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第九十二話「絶望の国」


 地面がうなり、空が叫ぶ。


 王都バオリナの外縁。

 かつて賑わいを見せていたその門前は、

 今や瓦礫と血と、死の匂いに覆われていた。


「くそっ、ほんとにキリがない……!」


 ヴァルターの風が、血に濡れた路地を何度も切り裂いた。

 だが、倒れても、倒れても――また立ち上がる者がいる。


「俺、段々こいつらが“人”に見えねえよ……!」

 環が咆哮とともに、ハンマーを地面へ叩きつけた。

 大地が揺れ、前線のアンデッドが吹き飛ぶ。


「だろうな!もうただの魔物だ……!」

 ルーベンが錬金術で編んだ金属の鞭を振るい、

 貧民とアンデッドの群れを食い止める。


 貧民たちの目は虚ろで、まるで意志がない。

 その中に混じるのは、明らかに“既に死していた”者たち――アンデッド。


「こんな……! これが、これがこの国のやり方なのかっ!」


 ヴァルターが叫んだそのとき、

 ポリャンナの旗の下に集う兵たちも、無言で歯を食いしばっていた。


 この戦いには“希望”がない。


 ただ、正気を失った群れを葬るだけ――

 祈りの届かない“絶望の国”での戦いだった。





 王都城内・地下牢


 一方その頃、しらたまは、ランスーンの不在を突き、

 奴隷として拘束されていたギフト所持者たちのもとを訪れていた。


「……わたしの声が、届きますか」


 彼女の掌から、薄く淡い光が零れ、風が優しく吹いた。

 それは“祈り”の風――しらたまのギフト。


 一人、また一人と、その光に触れた者たちの目が潤いを取り戻していく。


「……わたし……あの人に……殺されると思ってた……」

「ありがとう……聖女様……」


 やがて、しらたまの祈りの風は、鉄格子の奥にいた一人の女性へと届いた。


 その者の名は――リゾナンス。


 理知的な目元に、深く刻まれた疲弊と、微かに宿る光。

 しかし、彼女は祈りを跳ね除け、はっきりと首を横に振った。


「たとえ、使い古され壊される運命だとしても――

わたしは、“あの方”に着いていきます」


「どうして……?」

 しらたまの声は、震えていた。


「あなたは、正気を保ってる。自由になれるのに。なぜ……?」


 その問いに、リゾナンスは静かに微笑んだ。


「……これが、わたしの“自由”なのです」


 囁くように、しかし揺るぎない声だった。


 しらたまは、その言葉の奥に、深く根付いた“依存”と“信仰”の影を見る。

 祈りの風だけでは救えない心が、そこにあった。




 太陽が地平へと沈み、あたりは橙から藍へと移ろい始めていた。

 戦いの余熱はまだ地面に残り、鉄と肉の匂いが鼻を刺す。


 バオリナ王都の目前。

 かつて門前町と呼ばれたその一帯には、今、死と敗北の気配だけが漂っていた。


「……ありがとう。我々の区域まで、浄化をかけてくれて」


 アピオスの礼に、フランキンセンスは肩をすくめて答えた。


「状況が状況だ。敵味方など問う余裕はない。

それに、亡骸が再び“敵”になるなど……こちらとしても御免被るのでな」


 周囲では、魔術師団の最後の浄化魔法が、淡く金色の光を放っていた。

 それはまるで、長い戦いの終わりを静かに告げる灯火のようだった。


 ヴァルターは、力なく足元を見つめていた。

 そこには、名前すら知らぬ誰かの腕――

 いや、“元”人間だった者の残骸が転がっている。


 環が小さく呟く。


「どういう思考してたら、こんな……。こんなもん、できるんだよ……」


 ルーベンが呆れ混じりに吐き捨てるように答える。


「加虐嗜好だろうな。それも、誰も止められないくらい狂ってるヤツだ」


 誰もが黙り込んだ。

 声も、怒りも、言葉すらもう出てこない。

 ただ“疲弊”が、その場にいた全員を等しく支配していた。


 やがて王都手前に、仮の拠点が設営された。

 魔術師団が再浄化を終えた後、

 再び死体が“動く”ことのないよう、亡骸は火にくべられる。


 ――そこに、しらたまの姿はない。


 けれど、ヴァルターはただ“居ない”だけでは済ませなかった。


 黙って両膝を地につき、両手を胸の前に組む。

 風が、ヴァルターの銀髪を揺らした。


「安らかに眠れ……」


 それは、いつも隣にいた占い師――

 “白の聖女”しらたまが口にしていた祈りの言葉。


 ひとり、またひとり。

 誰ともなく、周囲にいた者たちも、それぞれの仕方で頭を垂れた。


 炎が、亡骸を包み、風がその煙を高く攫っていく。

 そして、祈りの声は、黄昏の空に静かに溶けていった。




 翌朝、王都中央――

 ポリャンナ軍がたどり着いたその場所で、彼らは目を疑った。


 そこには、民が集っていた。

 老若男女、貧しき者も富める者も等しく膝をつき、

 中央の礼拝堂に向かって声を放っていた。


 だが、それは“祈り”ではなかった。

 祈りに似て、祈りでなく、

 言葉に似て、言葉ではない。


 まるで――呪詛のようだった。


「なん……だ、これ……」

 環の言葉は、かすれた息のように空気に溶けた。


「狂気……これがこの国の実像……?」

 ルーベンが震えながら答える。


「いや、聞いた話と、随分違う……」

 ヴァルターの眉間に皺が寄る。


「……匂いがするな」

 ユリウスがぼそりと呟く。


 直後、ルーベンが瞳を見開いた。

「……この匂い! エルドのと同じ……!!」


 環が憎悪のこもった目で吐き捨てる。

「あの毒鉱石か……!」


 次の瞬間、ヴァルターが手を翳して風を呼び、

 魔術師団が空間に清めの光を放つ。

 錬金術師団は即興で中和剤を展開し、黒い靄が徐々に晴れていった。


「何が目的だ……」

 セージが呟く。


「わからん。が、油断はするな」

 ユリウスの声は冷静だったが、そこに宿る怒気は明確だった。





 一方――

 しらたまは、ランスーンの“宮”と呼ばれる謁見の間にいた。

 その両手は冷たい手錠で拘束され、傍らには虚ろな兵士たちが並んでいた。


「ねぇ、聖女様。あんまりおいたはダメだよ?」


 朗らかな声。けれどその声色は、どこか空虚で。


「どうして、罪もない人たちにこんな酷いことをするんですか」


 しらたまの問いに、ランスーンは肩をすくめて答えた。


「退屈が嫌いなんだよ」


 その答えに、しらたまは言葉を失う。

 理解できない――ただそれだけの表情を浮かべる。


「わからないだろう?

生まれた頃から、何もかもが揃っていた。

誰もが僕を特別だと呼び、将来の王だと持ち上げる。

でも、それは全部“型どおり”だった。

上辺だけの称賛、心のない臣下、用意された未来。

そんなの、全部、退屈だよ」


 彼は続ける。

 瞳は、どこか遠くの“壊れた記憶”を見つめているようだった。


「でもね、ある日気づいたんだ。

“恐怖”って、面白いんだよ。

人の心って、ちょっと脅すだけで崩れるんだ。

壊れて、泣いて、叫んで、狂っていく――

それがもう、楽しくてさぁ!!

ゾクゾクするんだ!人形みたいに壊れていく姿って、最高に美しい!!」


 声を荒げ、両手を広げながらそう叫ぶ姿は、もはや人間のそれではなかった。

 しらたまは息を呑み、わずかに顔を背けた。


 ――この男には、祈りが届かない。


 その確信だけが、胸の奥で固く冷たく根を張った。


「主様、準備が整いました」


 そこに姿を現したのはリゾナンス。

 忠実な従者、けれども自我を宿す影。


「ああ、リズ。わかったよ。

そろそろこの地獄も――終わらせにいこうか」


「なにをする気ですか!」

 しらたまが叫ぶ。


 だがランスーンは、にこりと笑って応えた。


「いいものを見せてあげるから、しらたまもおいでよ」


 その笑みは――

 希望でも、救済でもなかった。


 ただ、祈りの対極にある“愉悦の歪み”が、そこにはあった。



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