。ありがとう、みんな」
しらたまは小さく深呼吸をひとつして、前を向いた。
王城は、もうすぐそこだ。
車輪の音が徐々に静まり、馬車はゆるやかに停車した。
目の前に現れたのは――まばゆい白金の石造りで組まれた王都ポリャンナの王城。
高くそびえる尖塔に、風と星を象った紋章。
磨き込まれた門扉には、月光を思わせる優美な銀装飾が施されていた。
「……すごい……」
思わず漏れるしらたまの声は、誰の耳にも届くことなく、石畳に吸い込まれていく。
馬車の扉が開けられ、四人はゆっくりと王城の敷地内へと足を踏み入れた。
門の内側では、整列した衛兵たちが一糸乱れぬ動きで礼を取る。
広々とした回廊の天井には、風をかたどった流線の彫刻と、
星を象った水晶飾りが等間隔に輝いており、まるで夜空をそのまま閉じ込めたかのような幻想的な空間だった。
(これが……王城……)
まさに異世界の“本物の宮殿”と呼ぶにふさわしい景観に、しらたまは思わず足がすくみそうになる。
そんな中、一歩前に出たのはヴァルターだった。
その立ち居振る舞いには、普段の軽やかな詩人の気配は一切ない。
深い礼を取り、流れるように口を開く。
「リース伯爵家次男、ヴァルター・リース。謁見の許しを賜り、深く感謝を申し上げます」
その声は、凛としていてよく通る。
王家の侍従はそれに応えるように礼を返し、静かに頷いた。
(……えっ、誰!?)
しらたまは思わず、ルーベンの肩に隠れるように身を寄せて、小声で囁く。
「……ヴァルター、キャラ変わってない……?」
「……まあな」
ルーベンは驚いた様子を一切見せなかったが、珍しく口元がかすかに引きつっていた。
セージだけが、「いつもと違うヴァルター様も良いものです」と小さく笑っている。
“白き星の風”は、いま――
王と星が見つめる中心の場へと、ゆるやかに歩みを進めていた。
王城の回廊を抜けた先、重厚な扉が静かに開かれる。
そこは玉座の間――。
天井には星辰の意匠が煌めき、床には風の紋様が彫られた石が敷かれていた。
その中央へと、四人は静かに足を踏み入れる。
護衛のセージは扉付近で立ち止まり、控えにまわる。
先頭に立つのはヴァルター、その隣にはしらたまとルーベン。
三人の歩みは、やがて玉座の前で止まる。
玉座に座るのは、銀の髭を蓄えた温和な面差しの男――ポリャンナ王国の現王、リュシアン・ポリャンナ六世。
その隣には、月のような静けさをまとった王妃、イリス王妃の姿があった。
「ようこそ、王城へ。遠路の旅路に、労を労おう」
王リュシアンの声は、低くも柔らかで、誠実さに満ちていた。
しかし、王妃イリスは――
しらたまを見つめたまま、ふと目を細め、静かに口を開いた。
「……風が、祈りを運んでまいりました」
空気がふと張りつめる。
「……あの日、孤児院に満ちた優しい風。
あの祈りは、確かに星神フィオルのもとへ届いておりました」
「え……?」
しらたまは戸惑いの声を漏らす。
(そんなつもりで祈ったわけじゃない……)と、心の中で呟いた。
しかし、イリス王妃は微笑んだ。
「祈りとは、意図を超えて湧き出るもの。
それは、魂が世界に向けて紡ぐものなのです」
その言葉に、しらたまは何も返せなかった。
ヴァルターが一歩進み、恭しく礼を取ると、
貴族らしい正統な言葉遣いで静かに語り始めた。
「この者、モモセ・シラタマは、未だ前例なき“祈り”を媒体としたギフトの保持者でございます。
発動は占術――星詠みを通して行われ、
言霊の力と結びつき、相手の心に穏やかな影響を与える特性を有します」
玉座の間に、微かなどよめきが走る。
控えていた侍従たちが、驚きを隠せず顔を見合わせる。
王リュシアンは「ふむ」と短く唸り、思案するように眉を寄せると、
まっすぐにしらたまを見つめて問うた。
「シラタマ殿。君は――どこから来たのだ?」
瞬間、しらたまの心臓が跳ねる。
(……どうしよう……なんて答えれば……)
ちら、とヴァルターを見ると、彼は静かに頷き、こう告げた。
「――“流れ星”の伝承通りでございます」
その言葉に、王と王妃の瞳が一瞬、大きく見開かれた。
玉座の間の空気が変わる。
控えていた者たちの注視が、一斉にしらたまへと向けられた。
視線の圧に、しらたまは固まって動けなくなった。
(……なんで、こんな大ごとに……)
しばらく沈黙が流れたあと――
リュシアン王は静かに息を吐き、再び口を開いた。
「シラタマ殿。そなたの契約者は、ヴァルターで間違いないか?」
「左様にございます」
ヴァルターが真っすぐに答える。
「……風は自由だ。
人を導く風の声こそ、我が国が大切にするもの」
王の声は、朗々と広間に響いた。
「シラタマ殿の力は、決して“害”ではない。
それは、“導きの祈り”だと、我が国は認めよう」
その言葉に、場の空気がふわりとやわらいだ。
「ギフト保持者として、正式に登録されることとなる。
だが、君の身柄は王家ではなく、リース伯爵家に預けるものとする」
「……えっ」
思わずしらたまが声を漏らすと、王は微笑みを浮かべて言った。
「君の風が吹くことで、多くの者が救われるだろう。
ありがとう――白き星の風よ」
その言葉は、まっすぐに胸に届いた。
その場にいた誰もが、確かに“導き”を感じていた。
──しらたまは、正式に“この世界の一員”として、認められたのだ。
玉座の間に穏やかな風が流れ始めたそのとき――
明るく弾けるような声が、その空気をさらにやわらげた。
「まぁ〜っ、可愛いドレス!ねえ、あなた……えっと、お名前なんて言ったっけ、シラ……しらたまちゃん?」
ひときわ目を引く華やかなドレス姿の女性が、すたすたと玉座の間の中央へと歩み寄ってきた。
金の髪を軽やかに編み込み、朝露のように煌めくブローチを胸元に飾っている。
「……ソレイユ」
王妃がたしなめるようにその名を呼ぶが、本人はどこ吹く風。
「やっぱりそう!しらたまちゃん!よかった、あってたわ!」
彼女は、ポリャンナ王国第二王女――ソレイユ。
市井でも“花市の王女”として親しまれている明朗快活な人物である。
「あなたのドレス、すごく素敵ね。ふふ、私の花祭り衣装の参考にしちゃおうかしら。
ねえ今度、衣装の相談に乗ってくれない?今年の案、どれも去年の二番煎じばかりで飽きちゃって。
でも市井の子たちは私の服を楽しみにしてくれてるから、適当にはできないし……期待に応えないといけないのよね」
ころころと転がるように話すソレイユに、しらたまは最初こそ戸惑ったが――
その素直で屈託のない笑顔に、自然と表情がほころんだ。
「……えっと、私でよければ……」
その言葉に、ソレイユは嬉しそうに目を輝かせた。
「やった!約束よ!」
「殿下、そろそろ――」
控えていた側近が、そっと声をかける。
「はぁい、はぁい」
名残惜しそうにしながらも、ソレイユは王妃の元へと戻っていった。
しらたまたちも玉座の間をあとにする。
城門前で馬車へ乗り込もうとしたその時――
風を切るように、ソレイユの声が城の回廊から響いてきた。
「しらたまちゃーん!また今度お茶しましょーう!」
「殿下、声が大きゅうございます!」
側仕えにたしなめられる中、ソレイユは楽しげに手を振っていた。
しらたまは思わず笑って、控えめに、でもしっかりと手を振り返す。
(……うん、またね)
馬車がゆっくりと動き出す。
その中で、いつもの調子に戻ったヴァルターが、ルーベンに問いかけた。
「滞在期間、延びそうだけど……ルーベンは平気かい?」
「問題ない。王都でこれほど自由に学べるなんて、またとない機会だ。
……有効活用させてもらうとしよう」
そのやり取りに、しらたまは首をかしげながら尋ねる。
「え……なんで滞在が延びるの?」
ルーベンが軽く呆れたようにため息をつく一方で、ヴァルターは穏やかに微笑みながら答えた。
「君、王女のお茶会の誘いを引き受けておいて、すぐに帰れると思った?」
「……あっ」
しらたまは、ようやくその意味に気づいて絶句した。
王城で吹いた“白き星の風”は、想像以上にこの世界を動かし始めていた。
王城での謁見を終え、再びリース邸へと戻ってきたしらたま。
扉を閉めた瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。
「ふぅ……」
部屋の机に置かれた青い宝石の香炉に、そっと火を灯す。
ふわり――スウィリアのやさしい香りが、空間を満たしていく。
しらたまはベッドの端に腰掛け、静かに窓の外を見つめた。
夕暮れの王都は金と橙に染まり、遠く教会の鐘が鳴っている。
「……わたし、ちゃんとこの国で歩いていけるのかな」
ぽつりと呟いた言葉が、宙にほどける。
ギフト所持者、祈りの力、流れ星の伝承――
気づけば、肩に乗っているものが多すぎて、足元が少しだけ不安になる。
けれどその瞬間だった。
ふわり、と――
窓も開いていないのに、香炉の炎が揺れた。
それとともに、やわらかな風が部屋を包む。
まるで、「だいじょうぶ」と囁くかのように。
しらたまは驚き、香炉へと目を向ける。
けれどそこにあるのは、ただ静かに香りを放つ、青と白の陶器だけ。
(……この香炉、やっぱりただの贈り物じゃない)
あの日、王都の市場で出会った小さな出会いが――
いま、しらたまの心をそっと支えていた。
「……うん、大丈夫」
小さく頷いて、しらたまはゆっくりとベッドに身を沈めた。
祈りの風は、今日も彼女のそばで、やさしく吹いている。
──そして明日、また新たな出会いが待っている。
それが、星の導きであると気づくのは――まだ少し先のことだった。




