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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の背中にクリスマスツリー

作者: 江保場狂壱

 2021年5月20日 修正しました。従弟を甥と間違えたためです。

私は中堅の会社でしがない事務員をしている。今年で三十歳。今日はクリスマスイブだ。

 髪の毛はぼさぼさで薄化粧。黒いフレームの眼鏡をかけており、服装もダサい。同僚からは地味子と呼ばれている。もちろん彼氏なんかいない。告白したことはあったけど振られたし。

 

 ……別にいいんだ。私は男にもてたいわけじゃない。両親はいないが、母方の叔母から見合いを押し付けられる。どうも結婚する気がないのだ。叔母に反発したいわけではないし、バリバリのキャリアウーマンになりたいわけでもない。なんとなく生きているだけだ。そもそも今の世の中は独身でも生活できるし、無理して結婚する気はない。ちなみに二十四歳のは従弟はすでに結婚しており孫がいる。……羨ましくはないぞ。


 とはいえ私にも趣味はある。こう見えて脱いだらすごいのだ。もっとも同僚にしゃべるようなものじゃない。ただ着替えの時に私の身体を見られているから、薄々は勘づかれていると思う。


 いつものように仕事をし終えて帰る途中、私は薄暗い住宅街を歩いていた。昼間はが主婦たちが雑談をしながら歩く道も、夜になると人っ子ひとり通らない、猫がひょいと茂みから出てくる程度だ。

 きっとみんなクリスマスを楽しんでいるかもしれない。でも家に帰れば熱い風呂を浴びて冷たいハイボールをキューっと飲む。独身でなきゃ味わえない楽しみもあるのだ。


 ヒュウヒョヒョヒョオォォォォォオオオ!!


 そんな中、背筋が凍りそうな奇声が上がる。一体何事かと辺りを見回すが、誰もいない。丑三つ時なら寝ている幽霊すら起き上がるかもしれないわ。子供が聞いたら怖くて夜中トイレに行けなくなるわね……。

 すると奇声がさらに銅鑼を鳴らすように大きくなる。相手は女の様だ。頭のおかしい女が路上で何をしているのだろうか。

 私は声から遠ざかるため、猫のように足早に去った。多分近所の人が警察に電話をかけるだろう。もし襲ってきたら返り討ちにしてやればいい。私は伝家の宝刀を隠し持っているからだ。


「ちょいとそこのお姉さん」


 私はいきなりがっしりと肩を掴まれた。路上の影にぐいっと引き込まれる。先ほどの奇声の持ち主かと思ったがどうやら違う。

 相手は少年であった。それも超が付くほどの美少年だ。髪の毛は滝のようにサラサラで、眉と、まつ毛が、絵筆で描いたように長く濃い。目はやっと十八になったばかりの女のような目であった。

 立派な鼻筋で、口は笑みを浮かべている。だが冷たそうに見えた。


 体つきは所謂黄金分割で、ギリシャ神話のアポロン像のような美しさであった。だが身に着けているのは薄い布ばかりで、胸と下半身を隠しているだけだ。これはかなり異常である。

 大体季節からしてありえない。肺炎を起こしかねないぞ。


「お姉さん、僕は狙われているんだ。さっきから聞こえる奇声の主にね。だからお姉さんに匿ってほしいんだ」


 美少年は図々しい願いをしてきた。警察を頼れと言いたいが、焦っているのかもしれない。奇声はさらに近づいてくる。

 私の住むアパートはすぐ近くだ。関わり合いになるのは御免だが、言われるままに私は美少年をアパートに匿うことにした。奇声の主にばったりと出会って、ひと悶着を起こすよりはましだと思ったからだ。


 ☆


 私の住むアパートは築二十年の二階建てだ。私はそこの一番西側の二階を借りている。それなりに広くて、トイレと風呂が付いていた。洋服ダンスに食器棚、テレビの他に本棚が置いてある。


「へぇ、なかなかきれいだね。地味子っぽいから生活無能者かと思っていたよ」


 美少年はずけずけと無礼なことを言った。でも嫌味に聴こえないのがすごい。まるで風の音のようであった。


「そうそう僕の名前は菊之助にしておくよ。本名はまずいんでね」


 菊之助って歌舞伎の題目である弁天小僧菊之助のことかしら。若いのに割と古風だわ。ちなみに叔母が歌舞伎好きなのでその影響で知っていただけだ。


「ところであれはなんだい?」


 菊之助が指を差すのは鉄パイプで組み立てられたものだ。チンニングマシンである。

 懸垂をするための器具だ。私は筋力トレーニングが趣味なので置いているのだ。それを説明してやる。


「そうなんだ。地味子は無趣味に見えて筋トレが好きなんだね」


「まあね。筋トレは結果がわかりやすいのよ。もっとも女は筋肉が付きにくいんだけどね」


「確かにね。僕もトレーニングで鍛えているけど、肉が付くのは楽しいね」


 菊之助はチンニングマシンを右手でさすりながら感心していた。他のトレーニング器具はない。週に一度、総合体育館に通っている。お金さえ払えばバーベルやラットプルダウンマシンなどのトレーニング器具を借りられるのだ。トレーニング器具で狭い部屋を圧迫させたくないからね。プロテインはいくら置いても問題ないけど。ちなみに冷蔵庫にはハイボールを入れてある。ビールと違い糖質がゼロなのだ。


「ところであなたを追っていたのは誰なのかしら?」


「僕の母親だよ」


 菊之助の言葉に私は目を丸くした。あれは獣の咆哮だ。まともな女の声とは思えなかった。


 菊之助の話によれば、母親は幼少時から自分を芸能界に入れようと躍起になっていた。父親は菊之助が生まれる前にすぐに逃げだし、貧しい生活をしていたので周囲に馬鹿にされたからだとか。菊之助は他の子どもより美しいので、芸能人にして金持ちになろうとしたのだ。なんというか浅はかとしか言いようがないが、ハングリー精神には感心する。


 菊之助は厳しい稽古を重ねつつ母親が枕営業を繰り返した結果、芸能人となった。かなり有名になったようである。


「というか僕を知らないお姉さんがいるなんて初めて会ったよ。大抵の人は僕を見て驚くか、サインをねだって写真を撮りたがるもんなのにね」


 悪かったわね。私はテレビが嫌いなのよ。ネットでトレーニングの動画を見るしか用がないもの。それに人の会話に入るのが嫌いだしね。


 話の続きだけど、母親は見たこともないような大金を前に狂ってしまったようだ。菊之助曰くピカソの絵の如く顔が歪んだという。金をホストにつぎ込んだり、自宅を童話に出てきそうなお菓子の家みたいなデザインにしたとそうな。


 そのせいで、近所からは成金と馬鹿にされ、敬遠されているという。菊之助も学校に行くより、仕事を強要されていたそうだ。というか学校に行ってもいじめられそうだから、行かない方がいいかも。


 さて話は脱線したが、母親の奇行のせいで事務所は仕事を減少せざるを得なくなった。そのせいで収入が減った。母親は怒り狂い、息子に売春を強要させたという。世の中には美少女よりも、美少年を抱きたいという好事家がいる。


 いくら母親でもやっていいことと悪いことがある。菊之助はそれが嫌で逃げ出したそうだ。立派な児童虐待である。腹が立つな。マッハでムカツク、五秒前だ。

 

「あっはっは。本当にまいるよね。自分のお気にのホストを推すために、ドンペリをつぎ込みたいから、大企業のお偉いさんと寝ろと言うんだよ。さすがの僕も攻められるより、攻めるのが好きだからね」


 ……なんだろう、悲壮さがない。重い話なのにあっけらかんと答えている。まるで小鳥がさえずりのような女たちとおしゃべりしている感覚だ。

 ちなみに江戸時代では陰間かげまと言って、役者が女装して相手を務めることがあった。浮世絵にも残っている。男色は日本では珍しくないのだ。


「それでしばらく僕を匿ってよ。多分、僕の母さんは精神異常者として保護された後、措置入院されると思うな。母さんは一度精神病院に入院すればいいんだよ。あっはっは!!」


 私は菊之助に不気味なものを感じた。人の皮を被った怪物と話している気分だ。芸能界の闇に触れて、本人も気がふれたのではないだろうか。芸能人は一般人と違ってまともな生活は遅れないし、惨めな最期を遂げた人もいる。まともな精神では暮らしていけないのだろう。私としてはあまり関わり合いになりたくない。児童相談所に連絡するべきだと思った。


 私はスマホを取り出して連絡を入れようとしたが、菊之助に邪魔される。


「だめだよお姉さん。余計なことをしちゃ」


 菊之助が笑った。優しいような皮肉なような独特の微笑だ。それでも普通の女ならころりと落ちてしまいそうだ。弁天小僧も女装が得意で、美人局つつもたせをしていた。商家の旦那を騙して男だとばれると開き直るのである。


 普段は男に興味のない私でも、心臓を鷲掴みにされたように息が詰まる。本物の超美少年は男に興味がないと粋がる女すら、その魅力にはまるのかもしれない。まるで蜘蛛の巣に捕まった蝶々の如く。


「僕はねぇ。今まで自由がなかったんだ。毎日稽古と仕事で遊ぶ暇なんかなかった。もしくはお偉いさんに抱かれろと命じられたね。勢いあまって逃げ出したけど、どこにいけばいいのかわからない。そこで偶然、世間知らずのお姉さんを捕まえたってわけさ。どう? 僕って頭いいでしょ?」


 いや、悪いぞ。そもそも初対面の人間に世間知らず呼ばわりすること自体常識がない。本人は芸能界にいたから酸いも甘いも嚙み分けていると思い込んでいるようだが、実際は母親の命令通りに動く、猿回しの猿だ。頼りになる友達や知り合いがおらず、そのまま逃げてきたのだろう。


「そうだ。僕はお金がないんだ。でもただで泊まるのはアレだから、今夜お姉さんをベッドで楽しませてあげるね」


 とんでもないことを言い出した。こいつは普段から枕営業をしているのだろうか。


「嫌よ。馬鹿なことを言ってないで、先にお風呂に入りなさい。奇麗になったら警察に連絡して保護してもらうといいわ。未成年を保護するのはいいけど、一晩過ごすなんてまっぴらごめんだわ」


「またまた。お姉さん寂しそうだよ。本当は僕と一緒に居られて心臓が壊れそうなくせに~」


 菊之助は私の背中に抱きついた。本当にうざい。世の中には三十路女は美少年に弱いという風潮が流れているのかしら。中年親父が美少女を抱くのは犯罪だけど、熟女が美少年を抱いても無罪になれると思い込んでいるのだろうか。


 確かに先ほどは心臓を鷲掴みにされた気分になった。だが話をしていると難しい漢字は読めるけど道徳はまったく教えてもらっていない子供と話している感じだ。

 仕方がない。本当はやりたくないけど、私のとっておきを見せてあげましょう。


 私は菊之助に離れるよう命じた。そして上着を脱ぎ、背中を見せる。

 背中に力を込めた後、両腕に力を入れ、バック・ダブルバイセップスのポーズを取った。すると菊之助は驚きの声を上げる。


 当然だろう、私は背中を鍛えこんでいるのだから。ただし私はボディビルダーではない。単なる筋トレ女子だ。特に背中の筋肉を鍛えるのが大好きなのである。


 以前、付き合った彼氏に背中を見せたら「背中に鬼神が宿っている!!」と言われて逃げられたほどだ。

 

 これを見たら千年の恋も冷めるだろう。だが菊之助はおとなしいままだ。あまりの衝撃に魂でも抜けたのかしらん?

 

「……クリスマスツリーだ」


 はい? 今なんて言った? 耳がおかしくなったのかな。


「背中にクリスマスツリーが生えているよ」


 ……。ああ、菊之助にはそう見えたのか。


 背中にクリスマスツリーは珍しくない。クリスマスツリーの葉は広背筋で、幹は脊柱起立筋下部のことだ。見ようによってはクリスマスツリーにも見えるのである。動画サイトで検索すれば簡単に見ることができる。


 特に私はバーベルを使ってデッドリフトとベントオーバーロウで鍛えている。

 デッドリフトは脊柱起立筋が鍛えられ、ベントオーバーロウは広背筋の下部を鍛えられる。


 もちろんチンニングとスクワットは欠かせない。最初は振った男を殴り倒すために背中の筋肉を鍛えていたが、今では鍛えること自体楽しくなったのだ。勧めてくれたのは叔母である。叔母の夫が格闘家なので従弟も身体を鍛えていた。

 男に二度振られても、筋肉を鍛えることの楽しさが上回ったのだ。


「僕はクリスマスをきちんとやったことがないんだ。いつもお偉いさんや事務所の人と大勢で騒いでいたんだよ……」


 芸能界のクリスマスパーティはさぞかしにぎやかだと思うが、菊之助の望むものとはかけ離れていたのだろう。周りは大人ばかりで、子役がいても親が悪い虫がつかないように見張っている。あくまで顔売りのためで楽しくないのかもしれない。


 私も会社でクリスマスパーティをしたことがあったが、ただクリスマスをダシに騒ぎたいだけであった。日本人は外国の催し物でも騒ぐための道具に使うことが多い。というか私は人に酔いやすいので遠慮してもらっている。叔母は家族と一緒にパーティをしようと誘ってくれるが、この年でクリスマスを祝うつもりはなかった。


「なんて素敵なクリスマスツリーなんだろう……。僕、こんなの初めてだ……」


 菊之助は初めて子供らしい感想を述べた。芸能界の荒波にもまれて道徳を知らずに育った少年には、背中で作ったクリスマスツリーにも感動できるのだろう。


「……僕は普通でいたいんだ。僕は学校に通って友達と遊びたいだけなんだ……。なのに、どうして……」


 菊之助は泣き出した。今まで溜まっていたものが一気に噴き出したのだろう。きっかけが背中のクリスマスツリーなのが、何とも言えないが。

 ませた少年はどこにもいない。年相応のか弱い子供がそこにいた。私はそって彼の背中をさすってあげる。お母さんが泣きじゃくる私にしてくれたように……。


 あと私の腹筋も見せてあげた。見事に板チョコの如く六つに分かれている。菊之助は興奮して「もっと割れないの!!」と尋ねてきた。残念ながら腹筋は六つまでしか分かれないのだ。昔は何個でも割れると思って鍛えていたが、筋トレ仲間から無理だと言われた時、衝撃を受けた。


「ヒョォォオォオオオオオオオオオ!!」


 突如、窓ガラスを突き破り、得体のしれない影が飛び込んできた。

 それは鬼女だった。長い髪の毛を歌舞伎のように振り回している。口には出刃包丁を加えていた。


「母さん!!」


 菊之助が叫ぶ。こいつが母親!? 般若面を被っているような顔だ。紫の服を着ており、がに股で首を激しく回している。まるで山姥だ。


「ヒョヒョヒョヒョヒョォオオオオオ!! 見つけたぞぉ!! なんでお前がこんなところにいるんだぁぁぁぁぁぁ!! さっさとアタシと一緒に戻ってこぉぉぉぉぉぉぉい!!」


 大砲を間近で聴いたらこんな感じかしら? 身体がぴりぴりと震えてくる。こんな声で恫喝されたら幼子は縮こまってしまうだろう。現に菊之助はリスのように震えていた。私に対して不遜な態度を取っていた時とは思えないほどの変わりようである。


「お前はこれから大企業の会長と寝るんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!! そして金をたっぷりもらうんだぁぁぁぁぁぁぁ!! そしてアタシはホスト通いを再開するんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 母親の眼は息子を見ていない。それどころか名前も呼んでいないぞ。この女にとって菊之助は金づるでしかないのだ。

 私は許せなかった。子供を食い物にする母親が。私のお母さんは六歳の頃に離婚してずっと女片手で育ててくれた。私が大学進学の前に病気で亡くなったが、今際の言葉は「幸せになってね」と笑みを浮かべながら逝ったのだ。


 以後は叔母が面倒を見てくれている。叔母は当時従弟を産んだばかりで生活に余裕がなかったのだ。葬式で母の死を悲しんでいた。

 私は人に理想を押し付けるつもりはない。しかし、目の前の女は母親ではない。母親の皮を被った鬼だ。


「誰だおめぇぇぇええええええ!! アタシの商売道具に汚い手でベタベタ触るんじゃねぇぇぇええええええ!!」


 加えた出刃包丁をぶんぶんと振り回してきた。だが怖くはない。こいつは人間じゃないからだ。そうこいつは鬼だ!! 人の皮を被った悪魔だ!!


「知らざぁ言って聞かせやしょう!!」


 私は弁天小僧の決め台詞を吐いてから、母親の顔に右拳が決まった。私の筋肉は見せるためじゃない。男を殴り飛ばすためのものだ。だからスクワットとチンニングを欠かさないのである。ヒッティングマッスルはこの二つが必要不可欠だからだ。


「だぎゃあああああああああああああ!!」


 母親は顔面を潰された挙句、絶叫を上げながら吹き飛んだ。勢いあまって二階から墜落する。拳は痛くない。痛いのは無残な姿をさらす母親を見る菊之助の表情だった。

 私は名前を名乗ることなく、寒風が吹きつける部屋の中で呆然と立ち尽くしていた。右拳がじんわりと痛む。


 ☆


 あれから一年が過ぎた。私はあの後警察に連絡を入れた。私は正当防衛を認められたのだ。母親は不法侵入の上に凶器所持、さらに強盗殺人未遂を起こしている。一応真っ先に救急車を要請したから心証がよくなったのかもしれない。


 母親は精神異常が認められ措置入院となった。菊之助は母方の伯父に引き取られ、親権を失ったという。さらに頭痛を悪化させて、ぽっくりと死んだそうだ。現実が認められず、自分だけの世界に閉じこもってしまったのである。哀れであった。


 その後、私は仕事を辞めて、別のアパートに引っ越した。さすがに暴力事件を起こし、アイドルの菊之助と関わりを持ったのだ。ファンのストーカーが会社やアパートに嫌がらせをすることは目に見えていた。

 代わりに会社の社長が知り合いの職場を案内してくれた。今の住居もそこの会社が世話をしてくれたのだ。

 現在はボクシングジムに通っている。ボクササイズのためだ。週に一度はサンドバッグを叩いている。筋力トレーニングも怠っていない。


 叔母は事件を聞きつけてきて、私に説教をした。なんで私が怒られなきゃならないのかわからないが、あまりにも女性としては異常な行為だ。これで嫁の貰い手が無くなることを恐れ、怒涛の見合い攻撃されたのはまいった。今は適当にあしらっている。孫の面倒も見ているが、私の方を適当に済ませるつもりはなさそうだ。


 あれから菊之助とはこれっきりだ。元々彼はアイドルで私はしがない事務員。それに彼はアイドルをやめて芸能界を引退したらしい。同僚の一人が嘆いていた。

 菊之助は本名で、学校ではよく名前でいじめられていたそうだ。インタビューでは本名未公表で菊之助を芸名扱いしていたという。キラキラネームではないが、古風すぎるのもダメなのね。


 私は仕事を終え、夜道を歩く。今日もクリスマスイブだが相手はいない。会社ではクリスマスパーティを開いたから、それなりに満足している。

 少し酒に酔っているな。ふらふらする。自慢の拳もこれでは腰に力が入らない。


 すると目の前に一人の女性が現れた。ふわふわの茶髪に細長いまつ毛、温和そうな目をしていた。白いマフラーにゆったりとした赤いコートと黒いチュールプリーツスカートを身に着けている。

 二十代だろうか、私とは違った人生を楽しんでいそうな気がした。

 

 私は彼女とすれ違う。よく見ると私より背がかなり高い。外国人女性なのかしらん。すると女性が突然声をかけた。


「お姉さん、おひさしぶりです」


 声はハスキーだがすぐに理解できた。一年経っても忘れるわけがない。


「あなた、菊之助?」


 女性は首を縦に振った。私は目を疑った。美少年だと思っていたがここまで女装がうまいとは思わなかった。これなら美人局をしても床に入るまでばれないだろう。ばれても続けそうな気がするけどね。


「実はお姉さんと一緒に来てほしいんだ。車は用意してある」


 そう言って親指を指すと、白いワゴン車が走ってきた。運転手はサングラスをかけた黒人男性で、助手席には白人の女性が座っている。一体どういう関係なのだろうか?

 私は菊之助に無理やり車に押し込められた。


 菊之助はこれまでのことを教えてくれた。伯父は海外で会社を経営しており、菊之助を海外留学させた。日本では悪い意味で目立つためにほとぼりを覚ますためだそうだ。それ以前に日本では悪い思い出しかないので海外の永住を考えていたという。


 母親に援助しなかったのは、当時外国にいたためで、事件を知り、改めて菊之助を引き取ったという。


 そこで菊之助は学校に通ったが馴染めなかった。男の癖に女みたいな顔立ちはゲイの格好の餌食になったという。

 しかし菊之助は負けなかった。トレーニングジムに通い、筋肉を身に付けたのだ。そこで彼は見返したのである。


 その後、友人と一緒に動画配信を行った。菊之助が筋肉を身に付ける過程を仲間たちと共に面白おかしく配信したそうだ。日本のファンは美少年が殺されたと殺気立ち、一方では美しい筋肉に惚れましたと歓迎のコメントも上がったという。


 運転手の方はその友人だという。菊之助は日本に一時帰国した。そこであるイベントを行うためだそうな。なんで私まで巻き込まれるのかさっぱりわからない。ちなみに女装はファンから避けるためだという。日本ではまだ根強いファンがいるから仕方ないといえた。


「お姉さんが一緒でないとだめなんだよ。今行く施設ではね」


 菊之助が意味深な表情を浮かべている。真剣な眼差しなので私は何も言えなかった。


 さて三十分ほど経つと、車はとある建物の前に止まった。どうやら市民会館のようだ。玄関の前には『クリスマスパーティ会場』と書かれてある。福祉施設が合同で企画したイベントの様だ。

 私は車から降ろされた。更衣室に連れていかれると、菊之助の友人であろう金髪の女性たちに捕まり、メイクを施される。さらに服を脱がされて白いマイクロビキニを着せられた。


 彼女たちは私の身体を見て感心していた。私はボディビルダーを目指しているわけじゃない。あくまで健康のために筋トレを行っている。もっとも人より肉を鍛えるのにこだわっているだけだ。おかげで一般人と比べて肉が厚い。筋肉は大きいし、脂肪が薄いから皮もバリバリだ。最近は日焼けもしており、同僚に笑われている。


 ちなみに私の顔は豹変していた。髪は後ろに纏められ、化粧を施されている。眼鏡は外されコンタクトを付けられる。目はぱっちりとしており、鏡で見ても自分とは思えないほどだ。


 そこに菊之助が入ってきた。彼は女装を解いて黒いパンツ一丁だった。

 だが彼の肉体は見事に日焼けして黒く光っていた。僧帽筋が並みじゃないし、上腕二頭筋もチョモランマだ。三頭筋ももちろん素晴らしい。肩はマスクメロンのようでおいしそうだ。

 大胸筋が歩いているし、腹筋もちぎりパンだ。脚がゴリラだし、カーフがデカイ。全体で見ると黒い冷蔵庫のようだ。

ここまで鍛えるのにどれだけ眠れない夜が続いたことだろう。私は頬に一筋の涙が流れたことに気づいた。


「だけどメインはこちらだよ」


 菊之助が背を向ける。バック・ダブルバイセップスのポーズを取ると、そこにクリスマスツリーが浮かんでいた。ちなみに尻には蝶々が止まっているかと思った。引き締めた尻が蝶々に見えることもある。


 それにしても素晴らしいケツプリだ。グレートケツプリである。ここまでプリ具合がすごいのは初めてだ。


 菊之助は美少年だったが、筋肉を鍛えることでスーパー美少年に革命レボリューションしたのだ。


「今日のイベントは子供たちに筋肉を鍛えることの素晴らしさを教えたいんだ。僕はお姉さんの背中にあるクリスマスツリーに心が洗われた。女性だから筋肉は付けづらいのにお姉さんは見事努力を重ねて筋肉を身に付けたんだ。さらに僕を虐待する母さんを殴り飛ばしてくれた。お姉さんが鍛えた拳でね。あの日僕は体と心が解放されたんだ。

 だけど世の中にはまだまだ救われていない子供たちがいる。自分が悪い子だから親に虐待されると思い込む子供が多いんだ。だけど筋肉を鍛えることは誰にでもできるんだ、自分自身ですぐに結果が見えるんだよ。実際に僕も腕が太くなりすぎて眠れない日があったけど、すごく感動したよ。

 今日のクリスマスパーティは僕とお姉さんで背中のクリスマスツリーを見せてあげるんだ。努力をすれば自分自身でクリスマスツリーを作れる現実を知ってほしいんだよ。でも僕の相手はお姉さんじゃなきゃダメだ。一般人であるお姉さんだからこそいいんだよ」


 そう言って菊之助は私の前で土下座した。私にとって背中の筋肉を見せたのは菊之助をドン引きさせるためだったが、まさか彼の心を癒していたとは思わなかった。

 そもそも私が筋トレを続けたのは、菊之助が来てくれるのを期待していたからではないか? 筋肉を鍛えれば彼が振り向いてくれると思い込んでいたのではないか。

 実際に心を奪われたのは菊之助の方だった。私との出会いで彼は生まれ変われることができたのだ。


「そして、僕は子供たちの前で宣言するんだ。お姉さんは僕の婚約者フィアンセだって。筋肉で結びついた縁はこれからも強くなるってね」


 そう言って菊之助は私に指輪をはめた。プラチナの結婚指輪だ。


「僕と結婚してほしい。ただ僕は来年日本の大学に通うから、卒業まで待ってほしいんだ」


「もう、強引なんだから……」


 多分私の顔は緩み切っている。菊之助の友人たちがニヤニヤ顔だ。


「でもお姉さんは眼鏡をかけた方がいいな。地味子の方が断然可愛いや」


「失礼な口調は直した方がいいわよ」

 

 変わらない口の悪さにちょっとだけイラっと来たけどね。


 その後、私たちは子供たちに筋肉を見せてあげた。子供たちは大喜びだった。もちろん説明しておかないと、クリスマスツリーに見えないからね。下手すると背中に鬼神が宿っていると言われるから。


 後日、この様子は配信された。再生数は目玉が飛び出るほどの数字を叩きだしたが、コメントでは「菊之助くんが筋肉達磨になった! 菊之助くんは殺されたんだ! 女を殺してやる!」だの、「筋肉を身に付けた菊之助くんは最高だね」など賛否両論だったそうな。


 ファンは菊之助の婚約者になった私を探そうとやっきになっている。しかし誰も私を見つけられない。配信される私と、いつもの私の姿が違いすぎるからだ。叔母に報告したらかなり驚いていた。従弟は筋肉ムキムキになった菊之助に感動していた。


 私のアパートでは、菊之助は女装して同居している。彼は女装しながら大学に通っており、学費は動画配信で稼いでいる。家賃は私と折半していた。毎日筋トレをしながらプロテインを飲むのが日課になった。


 それと休日では福祉施設で私たちの筋肉を見せている。もちろん筋トレも教えているよ。努力は報われることを子供たちに教えてあげるのだ。親に虐待された子も筋肉を鍛えることで前向きになれるようになったのはとても嬉しい。笑顔を見ると心が癒された。


 でも身体を鍛えてもアイドルと結婚できるかは保証できないけどね。自分がアイドルになる方が確率は高くなると思うな。

 よくある年上の女性が年下のアイドルと触れ合う恋愛物にしました。

 手あかがついたジャンルでも、書き手次第では新鮮に映りますね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)もうコレ完全に江保場さんの世界観(笑)でもちゃんとストーリーが破綻なく構築されていて仕上がっているからレビュー書いてしまったじゃないか(笑)(笑)(笑)ただ本当に面白かったです。他の…
[一言] 面白かったです! 一貫した筋肉推しでヘビー級パンチくらったみたいに笑いましたw
[良い点] キャラクターが魅力的で面白いですね。 ある種の自己啓発本のようでもあり、コミカルで筋肉ネタも筋肉に詳しくないけど楽しめました。 母親がRPGのボスっぽくて好きです。
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