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二、第六天魔王からの返書

 甲斐国甲府に築かれた平城ひらじろ躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたは甲斐源氏武田氏の本拠であり、当主武田信玄たけだしんげんの居城である。

 本日は城の書斎の一室に武田の名だたる重臣がずらりと居並び、主君の臨席を待つ。



 戦国の雄、武田信玄。

 ルイスフロイスの日本記によると「彼は家臣から大変恐れられていた。僅かな失敗でも容赦なく殺傷せしめたからです」とある。

 武田信玄とは恐怖と謀略を持って戦国の軍神として東海道に覇を唱えた名将であり、同時に恐ろしい暴君でもあった。



 重臣居並ぶ躑躅ヶ崎館の書斎の襖が、声がかりと共にすっと開けられ、侍従を前後に従えた剃髪の男がますます平伏する重臣たちの間を歩いていく。

 やがて、足音と衣摺れの音が止んだとともに男が上座に座った気配が伝わる。

 しん、と冷えた空気を切り裂くように低い声が士たちの頭上に響く。


「皆の衆、楽にせよ。織田の小僧から返書が届いたそうだな」


「……はっ」


 剃髪に僧のような黒衣を纏ったこの男こそが武田信玄その人であった。

 脇息に身体を預け冷たい目で、信玄は重臣たちをギロリと睨む。


「要約せよ」


 武田の文官たちは信長から届いた手紙を、開き部屋の隅々まで届くように要約しながら読み上げていく。


『此度は戦勝祝いの親書、誠に痛み入ります。再三の私の警告を無視し、残った叡山の仏僧どもは酒色に溺れ、下山しては民衆を苦しませることしかしない下衆ばかりなのでこの信長が根こそぎ殺戮致しました。文句があるならお手前自ら兵を率いて尾張に来られては如何か? そもそも己の欲望がため実子を誅し、家臣さえも粛清しているあなたが正道を説くとは片腹いたし。馳走を用意してお待ちしております。 第六天魔王 織田信長』


 信長としては洒落で返したこの「第六天魔王」という署名が、後世に彼を戦国の魔王と知らしめる要因となる事をまだ誰も知らない。

 とかく、これは織田信長から武田信玄への挑戦状といっていい内容であった。

 ますます冷えていく広間の空気を信玄の笑い声が切り裂く。


「ククク……‼︎ 言いよるな、織田の小僧め」


 信玄は敢えて余裕を見せるが、その目は笑ってはいない。

 晩年の信玄の頭の中は粛清と戦のことで占められていた。

 重臣の一人が一歩前に進み出て、尋ねる。


「お館さま、戦の準備を始めますか?」


 信玄が冷えた目でその若い士を睨むと、男は俯いて黙りこくった。

 信玄は厳かな声で部下たちを見回す。


「わからぬか? これは信長の挑発だ。自国の領内に引き入れて罠を仕掛けるのは奴の得意とするところだ。貴様らも桶狭間を知っておろう?」


 皆が黙りこくる中、痩身の唇の荒れた士が、怯む様子を見せず信玄の前へと一歩膝を寄せて尋ねた。


「では、いかがなさる? 増長した織田をこのまま放っておくおつもりで?」


 男の名は山縣昌景やまがたまさかげ

 普段の風采は上がらないが、戦場に出れば武田軍の中でも随一の働きを見せる武田家の中核である。

 信玄はふむ、と髭を撫でながら落ち着いた声で答えた。


「時期を待つのだ。此度の比叡山焼き討ちで奴への反発を強めた大名どもは少なくない。いずれ織田家が詰む時がくる」


 家臣の幾人かが、信玄の言葉に同調し相槌を打った。


「たしかに…… お館様の申される通りじゃ。浅井、朝倉は言うに及ばず、三好や一向宗も信長の首を狙っておる。これらの勢力が纏まれば織田家は終わるだろう……!」


 そして、信玄は懐から手紙を取り出し重臣たちの前へと投げ出した。


「それだけではない。これは公方さまからの手紙じゃ」


 公方、とは室町幕府第十五代将軍・足利義昭のことである。

 無造作に放り出された手紙を読んだ重臣たちは驚いたように騒めく。


「……なんと 信長は公方さまともうまくいっておらんのか?」


 手紙は信長への不満を述べ、信玄の上京を促すものであった。

 この時期、義昭は政策を巡り信長との間に亀裂が入り始めていた。


 信玄は翳りのある笑みを浮かべ、重臣たちを見据える。


「そう、義昭さまは信長の排除がお望みである。近々、織田軍は畿内を中心に包囲されるように各個撃破されるであろう。そうなったとき……」


 信玄は冷たい笑みを浮かべると扇子を掲げ、居並ぶ一同を指し示した。


「戦力がすり減った織田家に王手をかけ、信長の首を取るのはこの武田家よ。その時に備えて兵馬を整えておけ」


「「「はっ‼︎」」」


 信玄の言葉通り、信長はこの数ヶ月後から畿内で敵対勢力に包囲され、苦境に追い込まれることとなる。

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