第九十四話「終わりと静寂」
「わぁ!すごい!ほんとに飛んできた!さすがに予想の斜め上だよ!」
最上階の謁見室に風が巻き上がり、ヴァルターたち三人が駆け込むと、
ランスーンは無邪気に手を叩いてはしゃいでいた。
「お前が……ランスーンだな」
ヴァルターの声音は鋭く低い。
「お兄さんも名前にこだわるタイプ?
名前なんて、どうでもいいじゃん。
ねえ、せっかくここまで来たんだからさ! 僕と遊ぼうよ!」
「遊び……? なにいってんだ?」
環が低く呟く。
「下の惨状を考えろ……どう考えても“遊び”なんて言葉が通じる相手じゃない」
ルーベンの声が冷たくなる。
「さあ、歓迎するよ!」
そう言った瞬間、部屋の奥から現れたのは、よろよろと歩く死霊だった。
「この子はね、元は魔術師だったんだ。
でも僕に逆らったから、“二度と逆らえないように”してあげたんだ。
かわいいでしょ?」
「……ふざけるなっ!」
ヴァルターが一閃するが、死霊の魔力に攻撃は弾かれる。
しらたま達はたちまち追い詰められていった。
ルーベンはしらたまの拘束具に取り組んでいる最中。
「くそっ、鍵が……妙に巧妙に作られてる……!」
「ルーベン、がんばって!」
しらたまの声に応えるように、ガチャンと金属音が響く。手錠が外れた。
しらたまは、深く息を吸い、祈りを捧げた。
「――浄化して。お願い……!」
次の瞬間、部屋を包んだのは光の風。
死霊の体が光に包まれ、ゆっくりと塵へと還っていく。
「ははっ! これが祈りの風!? すごい!
やっぱりしらたまちゃんは僕のものにしたいなあ!!」
ランスーンはなおも笑う。
そのとき――
外から、悲鳴が響いた。
キメラが、軍陣へと迫っていた。
「ど、どうしよう!!」
しらたまが青ざめる。
「いいねえ!!このまま突っ走って、ぜーんぶ壊しちゃえー!!」
ランスーンが両手を広げて叫ぶ。
「環、その魔力増幅装置――使ったか?」
ルーベンの声が鋭い。
「一度もだ!」
「そのまま、しらたまに渡して!」
「わたし……どうすれば?」
「その腕輪に、祈りを込めて。それだけでいい。それだけで、きっと届く」
ヴァルターが振り返る。
「しらたま、お願いできるかい?」
「――うん!!」
しらたまは祈る。
その手の中で、風が集まる。光が満ちてゆく。
祈りは、風となり、波紋のように広がっていく。
聖域の塔を超え、キメラの元へも、光の風が届いた。
「な、なんだこれは……」
フランキンセンスが呆然と呟く。
「この魔力……知らない。記録にない……」
バニラが顔を上げる。
「風が……心に触れてくるようだ……」
カルヴィンまでもが言葉を失う。
「――聖女か」
ユリウスが静かに呟いた。
キメラを包む風は、やがて光の粒となって王都中に散っていく。
そこに、もはや怪物の影はなかった。
「やった……やったよヴァルター!」
「……うん。やっぱり、しらたまはすごいよ」
その安堵も束の間、環が叫ぶ。
「あ? おい、あいつ……どこ行きやがった!?」
「……チッ、逃げたか」
ルーベンが悔しげに睨んだ。
しらたまの唇が揺れる。
「……リズさん……」
場所は変わり、とある国の廃教会。
「うん、それなりに面白かったかな!」
そう言って、ランスーンは両手を広げて無邪気に笑った。
「主様がそう仰るならば」
リゾナンスは変わらぬ無表情で跪く。
「リズはどうしたい?」
「わたくしの願いは、主様の願い。個人の願いなど、とうに捨てております」
「相変わらず、つまんないなー」
そこに、司祭マロウが姿を現す。
「ランスーン殿下」
「やあ、マロウ。場所の手配ありがとー」
「恐れ入ります。貴方様こそ、この世の“支配者”となるお方」
「そうそう。だって僕は、この世の王となるんだから――!」
ランスーンはその手を広げる。
まるで、神の啓示でも受けているかのように。
けれどその姿は、どこまでも“狂気”に塗れていた。
死の静寂が王城を包んでいた。
足を踏み入れた瞬間、ヴァルターは眉を寄せ、空気の重みに思わず息を止めた。
「……ひどいな」
環がぽつりとこぼす。
廊下のそこかしこに、倒れたままの兵士や使用人。
そのどれもが、外傷も少なく、不自然な死を遂げていた。
「毒……か、それともギフト……」
ルーベンが低く呟く。
「ランスーン……あるいは、その手の者だろうな」
セージが険しい表情で先導する。
奥へと進んだ玉座の間には――かつて“王”だった男が、虚ろな目を開いたまま椅子にもたれていた。
「この男は……」
ユリウスが静かに言葉を漏らす。
「どんな気持ちで、この世を去ったのだろうな……」
それは憐れみか、皮肉か。
もはや“王”とは名ばかりでしかなかったこの国の象徴の最後は、あまりに静かすぎた。
しばらくの沈黙を破って、アピオスが一歩前に出た。
「今回は、本当に……助かった。礼を言う。ありがとう、ポリャンナの者たちよ」
「あなた方は、これからどうするつもりですか?」
ヴァルターが問いかける。
「残された民を集め、少しずつ洗脳を解いていく。
それが、俺たち解放軍の本当の仕事だと思っている」
「地道で……果ての見えぬ戦いですね」
しらたまの言葉に、アピオスは小さく笑う。
「だが、ようやく始められる。祈りが通じる場所にするさ」
「この国は……どうなるんですか?」
しらたまがユリウスを見上げて尋ねる。
「――事実上の“消滅”だろうな。」
ユリウスは、淡々と答えた。
「いや……とっくに滅んでいたのかもしれん。幻想だけが残っていた国さ」
セージが深いため息をつく。
「支配権はポリャンナになります。……つまり我々の仕事が増えます」
その言葉に、一同の肩がふっと緩む。
「とりあえず――帰ろうぜー!」
環の声が軽やかに響いた。
「だな」
ルーベンが頷く。
「わぁい! ふねだー!!」
しらたまの無邪気な声に、皆がつい笑ってしまう。
その笑顔に見送られながら、ヴァルターたちは解放軍と握手を交わし、出航の準備を整えた。
* * *
「聖女様! 今度ぜひ、能力測定をさせてください!」
バニラが前のめりに言う。
「聖女様、ぜひ、浄化力の魔力値も測定しましょう!」
フランキンセンスも眼鏡を押し上げながら真剣だ。
「え? えっ???」
戸惑うしらたまを見て、ヴァルターが笑う。
「ははは。あまり僕の契約者を困らせないでくれるかい?」
「……やっと、戻ってこれたな」
ルーベンが空を見上げてぽつりと呟く。
「だな!」
環が笑う。
平穏とは言い難い帰路ではあるが、
それでも――船は、確かにポリャンナへと帰っていく。
風に乗せられて響く笑い声。
その中には、深い安堵と、次なる希望が宿っていた。