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一、信玄の親書

 時は元亀げんき、群雄が割拠し血で血を洗う戦国の夜明けはまだ遠い。


 元亀二年(西暦1571年)の秋、岐阜城の奥の間の広い書斎では整頓された書類が手に取りやすく机に並べられていた。

 数名の武士たちが咳一つ立てずに居住まいを正し、主を待つ。

 彼らの主人は時間に厳しい。



 やがて、廊下の方から近づいてきた足音が止まると共に、小姓の挨拶の後に襖が開かれ、岐阜城の主が姿を見せた。

 薄緑色の裃を付けたその長身の男が書斎の中央を悠然と歩くと居並ぶ武士たちは自然と平伏し、主が上座に着くのを待つ。

 やがて、高い声が書斎にこん、と響く。


「皆のもの、楽にせよ。早速、甲斐の坊主から届いた手紙を読み上げい」


 主の声にいち早く反応し、奉行衆と呼ばれる武士たちは面を上げ一斉に返事した。


「はっ」


 細面のその男は脇息にもたれながら、冷ややかな目で部下を見渡す。

 武士たちの主の名は織田信長おだのぶなが

 尾張の片田舎の一大名であった織田弾正だんじょう家の勢力を更に盛り上げ、近隣の大名たちを薙ぎ倒し、遂には畿内を勢力下に収めた後の世に戦国の覇王と呼ばれた男である。


 信長は岐阜城の一角にある会議室で厳選された判断力の高い吏僚や旗本を集め、今朝方、甲斐の武田信玄たけだしんげんから届いたという手紙を議題に挙げるところであった。


 並べられた文書の一つを手にし、上座から部下たちが今朝方届けられたという手紙を読み上げるのを無表情で待つ。



 数ヶ月前、信長は比叡山延暦寺を焼き討ちにしていた。

 叡山延暦寺の僧兵たちは敵対する浅井・朝倉に援軍を送るだけでなく、軍勢を山に匿い多いに織田軍を苦しめた。

 信頼していた重臣であった森可成もりよしなりは元亀元年に浅井・朝倉軍と叡山戦力の猛攻に遭い討たれている。

 信長はその忠臣の死を大いに惜しんだという。

 また、叡山の僧たちは近年、堕落し切っており寺内に女を連れ込み、酒色に溺れている者が少なくなかった。

 それだけならまだしも、寺の修行から脱落した僧兵の一部が山下の街や村を襲い山賊化している始末であった。

 此度の信長の怒りもやむを得なかったとも言える。


 実際に信長は焼き討ちの一年前から織田家への帰順と無辜の民への撤退勧告を行なってきた。

 だが、強欲な叡山の僧兵たちは既得権益を手放すことを惜しみ、和平条項に一切の妥協を許さず、徹底抗戦の構えを見せる。

 よって信長は叡山焼き討ちの命を降し、僧兵戦力を一掃した。

 捕らえた僧侶は戦闘員・非戦闘員問わず、撫で斬りにしたという。

 信長はこの戦いで厄介な仏教勢力の一つを潰すとともに、北陸侵攻への足掛かりとなる領土を手に入れることとなった。

 しかし、代償として外部勢力からの信長への反発はますます増幅していくこととなる。



 信長を上座に据えた広間に張り詰めた空気が、焚かれている香と共に燻る。

 こほん、と咳払いした吏僚の一人が手紙を手に文面を読み上げ始めた。

 本文の概要は概ねこの通りであった。


『此度の叡山焼き討ちのこと、誠に遺憾である。本山は平安の世から連綿と続く護法の聖山である。ましてや本山は今上(正親町天皇おおぎまちてんのうのこと)の弟君たる覚恕かくじょさまが天台座主を務めておられる。さような聖寺を焼き払うとは何事か。神仏はお怒りである。覚恕さまを保護した私が新たな天台座主としていずれ其方に仏罰を与えてくれようぞ 天台座主沙門信玄てんだいざすしゃもんしんげん


 手紙の差出人である武田信玄たけだしんげんは比叡山から逃れた天台座主覚恕を保護し、信長を討つ口実を手に入れていた。

 天台座主沙門とは、覚恕を保護している者という意であり、信長への敵意がありありと伺える。



 部下が手紙を読み終えると、信長は眉を微かに上げ、呟くように脇息に体重を乗せる。


「ふん、何を偉そうに抜かしよるか、信玄坊主め。貴様が俺をとやかく言えた口か。実の息子さえ殺し、数々の約定を反故にしてきた悪漢が」


 武田信玄は嫡男である義信よしのぶを疎み、三年の幽閉ののちに切腹に追い込んでいる。

 また、己が有利な立場になれば約定を平気で破る事で有名であった。

 信長からすれば、信玄の手紙は実に空々しい手紙の内容である。


 手紙の内容を巡って村井貞勝むらいさだかつ松井友閑まついゆうかん武井夕庵たけいせきあんといった織田家の頭脳といえる吏僚たちが早速意見を出し合う。

 喧喧とやり合う様を横目に見ながら、情報と考えを纏めるのが信長のやり方であった。


 やがて、吏僚の一人が信長に向けて膝を突き、進言する。


「上さま、信玄は覚恕さまを保護したことを口実に戰を仕掛けてくるつもりやもしれませぬ」


 信長は扇を開閉しながら、落ち着いた声で答えた。


「で、あるか。ならば信忠のぶただの婚約も考え直さねばならぬ」


 この時期、この瞬間までは織田家と武田家は婚姻による同盟で比較的良好な関係を築いていた。

 信長の嫡男信忠と信玄六女・松姫との婚約も織田家と武田家の関係を補強する為の策であったがそれも無為に終わりそうだ。


 この手紙は挑発だ。

 此度の叡山攻めで遂に信玄が織田家に牙を剥いてきたのである。


 若き吏僚が信長の方にずい、と身を乗り出し澄んだ目で溌剌と具申する。


「我が鉄砲隊が騎馬軍団などに負けるはずがありませぬ。武田にはくそ喰らえとでも返しておきますか?」


 若者らしき血気に逸る意見に年長者の吏僚たちは苦笑しながら押し留める。


「おい、滅多なことを申すな。冷えた頭で発言せよ。ここは取りまとめた正確な情報を上さまに上奏する厳粛な場である!」


 時は進み、吏僚の間で滔滔と意見が酌み交わされる。

 大方の意見は大別して二つ。

 積極的に武田を攻めるか、無視をするか。


 意見を出し合う吏僚たちの話が煮詰まったと見るや、信長の扇の閉まる音が大きく広間に響き、全員が着目する。


「よし、いい。決めたぞ、皆のもの」


 信長は家臣たちを見回し、厳かに決定事項を告げた。


「お前たちの考えは分かった。武田が我が織田家に喧嘩を売ってきたこともな。だが、こちらからわざわざ攻めてやることはない。奴を怒らせてやるのだ」


 山国である甲斐に攻め込む作戦は現実的でない。

 戦国最強とも謳われる武田軍団と彼らの本拠地で戦うことは余りにも危険であると信長は判断した。

 よって、まずは盤面の外から戦を始める。

 それが信長の答えである。


「今から言う通りに文面を認めよ」


 信長の声に面々はすかさず返事し、平伏する。


「はっ」

※参考までに

元亀二年時点で、信長37歳 信玄50歳

三方ヶ原時点で家康30歳です。


一説ですので誤差はあります。

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