53
ラリサは、
「ただ、出来れば、勇者さんに直接触れたかったっすけど……。〝誰かの温もりに触れる〟のが、ずっと夢だったっす。それが、大好きな勇者さんだったら、どんなに素敵で、どれだけ幸せな事だろうって……」
と、俯いたが、直ぐに顔を上げた。
「でも、それは欲張り過ぎっす。自分、本当に本当に、幸せっす! 全部、勇者さんのおかげっす! 思い残す事は無いっす!」
そして、
「勇者さん、本当にありがとうっす!」
と、満面の笑みを浮かべた。
目の前の少女は、これから死ぬのだ。
既に、身体が消滅し始めている。
なのに――
それなのに――
明るく、笑顔を見せて――
そんなラリサの様子に、どうしようもなく胸が苦しくなった勇者は――
「……お前の夢……俺が叶えてやる……!」
――と言った。
「え?」
と、目を見開くラリサに対して、勇者は、
「『セイクリッドヒール』!」
と、最上級回復魔法を掛けた。
だが、ラリサに掛かっている呪術魔法によって弾かれ、ラリサの身体の消滅を食い止める事は出来ない。
間髪を容れずに、勇者は、
「『解呪』!」
と、ラリサの呪いに対して、解呪魔法を掛ける。
――が、これも弾かれ、効果は無かった。
ラリサは、
「勇者さん、ありがとうっす……。そこまでしてくれて……」
と、穏やかな表情で呟いた。
それを聞いた勇者は――
「『欲張り過ぎ』……? 欲張って何が悪い!? もっと欲張れよ!! ずっと牢屋の中だったんだろうが!!」
「!」
――と、叫んだ。
そして、勇者は――
「……お前の夢は、俺が叶えるって言ってんだよ……!」
――咆哮すると――
「はあああああああああああああああああああ!」
――ラリサの両肩――を包む冷たく無機質な呪い――を両手で掴んで、一気に闘気を膨張させた。
呪いを、両手で強引に剥がそうとする。
だが、呪いはビクともしない。
「……勇者さん……」
既に膝下まで消滅したラリサの目が、思わず潤む。
(闘気だけじゃ、足りない!)
勇者はそこに――
「はああああああああああああああああああああああああ!」
――更に、全力で魔力を注ぎ込んだ。
――が。
「……くっ!」
――それでも、呪いに変化は無い。
(もっと! もっとだ!)
勇者は――
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!」
――更に自らの〝命〟をエネルギーに変換して注いだ。
無理が祟って、勇者の口許を血が伝う。
――だが、そこまでしても、呪いを剥がす事は出来ない。
(まだだ! もっと! もっと!! もっと!!!)
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
膨大な闘気、莫大な魔力、そして〝命〟の全てを燃やし尽くさんとする勇者。
――しかし。
「がはっ!」
「!」
――身体への負荷が大き過ぎて、勇者は大量に吐血した。
ラリサは、
「もう良いっす! このままじゃ、勇者さんまで死んじゃうっす!」
と、泣きながら叫ぶ。
その言葉に、勇者は――
「うるせぇ!」
「!」
――俯いたまま叫び返すと――
「好きな女が目の前で死のうとしてるのに、指銜えて見てられる訳ねぇだろうが!」
「!!」
――顔を上げて、吼えた。
そして――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
――勇者が、一際大きな咆哮を上げると――
「「!」」
――ラリサの両肩を包む透明な呪いに、〝罅〟が入った。
「ゆ、勇者さん!」
信じられない、という表情で、明るい声を上げるラリサに、勇者は、
「ああ、これで――」
と、口角を上げた。
――が、次の瞬間――
「ぐぁっ!」
「きゃあああああああああ!」
――勇者の右腕が、蒸発して、消し飛んだ。
ラリサに掛けられた呪いが、破壊されまいと、牙を剥いたのだ。
それは、常軌を逸した熱によるものだった。
「勇者さん! 勇者さん!!」
泣きながら取り乱すラリサ。
勇者は、激痛を無視して、自分の左腕全体を闘気と魔力で防御しながら、尚もラリサの右肩を掴み――
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
――闘気、魔力、〝命〟のエネルギーによって、呪いを破壊せんとする。
――しかし――
「ぐはっ!」
――勇者は、再び大量に吐血し――
「くっ!」
――闘気と魔力で防御しているにも拘わらず、左手の指が一瞬で蒸発して――
「ぐっ!」
――左手そのものも、消し飛び――
「がぁっ!」
――前腕が消滅する。
「勇者さん! 勇者さん!! 勇者さん!!! 勇者さん!!!!」
ただただ泣きじゃくるラリサに、勇者は――
(……お前には、いつも笑ってて欲しい……)
(……お前の泣き顔は……見たくない……)
(……見たくない……見たくないんだ……!)
――怒りを――
「俺の女を、泣かせてんじゃねえええええええええええええええええええええええ!!!」
――爆発させた。
既に限界まで出し尽くしていたと思われた闘気、魔力、そして〝命〟のエネルギーが、更に膨れ上がる。
それらが一体となって、ラリサの呪いにぶつかり――
「「!!!」」
――金属が割れるような音と共に――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……たかが呪いの癖に、手間掛けさせんじゃねぇよ……」
――呪いが粉々に砕け散った。
「……あ……ぁ……」
声にならぬ声を上げるラリサを、そっと、上腕のみになった左腕で勇者が抱き締める。
「どうだ? 生まれて初めて誰かの肌に触れた感想は?」
ラリサは――
「……あったかいっす……!! ……勇者さん、あったかいっす!!!」
――そう叫ぶと、勇者の胸に顔を埋め、泣いた。
勇者は、一瞬だけ表情を緩めたが、既に下半身は服もろとも全て消滅し、上半身も半分消えているラリサを見て、直ぐに真剣な表情になった。
そして、
「『セイクリッドヒール』!」
と、ラリサに最上級回復魔法を掛けた。
今度は、弾かれてはいない。
だが、ラリサの身体を元に戻す事は出来ず、身体消失を止める事も叶わなかった。
勇者は、続けて、
「『解呪』!」
と、解呪魔法を掛けた。
が、効果は無かった。
(流石にもう一つ、違う呪いが掛かっている、とかではないか……)
(いや、先程と同じか、それ以上の呪いが掛かっている、という可能性もゼロではないが……)
残された時間は僅かだ。
必死に思考する勇者は――
(そう言えば……)
――ふと、何かに気付いた。
以前、ラリサは、こう言っていた。
『もう、尻尾も消えちゃったっす』
(あの時、ラリサは何故、尻尾がではなく、尻尾もと言っていたんだ?)
(もしかすると、既に消えてしまっていた身体の部分があるんじゃないのか?)
(パッと思い付くのは、角だけど、そうじゃない。一緒に寝た時に、まだ角があったのは、見ている)
そして、一つの可能性に辿り着いた。
(もし……最初に出会った時に、既に消えている身体の部分があったとしたら……?)
(俺はラリサを初めて見た時、どこかで見たような気がした。もしかしたら……!)
勇者が思考している間に、ラリサは、胴体と腕が消えており、残すは首から上のみとなっていた。
しかし、ラリサは、愛する勇者に抱かれ、この上ない幸せを感じていた。
勇者さんに直接触れる事が出来るなんて……
夢みたいっす……!
最後の最後に、すごく温かくて、嬉しくて、幸せな経験が出来たっす……
「……勇者さん……夢を叶えてくれて、本当にありがとうっす……!」
と、ラリサが濡れた瞳で勇者を見詰めて、呟いた。
ラリサを見詰め返した勇者は――
(絶対に死なせない! 救ってみせる!)
――強い決意と共に――
「んんっ!?」
――屈んで、ラリサの唇に、自身のそれを重ねた。
驚いて目を見開くラリサだったが、直ぐに目を瞑った。
唇から温もりと共に、勇者の気持ちが伝わって来る。
温かな幸福で満たされる。
勇者さん! 勇者さん!! 勇者さん!!!
こんな幸せがあるなんて……!
自分、幸せっす……! すごくすごく、幸せっす……!!
ラリサの頬を伝う涙が――
――地面に落ちた――
――瞬間――
「!」
――ラリサは眩い光に包まれて――
「!!」
――服と共に――
「!!!」
――まるで時間を巻き戻すかのように、身体が元に戻って行った。
勇者がゆっくりと唇を離すと――
「……なん……で……?」
――自分の身体を見下ろし、ラリサが呟く。
見ると、靴も元通りになり、尻尾も元通り――どころか、それまでは無かった、トランプのスペードのような形をした先端がある。最初に出会った時には、無かった部分だ。
更に、その背中には、蝙蝠のような漆黒の翼が生えている。
呆然とするラリサに、勇者が、ぽつりと言った。
「夢を叶えるって言っただろ? ちょっと触って、『はい、叶えました』じゃ、詐欺だ。俺はそんなみみっちい事はしねぇんだよ」
勇者の言葉に、ラリサは――
「勇者さああああああああああああああああああん!!!」
――抱き付き、泣きじゃくった。
半分失われた左腕で抱き留めながら、勇者は、念のために、最上級回復魔法をラリサに掛けつつ、自分自身にも掛けて、身体を完全回復させた。
そして、結界を解除する前に、まずはラリサに防御魔法を掛けた。