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第九十一話「バオリナ共和国 王都攻防戦」


 炎と灰の匂いが漂う、乾いた風が吹く高台。

 そこからは、遠くに沈みゆく太陽と共に、

 ついにバオリナの王都の影が見え始めていた。


「ここが……最後の門か」

 ヴァルターが目を細める。


「大した守備でもないな」

 環が肩を回しながら前を見やる。

 王都を囲む外縁部、軍事的拠点と言うにはあまりに貧弱な柵と砦。


 すでにポリャンナ軍は、南側と東側から王都への道を封鎖していた。

 数日間の掃討作戦により、アーフラー教主導の精鋭部隊はほぼ壊滅。

 残るは王都の聖域のみ。


 圧倒的に優勢――そう誰もが感じていた、そのときだった。


「前方に動く影……!?」


 兵士のひとりが声を上げる。


 昼の日差しの中、城門からよろよろと歩いてくる影。

 ぼろ布を纏った老人のようにも見えたが、その数は次第に増えていく。


「民間人……か?」

 ルーベンが思わず前へ出ようとする。


「下がれ!!」

 鋭い声を上げたのはハイドレンジアだった。

 同時に、第一部隊の弓兵が即座に射出態勢に移る。


「撃て」


 その指令とほぼ同時に、民間兵と思しき者の身体が膨張した。

 次の瞬間――


 爆音。


 地が裂け、肉が飛び、火と血が空を焼いた。

 あまりにも非人道的な“手段”に、一瞬、全軍の動きが止まる。


「人間を……使ったのか……」

 ヴァルターが震える声で呟いた。

 前に出ようとした足が、血に濡れた地面で止まる。


「ギフトか……薬か……いずれにせよ、やったのは奴らだ」

 ユリウスの声が、感情を押し殺したまま響く。


「……こんな戦い方で、何を守ろうというんだよ……」

 環の呟きは風に溶けた。


 それでも――


 制圧は完了した。

 王都外縁部の門は落ち、アーフラー教の武装勢力は完全に沈黙。

 残るは中央聖殿区域、ただ一つ。


 けれど誰も、勝利の声を上げようとはしなかった。


 火の海に立ち尽くす兵士たちの背に、バオリナの黄昏が静かに迫っていた。








「……この音は……?」


 重厚な石壁にこだまする轟音。

 しらたまは耳を澄ませ、身を震わせた。

 遠くから響く爆発と、金属のぶつかる音、断末魔の叫び。

 戦いが始まったのだと、理解するより先に――


「来たねぇ。やっと……やっと始まった!」

 ランスーン――"ラス"は子どものように歓喜した声を上げ、窓辺へと駆け寄る。


「ねえ、聖女様。聴こえる? これが“絶望”の音だよ。ずっとずっと、僕が待ってた音」


「なにを……したの……?」


 震える声で問いかけるしらたまに、ラスは首を傾げる。


「僕がしたんじゃないさ。僕の"友達"がやっただけ。……ほら、始まるよ?」


 彼が指を鳴らすと、傍らにいた黒装束の男が静かに一礼し、部屋を後にした。







 しばらくして――


 地に伏していたはずの死者が、再び立ち上がる。

 皮膚は崩れ、目には光もない。だがその動きは確かに生きていた。

 否、“生きている”のではなく、“生かされている”。


「……アンデッド……!? こんな速さで……!」


 塔の下、平原で戦線を維持していたフランキンセンスが声を上げた。

「魔術師団!浄化陣を展開しろ!!」


 その指示の直後、伝令が駆け込む。


「王都内側にて市民と交戦状態に突入!多数の暴徒化を確認!!」


「なんだと……!?」


 ヴァルターの目に映ったのは、焦点の合わない目で、

 よろよろと歩きながら斧や農具を振り回す市民たちだった。

 血走り、涎を垂らし、理性のかけらもない彼ら――。


「この目……普通じゃない……!」


 アピオスもまた、王都内から駆けつけていた。


「この者たち……見覚えがある。貧困層の民だ。アーフラー教が彼らに何を……!」


 ユリウスは即座に判断を下した。


「アピオス、もはやこれは“市民”ではない。

我々の進軍を止める敵勢力とみなす。切り捨てるしかない」


「……クソッ……わかってる……。だが……」


 悔しげに歯噛みしながらも、アピオスは剣を抜いた。


 ポリャンナ軍は王都手前に結界を張り、浄化術と制圧を同時に展開。

 一方で、王都内では“狂人化”した民を一人、また一人と討ち伏せてゆく――。


 そして、それを――


 高塔の上から、ランスーンは愉悦の眼差しで見下ろしていた。


「いいね、いいね……人が人を殺すって最高に面白いと思わない?」

 その顔にはまるで喜劇でも観ているような笑みが浮かんでいた。


「やめて……お願い、もうやめて!!」

 しらたまは泣き叫ぶ。爪が剥がれるほどに床を握りしめ、天に祈りを捧げながら。


 だが、その祈りは、今はまだ風には届かない。


「もっとだよ、しらたまちゃん。もっと壊れて、もっと泣いて、もっと祈って――」


 ランスーンの周囲には、ギフト所持者の奴隷たちが並び立っていた。

 無表情で、無感情で、ただ命じられるのを待っている。


「まだまだ終わらない。ここからが本当の“楽しい地獄”の始まりさ――」


 しらたまの絶望と、ランスーンの狂気。

 ふたつの祈りが、いま交わることなく、夜の王都に響いていた。




 王都城内・旧礼拝堂跡の私室


 薄暗い空間に、鈍く輝く蝋燭の火が揺れていた。

 かつて神への祈りが捧げられたこの空間も、今では狂気の支配する私室となっている。


 重く軋む扉の音とともに、一人の男が姿を現した。


「ランスーン殿下」


 声をかけたのは、アーフラー教の高司祭、マロウ。

 過去、ポリャンナ国内で“自然災害”と偽り、白の聖女を葬ろうとした人物である。


「おや、マロウじゃないか。やっほー、元気だった?」

 ランスーンは振り返り、子どものように手を振った。

 その顔には笑みの“跡”が刻まれていたが、目はまるで人形のように感情を持たぬ光をたたえていた。


「状況を報告いたします。

貧民の暴走は予想以上に効果を発揮しております。

解放軍も民の対応に追われ、陣形は崩壊寸前。

このままいけば、貴殿の御心のまま、殲滅も可能かと」


「へぇ、そっかぁ。それは良かったよー。

壊しがいのないおもちゃは、

やっぱり早めに壊しちゃうほうが楽なんだよね。片づけも楽だし」


 ランスーンはひとりうんうんと頷きながら、

 鳥かごに閉じ込められた小動物の尻尾を指でくるくるといじる。

 小動物の瞳には、完全に怯えた色が浮かんでいた。


「……殿下、あの……お約束をお忘れでは……」


 マロウの声音がやや強くなる。

 それは“執着”という名の野心の色。


「お約束……あぁ、あれだよね?」

 ランスーンはちらりと目を細める。


「僕が王様になったら、君を“導師”にするっていう、あれ?」


「はい。それこそが、バオリナの新秩序を築く礎でございます」


「うん、いいよ別に。

どうせ父上もそろそろ死にたいんじゃない?

毎日うつむいて目もうつろで……なんか、もう用済みって顔してるよね。

だったらさ、子どもが楽にしてあげるのも、親孝行ってやつじゃない?」


 無邪気に笑いながら、ランスーンは手を広げた。

 その姿はまさに「遊びに夢中な子ども」だった。

 だが、その言葉のひとつひとつに潜むのは――支配と破壊。


 マロウは微かに眉をひそめたが、深く頭を下げた。

「では、どうかお心変わりなきように……

バオリナの真なる未来は、殿下の御手の中にございます」


 ランスーンは笑みの“跡”だけを残して、鳥かごの鍵をくるくると回す。


「うんうん。ぜーんぶ、ぜんぶ、僕の好きなようにしていいんだよね。

……神さまだって、きっと、許してくれるよ。だって、僕は――


王になるんだからさ」


 そしてその言葉と共に、しらたまの祈りは、またひとつ遠ざかった。



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