第十二話「白の占い師と、王都の風」
石畳の道に蹄の音が響いた。
ラセルナから三日かけて旅を続けた一行は、ついに王都――ポリャンナの城門をくぐった。
「わあ……」
しらたまは思わず声をもらした。
ラセルナとは空気が違う。目に映るすべてが、どこか洗練されている。
高くそびえる石造りの建物、整然とした通り、行き交う人々の着る服もどこか上品だった。
ラセルナにも貴族はいた。だが、ここでは貴族が“存在する”のではなく“在るべくして在る”とでもいうような、そんな揺るぎない気配が街に満ちていた。
そして市井の人々も、負けてはいなかった。活気にあふれているが、商いの声は耳に心地よく、無駄な騒がしさがない。まるで街そのものが、ひとつの楽団のようだった。
「ようこそ、白き星の風よ。ここがポリャンナ王都――風の交わる場所さ」
先頭を歩くヴァルターが、笑顔で振り返った。
「ここは王都の中でも、特に楽しい風が集まる場所。気に入ったかい?」
「うん、楽しい!」
しらたまは迷わず頷いた。
ふたりは顔を見合わせて笑い合い、そのまま市場の方へと足を進めた。
王都の一角、市場ではちょうど露店が立ち並び、人々の声が飛び交っていた。
地面には丈夫そうな布が敷かれ、木の枝で簡素に組まれた布のテントがいくつも並ぶ。
重石には見たことのない、灰紫色の石が使われていた。
「ドワーフだな、あれは」
横でルーベンがぽつりと呟いた。視線の先には、ずんぐりした体格の背の低い人々がいた。
「昔は山岳の炭鉱に籠ってたが、今は出稼ぎでこうして市に出てくる。道具の扱いに長けていて、交易の現場では重宝されてる」
「へえ……なんだか、見たことない人がいっぱいいる……」
冒険者らしき一団、異国の装束に身を包んだ商人、そして耳の尖ったエルフ風の人物まで。
王都は、多種多様な人と風が交わる“交差点”なのだとしらたまは実感した。
やがて市場を抜け、街の奥――広い街路へと足を進めると、空気が急に変わった。
静かで、澄んでいて、どこか張り詰めたような気配。
「あ、ここ……なんか、ちょっと違う……」
「うん、ここは貴族の住居区だよ。品位を守るために、街の一角にきっちり分けられてるんだ」
ヴァルターが言いながら、片手で肩にかけたリュートの位置を直した。
重厚な門、整えられた庭園、見上げるほどの石造りの邸宅。
しらたまは思わず背筋を正してしまう。
「……ここだよ」
ヴァルターが立ち止まり、大きな屋敷の前に立った。
リース家――王都でも名の知れた旧家のひとつ。その門の前に、彼は何のためらいもなく呼び鈴を鳴らした。
しばらくして現れたのは、年配の執事風の男性だった。
「ヴァルター様!?……ご、ご帰還のご予定など、事前には……!」
驚きと困惑が入り混じったような表情で、早口に応対する執事。どうやら、まったく連絡を入れていなかったようだった。
「ふふ、風にまかせた帰郷でね」
ヴァルターはいつも通り、涼しい笑顔でかわす。
「……まったく、相変わらずお変わりない……。メイド!お客様を応接室にお通しなさい!」
そう指示を飛ばすと、奥から柔らかな身なりのメイドが現れた。
「どうぞ、こちらへ」
しらたまとルーベンはその案内に従い、屋敷の中へと足を踏み入れていった。
応接室の扉が開かれると、そこは想像以上に落ち着いた空間だった。
壁には織物、棚には陶器や古書。窓から差す陽の光さえ、柔らかく感じられる。
「……すごい……」
しらたまは小さく呟いた。
異世界に来て、もうすぐ一ヶ月半。
その歩みは確実に、新たな地へと進んでいた。
そして今、また新しい物語の扉が――音もなく、静かに開かれようとしていた。
応接室の中には、香のような静けさが流れていた。
優雅な装飾、窓辺の花瓶に活けられた花の香り、そして少し硬いソファの感触。
しらたまはルーベンと並んで腰かけたまま、ふと壁掛けの時計に目をやった。
その時だった。
「……ヴァルター様!?いきなりとは……!」
「だって、言ったら逃げられるだろう? 兄上も父上も、硬いからなぁ」
廊下の向こう、閉ざされた扉の奥から聞こえるのは、誰かの大きな声とヴァルターの軽やかな返答。
しらたまは目を丸くし、ルーベンは無表情のまま「やはりか」と小さく呟いた。
やがて、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、厳しい雰囲気を纏った男性。
銀の差し色が入った執務服に身を包み、整えられた髭と鋭い眼差しが印象的な人物だった。
「大変お待たせして済まない。話は息子から聞いている」
低く落ち着いた声。その人物こそ、リース伯爵家の当主、オリバー・リースであった。
「君が錬金術師見習いのルーベン・カリスト君。そして、そちらが……モモセ・シラタマさんだね?」
ふたりは立ち上がり、慌てて頭を下げる。
「はい……あの、しらたまです」
「……カリストです」
「遠路はるばるようこそ王都へ。まずは歓迎しよう。ここではゆっくりしていってくれたまえ」
そう言って座ると、メイドが運んできた銀のティーセットから湯気が立ちのぼった。
淡く華やかな香り――ラセルナでは決して味わえない、香り高い紅茶だった。
(……おいしい……)
しらたまはそっと一口飲んで、思わず顔をほころばせた。
その様子を見て、オリバーがにこりと上品に微笑む。
「気に入っていただけたようで何よりだ。うちで扱っている茶葉の一つだよ。商都ウォールナットとの取引でね」
その言葉に、しらたまもルーベンも納得する。
リース伯爵家は王都でも有数の物卸問屋を中心とした流通業を営む家柄。
各地の商人や行商人と独自のルートを持ち、王国の経済の裏側を担っていると言っても過言ではない。
「……どうりで、あのヴァルター様が自由人なのも納得です」
ルーベンの小さな呟きに、オリバーは肩をすくめるように笑った。
「まったく、私の若い頃にも似ていたが……。さて」
空気がわずかに変わった。
「しらたまさん。あなたが“ギフト”の持ち主であると聞いたが、どのような力なのか、聞かせてもらっても?」
思わぬ問いに、しらたまは言葉に詰まった。
「えっと……わたし……そんなたいしたことは……」
視線を泳がせていると、横からルーベンが静かに口を開いた。
「……よろしければ、私からご説明いたしましょう」
「うむ、頼む」
オリバーがうなずくと、ルーベンはまっすぐオリバーの方を向いて語り出した。
「しらたまの力は“占術”を媒介とする予見能力です。ただし、それは単なる偶然ではありません。
本人が明確な問いに対して、未来の出来事や選択肢を“読み取る”ように伝えています。
また、占いの言葉そのものに、人の心を安定させる影響があります。おそらく、言霊のような……一種の精神的な作用でしょう」
「……つまり、未来を見通し、人の心を癒す……?」
「理屈だけ聞けばそうなります。ただ、これは“見ようとして見ている”わけではないのです。
あくまで彼女の内側を通して“何かが示されている”。そんな印象を、私は受けました」
それを聞いてもなお、しらたま本人はぽかんとしたままだった。
「……え、わたし……そんなすごいことしてた……?」
「その通りです、シラタマさん。ご自身の自覚とは別に、あなたは非常に稀有な存在です」
オリバーは静かに言った。
そして、真剣な眼差しでまっすぐにしらたまを見つめる。
「それが本当なら――あなたは、とても危うい立場にいる。
利用される恐れがある。……だからこそ、我が家で責任をもって、保護させてほしい」
その言葉に、ルーベンがほっと息を吐いた。
「ありがとうございます、伯爵様」
だが、しらたまの表情は曇ったままだ。
「……あの、私……」
「どうした?」
「……わたし、ラセルナに……帰りたいんです。風見草亭に……帰りたくて……」
ぽつりと漏らしたその言葉に、オリバーは少し驚いたように目を見開き、
すぐにふっと穏やかな微笑みに変わった。
「……ふふ。君は本当に、あのヴァルターに似ているな」
「え?」
「安心しなさい。ラセルナにも、我が家の“伝”がある。そちらで暮らすことも不可能ではない。
息子も、きっとそのつもりだったのだろう。――そろそろ満足したようだしね」
そう言って視線を窓の外に向けた。
そこには、相変わらず風に髪をなびかせてリュートを爪弾いているヴァルターの姿があった。
「王には私から伝えておこう。大丈夫。あのお方は、民を第一に思う賢王だ。恐れることはない」
しらたまはその言葉に、初めて胸の底から安堵の息を吐いた。
(……大丈夫。ここでも、誰かがちゃんと見てくれてる)
風は、そっと揺れていた。




