第十話「風の語り部と白き星の夜」
夜の風見草亭。食堂の灯りはやわらかく、
木の梁に吊るされたランプの明かりが、机に並ぶ食器を淡く照らしていた。
いつもなら皆でわいわいと食事を囲む時間だが、今夜は少しだけ、空気が違う。
テーブルには、しらたま、ランド、マーリエ、
そしてなぜかルーベンが静かに腰掛けていた。
リュートを抱えたヴァルターは、窓際の椅子に腰かけて、
ぽろん……と音を鳴らしながら語り始める。
「僕は、王都に本家を構えるリース家の次男。ヴァルター・リースだよ」
「えええ!?」
しらたまの声が裏返る。
「まさかの貴族……」
「まさか、でも、確かにねぇ……」とマーリエは苦笑する。
「家族は……まぁ、僕の放浪癖を諦めて自由にしてくれている。
ありがたいことだよ」
窓の外で風が揺れる。
リュートの音がぽろん、とかすかに夜に溶ける。
「さて、ギフトというのはね、“神から贈られる恩恵”のことを言う。
先天的なものもあれば、ある日突然現れるものもある。
魔法とは違って、非常に希少で、特別なんだ」
ルーベンが眉間にしわを寄せて小さくうなずく。
「確か……保護対象だったな?」
「そう、ルーベンの言う通りだよ。ギフト保持者は保護の対象。
だがそれだけじゃない。“契約”と“義務”が伴う」
「……義務ってなんですか?」
しらたまが恐る恐る尋ねる。
「王国に登録する義務があるんだ。名を記し、
身分を保証されることで、犯罪や搾取から守られる。
その代わりに、時として王国の命令に応じなければならないこともあるけれどね」
「え、なにそれこわっ」
「……正しい反応だよ、白き星の風よ」
ぽろん……と弦が鳴る。どこか軽やかで、しかし含みのある音。
ルーベンが口を開いた。
「つまりこいつは、王都に行かなきゃならないってことだな」
「えっ……あっ、そうか……!」
しらたまはスプーンを持ったまま固まった。
「うん、できれば僕も行きたくはないんだけどね……。
でも、白き星の風のためなら、ひと肌脱ごうじゃないか」
ルーベンが呆れたように言う。
「実家あるんだろ? いいじゃないか、ちょうどいい帰省だ」
「……複雑な風が多くてね、気分が良くないのさ」
ぽろん。窓辺の風が揺れるたびに、リュートの音が寄り添う。
マーリエが心配そうに顔を覗き込んだ。
「しらたまちゃん、大丈夫かい? こんな急に……王都なんて……」
「だい、じょばないけど……やらないといけないみたいだから、やります!」
しらたまは不安げな笑顔で拳を握る。
ランドが静かに頷いた。
「準備は、しといてやる」
「ありがとうございます……!」
しらたまの声は少しだけ震えていたが、しっかりと前を見ていた。
ランプの灯りがゆらりと揺れる。
夜は深まり、皆はそれぞれの部屋へと戻っていく。
そして──
窓の外、空にはいくつもの星が浮かんでいた。
白き星が、静かに瞬いていた。
ぽろん……
静かな朝。
その音色は、空気を震わせるようにやさしく響く。
風見草亭の裏庭。朝露をまとった草木の向こうから、リュートの音が流れてくる。
「えっと、着替えと非常食、水筒と……」
部屋の中ではしらたまが荷物の最終確認をしていた。
慣れない世界での旅支度。
必要なものはメモして、昨夜のうちにほとんど準備は済ませていたけれど、
やはり何度でも確認してしまう。
「……忘れ物、なし。よし!」
そう言って、いつもそばに置いている占い一式をそっと手に取る。
白い布に包まれたタロット。あの星のカードも、そこにある。
「これで完璧!」
気合いを込めて立ち上がると、しらたまは一度深呼吸をして部屋を後にした。
階下へ降りると、食堂にはもう朝食が用意されていた。
木のテーブルの上には、マーリエ特製のパンと野菜のスープ。
湯気の香りが、緊張していた気持ちをほぐしてくれる。
いつもの席につき、小さく手を合わせる。
「いただきます……」
その一言は、異世界でも彼女が決して忘れなかった、日本での習慣だった。
――感謝を込めた、たったひとつの言葉。
ゆっくりと食事を終え、風を感じたくて外に出る。
そのとき、リュートの音がまた耳に届いた。
ぽろん……
「……あれ?」
庭の前でリュートを奏でるヴァルターの隣には、なぜかルーベンの姿もあった。
分厚いカバンを肩にかけて、いつも通りの無表情で立っている。
「え、ルーベンも行くの?」
「後学のためにな。王都なんて簡単に行ける場所じゃないだろ」
言われてみれば、その通りだ。
ラセルナから王都までは馬車で三日。
宿場を渡り、街道を越えて、ようやくたどり着く長い旅路。
「そっか……うん、わたしは構わないよ」
しらたまは笑ってうなずいた。
「学びも、美しい風だからね」
ぽろん……
ヴァルターの指がまた弦を撫でる。
風が少し吹いた。今日の風は、少しだけ新しい匂いがした。
「おやおや、いよいよお出かけかい?」
背後から聞こえたのは、マーリエのやさしい声だった。
ふと振り向けば、いつもの優しい笑顔に、ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。
「しらたまちゃん、これ持っていきな」
差し出されたのは、スウィリアの花を乾燥させて作った小さなサシェ。
ほのかに香るその匂いが、胸の奥をすうっと撫でていく。
「魔除けと、旅のお守り代わりさ。……困ったことがあれば、風に話すといいよ。
ちゃんと、帰っておいで」
「……はいっ」
しらたまは思わず涙が出そうになるのをぐっとこらえて、強くうなずいた。
その後ろから、ランドが無言で荷馬車の手綱を引いてくる。
顔はいつもの仏頂面。でも、どこか目が優しい。
「荷はもう積んである。川沿いの分かれ道まで送る」
「ありがとうございます、ランドさん!」
「……気をつけろよ」
たった一言だけ。
でも、その一言が、なにより温かかった。
ルーベンが荷台に無言で乗り込む。
ヴァルターはリュートを背に担ぎながら、馬車のわきで詩的に笑う。
「さあ、白き星の風よ。これからの旅は、どんな物語になるかな?」
「うぅ……もう、からかってるでしょ……」
苦笑しながらもしらたまは馬車に乗り込む。
振り返れば、風見草亭の玄関に、マーリエとランドが並んで立っていた。
その背に、ミーナの姿も見える。
今日はパン屋の休みなのだろう、エプロンのまま手を振っている。
「いってらっしゃーい!絶対また帰ってきてねー!!」
馬車がゆっくりと動き出す。
風が頬をなでて、太陽がきらきらと道を照らす。
「……うん、絶対、帰ってくる」
しらたまはそう小さく呟いて、光の差す方へと、前を向いた。
ルーベンは相変わらず分厚い本を読んでいる。
しらたまは慣れない馬車の移動ですでにお尻が痛い。
「うう……馬車ってこんなに揺れるんだね……」
「しらたまの世界にはないのか?」本を読みながら尋ねるルーベン
「ないわけじゃないんだけど……ってしれっと言ってくるねルーベン」
「彼は星の導きを読めるからね」
ぽろん……とリュートを弾きながら答えるヴァルター。
「そんなたいそうなものじゃない。ちゃんと論理に基づいた結果だ
お前だってあの話は知ってるんだろヴァルター」
ヴァルターはぽろん……とリュートを弾くのみで答えは返さない。
しらたまだけ置いてけぼりである。
「え、なに?なんのはなし?」
ぽろろん……
ヴァルターが歌いだす
星の詩 − ひかりの落とし子 −
夜空を裂きて落ちくる光
はるかなる時の向こうより
願いを抱いてこの地に降り立つ
それは、神々の指先よりこぼれた煌めき
命を宿す“流れ星”
その光、世を照らし
願う心に寄り添いて
いずれ世界を結びなおす
――祈りのうたを、風が運ぶ
白き星の子よ、いま目覚めのとき――
しらたまが「流れ星?」と聞くと、
ルーベンは読んでいた書物から目を離ししらたまに答える。
「簡単に言うと時空間の歪みから落ちてきた”落とし子”。
異世界の人間のことだ。それがこの世界では伝承で残ってる」
驚きのあまり言葉が出ないしらたま
つまり、この世界には多くはないが異世界から
ここに飛ばされる人間がいるということだ。
「この国、ポリャンナ王国ではとても珍しいことだから
知らない人も多いのだけどね」
ヴァルターがリュートを鳴らしながら答える
「よその国では、十年に一度の頻度でくることもあるんだよ」
「ヴァルターはほかの”流れ星”に会ったことがあるの?」
ぽろん……
「いや、会ったことはないよ。僕が許されているのは国内のみだからね」
一応、貴族のヴァルター。行動制限が架されているようだ。当然である。
しかし、それは今後、同じ世界の人間に会えるかもしれないということ。
そう思うと少し希望が持てるような気がした。
「お尻は痛いけど、前を向いていかなきゃね」
そうつぶやくしらたまをふたりは優しいまなざしで見ていた。
ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ
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