第九話「白き星、風に契る」
「なに、聖女のような占い師がいるだと?」
──それは、領主ドルク子爵が発した声だった。
「まさか……」
その眉間に刻まれる皺は、警戒とも恐れとも取れた。
「今すぐ兵を向かわせろ。ギフト探知機も忘れるな」
重く響いたその声とともに、兵たちは風を蹴って動き出す。
「ずいぶんと噂になってるな」
ルーベンが分厚い書物をめくりながら呟く。
「ね、なんか……すごくてさ……」
しらたまは苦笑いを浮かべながら、使い終えたカードを片づけていた。
午前中だけで五人。昨日は閉店ぎりぎりまでで十五人。
そして、そのすべてが──“白の占い師”の噂を耳にして訪れた者たちだった。
「……“聖女”だなんて、やめていただきたいんですけど……ほんとに……」
ぽろん、と裏庭からリュートの音が聞こえた。
しらたまは音の主を知っている。ヴァルター・リース。
噂の発端となった詩を街で歌った、張本人である。
(ありがたいんだけどね……ありがたいんだけど……)
言い終える前に──
「ここに白の占い師とやらがいると聞いてやってきた。いるか?」
突然、扉を開けて現れたのは、数人の兵士だった。
その物々しい登場に、しらたまは思わず固まる。
「なによいきなり!」
奥から顔を出したマーリエが声を上げる。
「貴様か、“白の占い師”というのは」
兵士のひとりが、しらたまを指さす。
「は、え、多分……?」
ビビーッ、ビビーッ──
不快な電子音のような音が鳴る。
「隊長、反応ありです」
「……ギフト探知機か……」
ルーベンが低く唸る。
「娘、契約者の名は」
「は? え? 契約者……ですか?」
「ギフトを持つ者は、貴族籍以上の者と正式な契約を結ばねばならん。
契約者がいないのであれば、我々と来てもらおうか」
「な、なんで!? そんな話聞いてないっ!!」
混乱するしらたまに構わず、兵たちは腕を掴む。
「や、やめてください! はなして、お願いっ……!」
だが、その力は強く──逃れる術もなかった。
──そのとき。
「すまないが、彼女を離しては頂けないか」
ぽろん、と美しく響いたリュートの音が、声とともに重なった。
「誰だ貴様は!」
「リース伯爵家次男、ヴァルター・リースだ。
……口の利き方を謹んだ方がいいよ、隊長さん」
にこり、と涼しげに笑うヴァルターが、ゆるやかに歩み寄る。
流れるような動作で、しらたまを兵士から引き剥がし、
その手の甲に、紳士の所作で唇を落とした。
「さぁ、白き星の風よ──
この僕と契ちぎりを結んで頂けますか?」
「……はい……っ!」
とにかく、今はそれしか言えなかった。
それしか、しらたまにできることはなかった。
その瞬間、眩い光が二人を包んだ。
まるで神々が契約を祝福するかのように──
兵士たちは光に目を細め、たじろぐ。
「と、いうわけだ、隊長さん。
……これ以上の無礼は、王都に伝えるよ?」
その軽やかな声に、兵士たちは悔しげに唇を噛み──
風見草亭をあとにした。
静けさを取り戻した室内で、しらたまはぽかんと呆然と立ち尽くしていた。
「……なに、これ……?」
頬に触れた自分の手の甲には、ほんのりとあたたかな余韻が残っていた。
ヴァルターはまた、ぽろん……とリュートを鳴らし、涼しい顔で言った。
「ふふ、いい返事だったよ、“白き星の風”」
兵士たちが去った後、風見草亭には少しの静寂が落ちた。
「……ふ、ふぅ……助かった……」
しらたまは椅子に腰を下ろし、胸をなでおろした。
「ちょっと、なんなのよ急にあんな騒ぎ……」
マーリエが怒りをにじませながらも心配そうに顔をのぞき込む。
「しらたまお姉ちゃん! 大丈夫!?」
息を切らして飛び込んできたのはミーナだった。
仕事の合間に戻ってきたらしく、粉のついたエプロンのままだ。
「……はい。……たぶん……」
「『たぶん』って何! お姉ちゃんの身に何かあったら、あたし……!」
ミーナは怒るというより泣きそうな顔だった。
ルーベンも静かに立ち上がり、しらたまの肩に手を置いた。
「騒ぎになったが……まあ、結果オーライか」
「なにが結果オーライなの!」とミーナに突っ込まれつつも、
しらたまは皆の声にじんわりと胸をあたためられていた。
そんな中、ヴァルターはいつもの場所──
裏庭のベンチに腰をかけ、リュートを抱えていた。
風がゆるやかに吹き抜ける。
彼の髪がさらりと揺れ、静かに目を伏せる。
「……“あの風”は、やはり特別だ」
白い布をまとったあの少女。
まるで星の光が地に降りたように、
彼女の存在は“異質”で、“透明”で、そして“強い”。
ヴァルターの目には、風が見える。
風は、想いでできている。
怒り、哀しみ、希望、絶望──
様々な“情”を乗せて流れる、それが風だ。
彼女の風は、まだ不安定だ。
でも、決して折れてはいない。
今日、あの場で“契約”を交わしたのは、
突発的な策でも、無理矢理でもなかった。
――導かれるように、自然にそうしたかった。
「“風の導き”は、きっともう始まっている」
遠い空の星々が語りかけてくるような感覚が、胸の奥に残っている。
「君には、まだまだ多くの風が吹くだろう
……それに、兄君の風も──近づいてきているような気がする」
ヴァルターはそっと目を閉じ、リュートを爪弾いた。
優しく、透明な旋律が、風とともに宙に溶けていった。
ψ 更新頻度:毎日5話更新 ψ
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