第九十八話「乙女の会談」
アロマティアの朝は、今日も澄み渡っていた。
風は静かに街を撫で、祈りの香が微かに揺れる。
白い窓辺に立ったしらたまは、そっとスウィリアの香を焚き、
静かに目を閉じて深呼吸をした。
「よし、今日もいい天気!」
階下に降りると、すでにマーリエとランドが朝食の準備を整えていた。
「おはようございます、マーリエさん、ランドさん」
「おう」
「おはよう、しらたまちゃん」
ほっとする朝のやりとり。
ミーナが顔を覗かせて「パンのおかわりあるからいっぱい食べてねー!」と笑う。
しらたまはその言葉に感謝しながら、温かなスープとパンを口に運ぶ。
食事を終える頃、階段を降りてきたルーベンとすれ違う。
「おはよう、ルーベン」
「ああ。おはよう」
支部への道すがら、花に水やりをするポピーや子どもたちとすれ違う。
「しらたまお姉ちゃん、おはよー!」
「うん、おはよー!」
市には活気があり、露天商が品を並べる音、
呼び声、そして住民たちの挨拶が街に生命を吹き込んでいる。
「しらたまちゃーん、おはよー!」
「おはようございます!」
「祈り人さん、おはようさん」
「おはよう、ジェーンさん」
「しらたまちゃん、これ持ってきな!」
「ありがと!」
アロマティアの朝は、祈りの風と共に始まる。
この場所で生きる人々のあたたかな暮らしが、
しらたまの背をそっと押していた。
支部に着くと、すでにメープルが書類整理に取りかかっていた。
「おはよう、しらたま姉ちゃん」
「おはよう、メープル! 相変わらず早起きだね」
風花、王都、農村から届いた文書に目を通しながら、丁寧に仕分けていく。
作業を終えると、ルアーの準備へと移る。
スウィリアの香が静かに立ち上り、空間を祈りの静寂で包み込む。
しらたまは胸元に手を置き、そっと祈りの気を整える。
「よし、今日も大丈夫」
そこにヴァルターが現れた。
メープルの「遅いぜ支部長!」という元気な声が外から聞こえる。
「ごめんね、朝から厩の状況視察に行っててね」
「厩がどうかしたの?」
「うん、来訪者が増えてきていて、来客用の厩が足りなくなってきてるんだ」
アロマティアは、着実に“祈りと癒しの街”として広がっていた。
午前中のルアーは静かだった。
午後、ヴァルターが外回りに出て行くと、
話し相手を求める年配客がふらりと現れるが、
メープルが「仕事の邪魔!」と追い返してしまう。
と、そのとき――
ふわりと、花の香りが支部に漂った。
「お邪魔するわねぇ~」
ひときわ華やかな声が響く。
現れたのは、薔薇のように麗しき勇者
――クラウス・ディアフォルスだった。
ぎくりとするメープルをよそに、しらたまは笑顔で尋ねた。
「どうかしましたか?」
「あなたに会・い・に・来・た・の!
一緒にお茶しましょう、しらたまちゃん♡」
支部の談話室に香茶が用意されると、
クラウスはカップを手にとり、目を細めた。
「ん~まぁ!なんていい香りのお茶なのぉ!
これが噂の香りのお茶なのねぇ!」
「喜んでいただけてよかったです」
しらたまはほっと息をつく。
「この街はいいわね。人も街も、生き生きしている。
空気は澄んでいて、癒されるわ」
窓の外に視線を向け、クラウスは微笑む。
「それもきっと、しらたまちゃんが変えたことなんでしょうねぇ」
「そう……ですかね?」
どこか照れたようにしらたまが頬を染める。
「祈りってね、空気を変えるの。人の心も、世界の流れさえも……。
この街には、あなたを中心に祈りの風が吹いている気がするわ」
クラウスの眼差しは、優しく、強く、そして母のように包み込んでいた。
「私ができることは、祈ることだけです……」
しらたまは、あの戦いを思い出す。
焼けるような叫び、壊れていく人々、闇の中で祈った鎮魂の風。
「……とても、怖かったです。
でも、だからこそ……強くなりたいと思いました」
「それは、きっと大切な誰かがいるからよ」
「……え?」
しらたまは思わず問い返す。
「人はね、好きな人のためなら強くなれるの。
それは、男も女も関係ない。
好きな人のためになら、どんな努力もできるものよ」
「クラウスさん……好きって……なんでしょう」
一瞬、驚いたように目を丸くするクラウスだったが、やがて目を細めて笑った。
「そうねぇ……今のあなたに言うなら、
“どんな時でも隣にいたい”って思える気持ちじゃないかしら」
「隣に……居たい……」
「そのために努力する。それはもう立派な“恋”よ」
「……私、逃げないって決めてたのに、逃げそうになってました」
「逃げるのは悪いことじゃないわ。逃げてきた道も、あなたの歩んできた道よ」
「今からでも、大丈夫でしょうか」
「ええ、今だからこそ始まるのよ」
ふわりと笑うクラウスの声が、まるで春風のようにしらたまの心を撫でた。
カップを置き、クラウスは立ち上がる。
「さてと。お茶、美味しかったわ。じゃあ、行くわね」
「え?どこに?」
「あたくしを必要としてる場所よ♡
大丈夫、また南側のお仕事が入ったら、ここを拠点にさせてもらうわ。
だって――あなたたちがここにいるんですもの」
しらたまは微笑んで見送った。
「……お気をつけて」
「がんばりなさいっ! また悩んだら、相談乗ってあげるわ♡」
クラウスが去ったあと、ルアーの空間には淡く花の香りが残っていた。
それはまるで、ひとつの答えと勇気のしるしのように、しらたまの胸にそっと灯っていた。




