第十四話「白き星の記憶」
夜の王都は静かだった。
かすかに窓の外から聞こえるのは、馬車の軋む音と遠くの鐘の響き。
屋敷の談話室には、静かな灯りがともされている。
しらたま、ヴァルター、そしてルーベンの三人は、丸テーブルを囲んでいた。
中央に無造作に置かれたのは、厚みのある紙の束。
「調査結果だ」
ルーベンの言葉に、しらたまは思わず身を乗り出す。
だが、文字の羅列を見てすぐに表情が曇る。
「……うぅ、やっぱり難しい……」
そんな様子に、ヴァルターが優しくリュートを鳴らす。
「白き星の風に似た事例を探していたんだね。懸命だよ、ルーベン」
ぽろろん……
「……ああ、その通りだ。百年前まで遡って、確認できる限りのギフト保有記録を調べた。だが――」
「が?」
ルーベンの重い言い方に、しらたまは背筋が伸びる。
「しらたまと同じような“祈りによる顕現”型のギフトはなかった。
唯一、巫女とされた記録があるのは、水を無尽蔵に生み出す能力を持った女性。それも一例のみだ」
「え、すごい……!」
素直に感心するしらたまだが、ヴァルターは沈んだ表情で首を振る。
「やはり、前例がないんだね。そうなるとさすがの父上でも、対処が難しいかもしれないな」
「えっ、でも、賢王なんでしょ?」
そう尋ねたしらたまに、ヴァルターは意味深に笑った。
「“王様”はね」
ぽろん……
「でも、この王都の“貴族”たちは、皆が皆そうじゃない。
ギフトという力を、自らのものにしようとする者も多いんだ。
そういう連中の吹かす風は、陰湿で、腐ってる」
ヴァルターの言葉に、しらたまは思わず息をのんだ。
すると――
ガチャリ、と扉が開いた。
「そんな脅すような言い方はやめろ、ヴァルター」
低く落ち着いた声。
入ってきたのは、端正な顔立ちに深い藍色の瞳を持つ男性――ヴァルターの兄、シダー・リースだった。
「兄上」
ヴァルターが少しだけ肩をすくめる。
「安心してくれ。すでに、陛下からは“前向きな返答”をいただいている」
「……よかった……!」
しらたまは胸を撫でおろした。
「出発は、まだなんですか?」
ルーベンが口を開く。
「陛下も忙しい身だ。やはり、あと二日は滞在してほしい」
そう答えたシダーはふっと笑い、視線をしらたまに向ける。
「……お前たちから連絡もなく突然訪問を受けたのだから、こちらとしても調整が必要でね」
「責務とかもあるし、連絡もなしにお伺いしたのはこちらですので……」
と、しらたまが恐縮気味に答えると、
「そう言っていただけると、助かる」
とシダーはやわらかく笑った。
「……お前も、そろそろ家のために働け、ヴァルター。父上からは話が来ているだろう?」
「はあ、兄上、話が早すぎるよ」
とヴァルターが肩をすくめると、シダーはにやりと笑う。
「実はな、ラセルナにリース家の支部を作る話があるんだ。
商人が行き交う宿場町。作らない手はなかったんだが、あそこの領主が頑固者でね」
「お前に兵士を向かわせたやつだよ」
と、ルーベンが口を挟み、しらたまが「ああ、なるほど!」と頷く。
「で、そのラセルナ支部を、ヴァルターの預かりにする話が出ていてな。
ギフト所持者の保護と契約が絡めば、さすがに領主も口出しはできまい」
「……見事に利用された気がするんだけど……」
と、しらたまがぼそりとつぶやけば、
「なかなかのやり手だな」
ルーベンが呟く。
そして、談話室には静かな笑いが広がった。
それぞれの思惑が交錯しつつも、奇妙な連帯感が芽生えていく。
外では、星がまたたいていた。
白き星の風を運ぶ、新たな夜が静かに更けていく――。
* * *
朝の陽光が、窓のカーテン越しにやわらかく差し込んでいた。
ふかふかのベッドに身を包まれていたしらたまは、大きく伸びをする。
「よく寝たぁ……」
つぶやいたその時、部屋の扉が静かにノックされる。
「失礼いたします」
入ってきたのは、屋敷付きのメイドだった。
「お召し替えと髪の手入れをさせていただきます」
手慣れた動きで服を整えられ、椅子に座らされて髪を梳かれる。
そのまま姿見の前に立たされると、そこに映った自分の姿にしらたまは思わず呟く。
「え……すごっ」
整えられた髪は艶やかに流れ、軽やかなドレープのあるドレスが肌を引き立てていた。
ちょっとした貴族のお嬢様――それが、鏡に映った“モモセ・シラタマ”の姿だった。
階下へ降りると、すでにルーベンとヴァルターが朝食の席についていた。
「おう、遅いな」
「おはよう、白き星の風よ」
「おはよう、二人とも。……よく寝れた?」
「ああ、快適だった」
「そう言ってもらえて、何よりだよ」
しらたまが席につくと、メイドが温かな朝食を運んできた。
スープと焼きたてのパン――ラセルナでも馴染みのある献立だが、やはり質が違う。
食後には、見たこともない生の果物が添えられていた。
口に入れれば、やわらかな甘味と酸味が広がる。
「……これ、なんの果物だろ……?」
「南方から取り寄せたものだよ。王都ではよく使われている」
ヴァルターが紅茶を口にしながら教えてくれる。
そして、ハーブティーで一息ついたタイミングで、ヴァルターが口を開いた。
「白き星の風は、まだこの国のことをあまり知らないだろう。
今日は少し、王都と貴族について話をしておこうか」
しらたまがこくんと頷くと、ヴァルターはゆったりとした口調で語り始めた。
「この国、ポリャンナ王国は、古くから“風と星の国”と呼ばれている。
王が統べる国ではあるが、貴族たちが自治領を預かる封建制度が基盤となっている」
ヴァルターの語る“貴族制度”は、かつてしらたまの世界にあった中世ヨーロッパの構造に似ていた。
「貴族には階級がある。大きく分けて侯爵・伯爵・子爵・男爵。
領地の広さや家柄、王家とのつながりによってその序列が決まる。
僕たちリース家は、王都周辺の商流を管理する法衣貴族の伯爵家だ」
「へぇ……伯爵って、すごいの?」
「ざっくり言えば、領地を持ってる中でもそれなりに影響力がある家、ってところかな」
ルーベンがぼそっと補足する。
「王族も、重要な役割を担っているよ。
たとえば――」
そう言って、ヴァルターは話題を王家に移した。
◆《王族の紹介》
現国王:リュシアン・ポリャンナ六世
穏やかな人柄で民を第一とし、祭事や巡幸を欠かさぬ清廉な王。
“王もまた民の一人”を信条に掲げ、国内外から信頼を集める。
王妃:イリス王妃
星読みの名家、聖都トゥルシーの巫女の血を引く女性。
「月詠の巫女」として王家の儀式や予言行事にも関わっている。
第一王子:ユリウス
軍務に長けた厳格な青年。
気質は硬派で、民との距離はやや遠い。
第二王女:ソレイユ
明るく親しみやすい性格で、「花市の王女」として市井の民から愛されている。
「王妃様は、確か聖都のご出身だったな?」
ルーベンが思い出したように言うと、
「その通りだよ」
ヴァルターが頷いた。
「聖都トゥルシーは、星の神“フィオル”を信仰する宗教都市。
今の王妃様はその巫女の血を引く家系のご出身だ。
今でも予言の儀式などで巫女装束をまとうことがあるらしい」
そこから話題は、王都で春に開催される行事「花祭り」へと移った。
「花祭り?」
しらたまが首をかしげると、ルーベンが淡々と答える。
「元は、想い人に花を贈る祭り。今では“花人”と呼ばれる踊り手が衣装をまとい、市場で踊る」
「うわぁ、なんだか楽しそう!」
「ルーベン、説明は合ってるけど……ちょっと味気ないなあ」
ヴァルターが笑いながらツッコミを入れる。
「事実を述べただけだ」
なぜか誇らしげな顔をするルーベンに、しらたまはくすりと笑った。
「楽しそうなお祭りだね。いつか見てみたいなぁ……」
笑顔でそう言ったしらたまの目は、少しだけ遠くを見ていた。
──次第に、白き星の風は、この国の深部へと踏み込んでゆく。
部屋を出て廊下を歩いていたときだった。
ふと立ち止まったしらたまの視線の先に、見知らぬ女性が立っていた。
深紅のスーツに身を包んだ女性は、手に小ぶりな鞄を下げている。
銀の刺繍入りの帽子から覗く髪は、夜明けの花のような淡いローズゴールド。
「こんにちは、モモセ・シラタマ様ですね」
涼やかな声で挨拶をしたその女性は、ヴァルターの後ろから現れた使用人に続いて応接間へと招かれる。
「紹介しよう。仕立屋。僕のお抱え業者さ」
にこにこと悪戯っぽく笑うヴァルターの後ろでは、護衛のセージがやや遠い目をしていた。
「さて、始めましょうか」
そう言って差し出されたドレスの数は、優に十を超えていた。
純白、桜色、淡い水色に藤色……
プリンセスライン、マーメイド、ベルライン、エンパイア。
「え、これ……全部着るの……!?」
「もちろんですわ」
カメリアは涼しい顔で微笑んだ。
そこから始まったのは――まさに着せ替え地獄。
レース、フリル、ビジュー、パニエ、コルセット。
一枚一枚が重くて厚くて、しかもヒール。動けば脚がつりそうだ。
「こ、これは修行……!?」
着ては脱ぎ、脱いでは着て、体力と気力をごっそり奪っていく作業。
なんで汗だくになってるのか、自分でももうわからない。
気づけば太陽は傾き、応接間の壁に夕陽が滲んでいた。
「……終わった……?」
しらたまがへたり込んだそのとき、ようやくカメリアが軽やかに鞄を閉じた。
「これで明日には仕上がりますわ。ではまた」
さらりと一礼して帰っていくカメリアの背に、なぜか敬礼したくなる。
部屋には、気づけばセージとヴァルターの二人だけが残っていた。
「ルーベンは?」
「中央図書館だよ。君がひぃひぃ言ってる頃に、しれっと出かけてた」
「くっ……!」
体中に重みが残る中、しらたまは、今日一日で感じたことを口にする。
「貴族の女性って……すごいね……」
「そうだろう?あの優雅な立ち振る舞いの裏には、見えない努力があるんだ。
でも――君はとてもよく似合ってたよ、白き星の風よ」
しらたまが唯一、心から「かわいい!」と思えたドレスは、
清らかな白のプリンセスライン。
柔らかく透きとおるようなレースに、ほんのりと淡色の刺繍があしらわれていた。
鏡の中の自分を見たとき、少しだけ――
“異世界に来たしらたま”じゃなく、“この世界の女の子”としての自分が、そこにいた気がした。
「とっても気に入った!!」
笑顔でそう答えるしらたまに、ヴァルターが指を立てて言った。
「よし、なら――明日は歩き方の練習だね」
「…………え?」
──翌日。
しらたまの悲鳴が王都リース家に響き渡ることとなる。
* * *
「背中は舞い上がる風のように。動作はしなやかに。視線は常に前を向いて」
ヴァルターの声は、いつも通り穏やかだった。
しかしその指導は、容赦という言葉から最も遠い場所にある。
「そこ、踵が外を向いてる。重心が逃げてるよ、白き星の風」
「ううう……」
しらたまは泣きそうになりながら、ヒールの足元を見下ろした。
練習用のドレスは贅沢に重く、コルセットは姿勢を崩すことを許してくれない。
何度もくり返し練習し、ようやく「よし」と言われたころには、
足は棒になり、背中は筋肉痛の前兆をきしませていた。
「……終わった……?」
だが、地獄はまだ終わっていなかった。
今度は無言のメイドたちに連れられ、風呂へ向かうしらたま。
癒されるかと思いきや――
肌を揉まれ、爪を整えられ、髪は香油で丁寧に撫でられる。
あまつさえ香草の湯に肩まで沈められて、何度も姿勢を正されるという徹底ぶり。
「出陣前って、こういう気持ちなんだ……」
と、しらたまは思った。
戦に赴く将のような覚悟を、まさか風呂場で知ることになろうとは。
「お好きな香りはありますか?」
ふとメイドが問うたその声に、しらたまは少し迷ってから答える。
「……プリアリス、です」
「承知いたしました」
香油の柔らかな香りが部屋に漂う。
メイドたちはしらたまの髪をふわりと結い、丁寧に寝巻へと着替えさせた。
──気づけば外はすっかり夕暮れ。
夕食を終え、部屋に戻ったしらたまは、
ふと、机の上に置かれた香炉へと視線を移した。
――そうだ、あれ。
ヴァルターが贈ってくれた、青い宝石の香炉。
あのときは嬉しさが先立って、きちんと焚いたことがなかった。
スウィリアの花の乾燥サシェを入れ、火をつけて、
そっと香炉の蓋を閉じる。
すると、ふわりと――
静かな、まるで風のような香りが部屋に立ちのぼる。
「……あれ……」
目を閉じたしらたまの脳裏に浮かぶのは、
小さな宿屋《風見草亭》。
にぎやかな食堂、ミーナの笑顔、クラリッサの紅茶。
ランドの渋い声、マーリエの優しさ――
ルーベンが黙って読んでいる分厚い書物の存在すら、愛おしく思えた。
「……なんで、こんなにはっきり……」
香りだけではない。音も、色も、空気の気配までもが、
胸の奥に静かに届いてくる。
(祈り、みたい……)
香りと共に運ばれてくる記憶は、まるで小さな祈りの光のようだった。
きっとこれは、単なる香炉じゃない。
しらたまの心に灯った“何か”が、それを教えていた。
けれど今は、まだその意味を言葉にできない。
「……うん、大丈夫」
そう小さく呟いたしらたまは、ベッドに身を沈める。
香りがゆっくりと部屋を包み、瞼を優しく閉じていった。
そしてその夜。
しらたまの胸の奥に灯った微かな祈りは――
またひとつ、新しい風を、この世界に吹かせ始めていた。




